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海辺の熊野古道。 |熊野古道・紀伊路 【後編】


こんにちは。

ロス・カミーノスです。

前回に引き続き、熊野古道・紀伊路の旅をお送りします。

今回は、御坊市の上野王子から印南町を通り、みなべ町の三鍋王子に至る約24.1kmの行程を歩きます。



◆上野王子~叶(津井)王子

今回は御坊市最後の王子、上野王子からのスタートです。

中世の熊野古道では、「九十九王子」と総称される神社群が組織され、参詣者の守護を祈願する儀式が行われました。

しかしその多くは衰退してしまい、この上野王子も現在は石碑が立っているのみです。元々はここから少し北に行った仏井戸という場所にありましたが、火災で焼失し、江戸時代にこの場所に移されました。

上野王子跡から歩くことおよそ1時間、印南町最初の王子、叶(津井)王子跡に到着します。この付近にあったと伝わる叶王子は、明治時代に叶王子神社となりましたが、その後他の神社に合祀されました。

ここで祈ると願いが叶うと言われ、地元では「おかのさん」と呼ばれて親しまれているそうです。



◆斑鳩王子へ

印南港を抜け、美しい海岸線を眺めながら南へ下っていくこと30分。小高い丘の上にひっそりとたたずむ社殿。ここが斑鳩王子です。

斑鳩王子も、元々は別の場所にあり、江戸時代に現在地に移転されたそうです。また、平安時代や鎌倉時代に熊野参詣を行った貴族の日記には「鵤(いかるが)王子」の名で登場しますが、江戸時代には近くを流れる富川にちなんで「富王子」と呼ばれていました。




◆五体王子の一つ・切目王子

切目王子は、「九十九王子」の中で最も格式高い「五体王子」のひとつであり、現在でも立派な社殿が残っています。中世盛んに行われた天皇や貴族の熊野詣においては、参詣の重要な中継地となり、数百人規模の宿泊地として栄えました。

「平家物語」によれば、平清盛が熊野に参詣する途中で都の反乱を知り、この切目王子で議定を開いて引き返したと伝わります。また「太平記」によれば、後醍醐天皇の皇子・護良親王が鎌倉幕府の討幕運動を起こしていた時、切目王子で神託を受け、十津川へと落ち延びたと伝わります。

さらに、後鳥羽上皇が切目王子に宿泊した時に開かれた歌会で使われた懐紙は、「切目懐紙」として国宝に指定されています。

その後、豊臣秀吉の紀州攻めにより焼失するも、氏子の一途な信仰により再興、江戸時代は歴代の紀州藩主にあつく信仰されました。




◆切目中山王子

切目中山王子は立派な社殿が現存しており、古くから「足の宮」「足神さん」と呼ばれ信仰されてきました。どんな足の病気もここで祈願すれば治ると言われています。

その後、しばらくは険しい峠越えとなります。分かれ道がいくつかあったり、途中でヘビに遭遇したり、道が崩れて通れなくなっていたりと、困難を極めました。昔の人々はこんな危険な道を通っていたのかと感じました。

峠を下ると、交通量の多い国道42号と合流します。歩道も狭いので、こちらも歩く際は十分注意してください。



◆岩代王子

国道を離れて少し歩くと、波の音が聞こえる松林の中に小さな社殿があります。これがみなべ町最初の王子である、岩代王子です。

古来、貴族が参詣する際、岩代王子の拝殿の板を削り、お供の人の名前や参詣の回数を書いて打ち付けるという習わしがあったそうです。万葉集の時代からその美しさが知られていたという岩代の地で、少し休憩をとりました。



◆千里王子


岩代王子からはまた激しいアップダウンが続きます。日本一の梅の郷と言われるだけあって、道中いたる所で梅を乾燥させていました。また、古道は梅林のすぐ近くを通るので、春先になれば梅の花を眺めながら歩くことができると思います。

しばらくすると、多くの文学作品にも登場する景勝地・千里の浜に出ます。海に面したところに、千里王子はあります。この区間は、日高地方の熊野古道で唯一、海沿いを歩く区間となっています。

千里王子は、明治時代に他の神社に合祀されましたが、240年前に建立された本殿は残され、建築年代の確かな王子社として貴重なものとなっています。



◆三鍋王子


千里王子から約1時間。いよいよ日高地方最後の王子、三鍋王子へと到着です。「みなべ」という地名は、沖合に浮かぶ鹿島が3つの鍋をひっくり返したような形をしていることから名づけられたそうです。三鍋王子は、江戸時代には村民によって立派な社殿が建立されましたが、明治時代に鹿島神社に合祀されました。

今回歩いた区間は、車で走ればほんの数十分程度の距離ですが、歩くとなるときついアップダウンの連続で、4時間近くかかってしまいました。



◆海辺の熊野古道

今回歩いた道のりの多くは、前回歩いた御坊市内の道と同じく、あまり古道の雰囲気を味わうことができません。また国道42号とほぼ並行して南へ下っていくため、かなり交通量の多い道を歩くことになります。にも関わらず、歩道がないところもあるので十分注意が必要です。

ただ、高台から眺める水平線は一見の価値ありなので、天気の良い日に一度歩いてみていただければと思います。

合計38.5kmにわたる熊野古道・紀伊路の旅。普段なら車で通り過ぎてしまうところを歩くことで、和歌山に残る歴史や美しい風景を感じることができました。


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京都と熊野を結ぶ紀伊路。次回は別の区間も歩いてみたいと思います!