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【イタリア滞在記Ⅳ_AT三部作】②ことばあそび

トップ画像(コブハクチョウ)撮影:
Andrea M.

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称・事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

昔々、イタリアはエミリア・ロマーニャ州のある所に、夜空のように神秘的な美しい黒髪を持つ清らかなお姫様と、赤毛のでかい侍女がいました。

お姫様は近所の公園に住むアヒルたちが大好き。今日も、スーパーマーケットで買ったオレンジジュースとアップルパイを飲み食いしながら、ほんと胴体が餅みてぇだな、と思いつつ、アヒルを眺めています。

すると、それを見かけたジョギング中の女が、お姫様に声をかけてきました。
「ちょっと! 公園の動物にそんなものをあげないで! 自治体で禁止されているんだから!」

お姫様は、は? このブスなに言ってんだ? と思いましたが、左腕に抱えた紙袋のことを思い出し、あぁ、こいつ、僕がアヒルにエサをやってると思ったんだ、と気づきました。

まぁ、そう思われても仕方ないよね。でも、これ全部、僕が一人で食うんだよ。買ったばっかりのアップルパイをアヒルにやるわけねぇだろ。
それにしても、『そんなもの』ってなに? 菓子パンの中で僕が一番好きなアップルパイを侮辱しやがって、許せねぇ。
とはいえ、外国人に対しても分け隔てなく違法行為を注意する、その勇気は認める。
...よし。褒美に、この僕がお前と少し遊んでやろう。

お姫様は、自然と上がる口角を抑えながら、女に向かってわざと頭の悪そうな声で、
「アイ キャン ノット スピーク イタリアーー⤵ン」と言いました。

それを聞いた女は、
「あなたは私の言っていることがわかるはずよ。話しかけたときに、”scusaすみません” って言ったもの」

お姫様は、いや、”scusaちょっと” って言って話しかけてきたのはあんただろ、と思わず言いかけましたが、なんとか堪え、口を半開きにして、黙ったまま首をかしげてみせます。

すると、女は見るからにためらったのち、口ごもりながら、たどたどしい英語を話し始めました。

やった、当たりだ。こいつ、英語が話せねぇ。
なぁ、どうして僕がイタリア語を話せると思ったんだ? 残念だったね、苦手な英語で説明することになっちゃった。おぉ、そんなに困って、かわいそうに。でも、自分で撒いた種だからな。さぁ、うろたえる姿を思う存分僕に見せろ。

女は、それらしい単語を並べながら、何とか説明しようと一生懸命がんばりました。しかし、「イッレーガル」と言ったあと、ついに黙り込んでしまいます。

水面下で必死に水をかく優雅な白鳥よろしく、笑いを押し殺しつつ何の反応も示さずに女を見つめていたお姫様が、再び頭の悪そうな声で、
「ホワーー⤴イ?」と返した、そのとき。木陰で肩を震わせ、笑いをかみ殺していた赤毛のでかい侍女が姿を現し、女に向かって言いました。
「すみません、この子は俺の連れです。どうかしましたか?」

すると女は、水を得た魚のように、饒舌さを取り戻します。
「あなた、彼の連れなの。だったらあなたに言うわ。この公園の動物たちは自治体が管理していて...」

二人とも笑いを堪えながら、侍女の方は女に叱られ、そうなんですね、すみません、と繰り返し、お姫様の方は、頭の悪そうな表情を顔に張り付けたまま、それを眺めます。

言いたいことを言い終え満足した女が二人に背を向けると、侍女はお姫様に向き直り、それはそれは卑猥な内容の台詞を英語で捲し立てました。

それがとてもおかしくて、お姫様はついに吹いてしまいます。ジョギングを再開しようとしていた女がそれに気づき、こちらを振り向きかけましたが、お姫様が爆笑する前に、そのバラの花びらのようなかわいらしい口を、頬骨が砕けるのではないかと思うくらいの力で侍女が塞いだため、事なきを得たのでした。

その後、お姫様はアヒル鑑賞しながらアップルパイを完食し、二人は車に乗り込みます。

「本当にいい性格をしてるよ、君は...」と、侍女が言いました。

「お前だって笑ってたじゃん。自分はリスクも犯さずに...」と、お姫様が返します。

「リスク?」

「そう。この遊びはリスクを伴うんだよ。相手が英語を話せたら、逆にこっちが恥をかくことになるからな」

「そんなことないよ。まぁ...あんなに笑っておいてこんなことを言うのはアレだけど... 母国語じゃない英語を流暢に話せなくても、別に恥なんかじゃない。それよりも、日本語を話す人に当たる方が危ないんじゃないか」

「あー、ね。日本語話すやつに当たったら終わりだな。僕、中国人とか韓国人の振りをする自信ないし」

「まあ、そんなことはまずないと思うけど」

「ここではね。でも、例えばヴェネツィアでは普通にあると思うよ。カ・フォスカリがあるから」

「そうか。あの大学には日本語学科があるもんね」

お姫様と侍女は、そんな話をしながら、お城に帰ったのでした。

おわり

240223