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【イタリア滞在記Ⅳ_AT三部作】①コザクラインコの魔法

昔々、イタリアはエミリア・ロマーニャ州のある所に、夜空のように神秘的な美しい黒髪を持つかわいい女の子と、赤毛のでかい女がいました。

かわいい上に超絶頭のいい黒髪の女の子は、一年の三分の一を冥界で暮らすペルセポネのように、イタリアと日本を行ったり来たりして生活していました。

今日は、イタリアで過ごす日々を終え、日本へ帰る日。黒髪のかわいい女の子は、赤毛のでかい女に車で空港に連れてきてもらいました。

保安検査前のひととき、二人は空港内のある店に立ち寄ります。

赤毛のでかい女は、黒髪のかわいい女の子が日本へ帰るとき、必ず小さなぬいぐるみを一つか二つ買い求め、次に彼女がイタリアへ戻ってくるまで、それらを車に乗せておくのです。

今回も、たくさんのぬいぐるみが並ぶ陳列棚の前で、おうちに連れて帰る子を二人で一緒に選びます。

「このパンダとかどうだろう」
赤毛のでかい女が言いました。

「パンダはもう持ってるだろ。こっちの蝶は? あ、蜂もいる! すげぇかわいい」
黒髪のかわいい女の子は、蜂のぬいぐるみを掴み、赤毛のでかい女に押し付けます。

赤毛はそれを見つめ、
「なんかこれ、太ってるから嫌だ」と、言いました。

「なに、同族嫌悪?」と笑いながら、目についた豚のぬいぐるみを手に取る黒髪の後頭部を、最近10キロ痩せて6キロ太った赤毛がひっぱたきます。ダイエットもろくにできない上に、なんて乱暴な女なのでしょう。

赤毛のでかい女は、下から睨む黒髪のかわいい女の子を無視して陳列棚に視線を戻し、
「あ、この小さなペンギンかわいい!」と声を上げました。
そして、並んで置かれた二羽の淡い紫色のペンギンのうち、一羽を手に取り、黒髪に渡します。

「おぉ、ほんとだ、かわいい。しかもこれ、腹を押すと鳴くって、パッケージに書いてある」
黒髪のかわいい女の子が、白魚のような指でペンギンの白く柔らかなお腹を押すと、キュッという音がしました。
あまりにかわいらしい鳴き声だったので、黒髪はペンギンに何度もボディブローを食らわせます。

それを見た赤毛のでかい女が、
「それ、小さいし、俺は他のを選ぶから、日本に持って帰る?」と聞くと、黒髪のかわいい女の子は少し迷って頷きました。

二人の家には、たくさんのぬいぐるみがあります。しかし、黒髪の女の子のかわいらしい容姿、赤毛の女のでかい図体とは裏腹に、ぬいぐるみが好きなのは赤毛の方で、黒髪が自ら進んでそれを所有するのは、とても珍しいことなのです。

店を出ると、黒髪のかわいい女の子は言いました。
「パッケージは邪魔だから捨てていこうっと」

ちょっとした鍵ならば針金一本で難なく開錠してしまう器用な黒髪は(←フィクションです。昔、すげぇ頑張って練習しましたが、どうしてもできるようになりませんでした。彼女に空き巣の才能はなかったのです)、ハサミやカッターを使うことなく、素手で(?)ぬいぐるみのパッケージやタグを外します。すると、黒髪はあることに気付きました。
「あ、これ、ペンギンじゃねぇ。inseparabileコザクラインコ じゃん」

楽しい時間は長く続かないもの。最後のショッピングは秒で終わり、ついに別れのときが来ました。

黒髪のかわいい女の子は、ロープパーテーションに沿って、保安検査ゲートへと進みます。

正直、この瞬間はガチでつらいです。
出会った瞬間から今までの楽しかった思い出がフラッシュバックし、それと同時にあらゆる装備を全解除されるような不安を覚え、また、「あぁ、なんであのとき、あんなこと言っちゃったんだろう...」とか、「もっとこうしておけばよかった...」とか、サンタ・マリア・デル・モンテ教会の告解室に駆け込みたくなるほどの後悔が押し寄せてきて、発狂しそうになるのです。
半年とか3か月後にまた会えるとわかっていても、そんなことは関係ありません。

しかし、どうしたことでしょう。保安検査が終わるや否や、いつも、別の感情が沸き上がってくるのです。
「さて、今回はどんな方法で心配かけようかなぁ? とりあえず離陸直前まで、あいつからの連絡を完全無視しようっと」

そんなわけで、スマホをサイレントモードにし、手持ちの『ギルガメッシュ叙事詩』を読み始めた黒髪のかわいい女の子でしたが、搭乗時刻30分前に事件は起こりました。

赤毛のでかい女がうろたえるさまを嘲笑しようとスマホに目をやると、一通のメールが届いています。
これから乗ろうとしている飛行機の航空会社からのものでした。

こういうのは、悪い知らせに決まってる。半ば確信しながらメールを開くと、案の定。黒髪のかわいい女の子は、
「2時間半の遅延...?」と呟き、すぐさま赤毛のでかい女に電話をかけました。

コール音が鳴る前に、
「君は一体どういうつもりなんだ!?」と、鼓膜が破れるのではないかと思うくらいの音量で怒鳴られましたが、今はそれどころではありません。黒髪は、赤毛を無視して口を開きました。

「ドバイ行きの飛行機が2時間半遅れで出発するみたいなんだけどさ。到着も2時間半遅れるとすると、乗り換えの時間が1時間もないことになるんだよね。ドバイで日本行きの飛行機に乗れなかったら、僕はどうなるんだろ...?」

「いい加減にしろ」

「違うの、本当なの! たった今、遅延連絡のメールが届いて... 空港の掲示板にはまだ表示されてないけど... そうだ。お前、アプリで僕の乗る飛行機をストーキングしてるだろ。もうすぐ通知が届くと思うよ」

「...あ。今届いた」

「な。飛行機の遅延とか欠航ってよく聞くけど、まさか自分の乗るやつがこんなことになるなんて...」

「とにかく、さっきの君の質問は俺じゃなくて航空会社の職員にしたほうがいい。近くに話せそうな人はいる?」

「うん、いっぱいいるよ。ゲートで楽しそうに談笑してる」

黒髪のかわいい女の子は、赤毛のでかい女と電話を繋いだまま、ざわつく乗客たちをよそに楽しげに会話を交わす職員の一団のうち、一人の女性を捕まえて話を聞き、それを赤毛に伝えました。
すると、赤毛は、
「彼女と電話かわって」と言います。

黒髪のかわいい女の子は、
「なんでだよ」と、抵抗しましたが、赤毛は聞く耳を持ちません。
しかたなく、
「すみません。僕のイタリア滞在の責任者(?)と話していただけますか。彼はイタリア人です...」と、職員にスマホを渡しました。

すると、彼女はしばらく電話の向こうの声に耳を傾け、
「大丈夫です。日本行きの飛行機に乗れなくても、ドバイでこの子が見捨てられることはありませんから...帰国便はもちろん、 宿泊が必要な場合はこちらでホテルを手配しますし、食事も提供いたします。どうか落ち着いて、ご心配なさらずに...」という台詞を、間を開けながら数回繰り返した。

こうして、2時間半遅れの飛行機に乗る決心をした勇敢な黒髪のかわいい女の子は、壁を背もたれにして床に座り、本を読みながらポテチを食ったりコーラを飲んだりして過ごしました。

そして、出発時刻40分前。そろそろ搭乗が始まる頃だと思い、読みかけの本をしまうためバックパックを開けると、赤毛のでかい女が別れ際に買ってくれた inseparabileコザクラインコ と目が合いました。

inseparabile離れ離れにできない...」

黒髪のかわいい女の子は、まさかね、と思い直し、搭乗が始まるのを待ちます。

しかし、出発時刻30分前を過ぎても、ゲートでは2時間半前と変わらず、ざわつく乗客たちを尻目に職員らが談笑するだけで、全く動きがありません。

そのうち、黒髪のかわいい女の子のスマホに、再び一通のメールが届きました。
彼女は、
「さらに2時間の遅延...」と呟き、おもむろに赤毛のでかい女に電話をかけます。

「もう2時間遅れるって」

「また2時間遅れたら確実に乗り継ぎできないだろ! エミレーツは君をドバイの住民にするつもりか!(?)」

「エミレーツが何を考えてるかは知らないけど、僕はこの飛行機、欠航になると思うんだよね。今から迎えに来てくれる? これからスーツケースを回収して外に出るから」

「...一人で何とかできそうか? 君がイタリアに来て、今日で89日目だけど...」

「たぶん大丈夫」

その返事の通り、黒髪のかわいい女の子は、航空会社の職員と話し、警察の審査を受け、スーツケースを取り戻して、到着ロビーで赤毛のでかい女が迎えに来るのを待ちました。

そのあいだに、黒髪のかわいい女の子が乗るはずだった飛行機は欠航となり、客室乗務員や乗客たちが、次々と黒髪の前を通り過ぎていきます。

不機嫌な乗客の一団が航空会社の窓口に詰めかけ、職員らに宥められて長い長い列を作った頃。黒髪のかわいい女の子は、赤毛のでかい女が手を振りながら足早に歩み寄ってくるのを見ました。次の瞬間、バックパックを背負って立ち上がり、スーツケースを引いて赤毛に駆け寄ります。

「お帰り。さぁ、家に戻ろう」

「その前に、もう一羽の inseparabileコザクラインコ を買いに行こうよ」

おわり

240222