コメントの流儀
自分自身の記事に影響力が無いことは百も承知でありながら、日々、炎上しないよう細心の注意を払って執筆している。そして、それ以上に気を付けて書いているのが、コメントだ。
僕は、興味のある記事を見かけると、まず結末を読み、次に文頭に戻って、二行ずつ最後まで読む。そして、コメントを寄せるか否かを決める。
コメントを寄せる場合は、一行ずつ最低2回読み返す。
十分とは言えない読解力を何とか駆使し、筆者が言っていることと、できれば行間も、可能な限り読み取ったうえで、ラップトップの画面左にnote、右にメモ帳を開き、本文の内容を確認しつつ、言いたいことをメモ帳に下書きしていく。
その後、下書きを2回推敲し、noteのコメント欄に貼り付け、送信。
そして、なぜかそのあと、送信済み文章の見直しをする。送信前に見直すべきだと分かっているのに、どうしてもできない。きっと何かの病気なのだろう。
一方、自分自身が書いた記事に寄せられたコメントに返信する場合。
いただいたコメントは一行ずつ最低2回読む。暗号になっているかもしれないので、一応縦読みもしておく。
そして、やはりラップトップの画面左にnote、右にメモ帳を開いたら、まずは、宛名だ。ここが一番神経を使う。間違えたら腹を切って詫びるくらいの気持ちで、コメントを寄せてくださった方の名前をメモ帳にコピペする。
そして、コメントの内容を確認しながら、それに対する返事をメモ帳に下書きしていく。
その後、下書きを2回推敲し、noteのコメント欄に貼り付け、送信。
全文の確認は、もちろん送信後に行う。こればかりは持病のため、仕方がない。
こんな感じで日々コメントをしているわけだが...
ここまでしているのに... こんなに頑張っているのに...
僕は気の利いたコメントができない。
そんな中、こちらの記事(↓)に寄せたコメントに、僕が思う理想的な返信をいただいた。
後学のため、当該の記事に自分自身が寄せたコメントを振り返りつつ、著者による返信コメントを分析してみたいと思う。
でも、その前に...
りんどんさん、
お忙しいと分かっていながら記事のリンクを貼ってしまい、申し訳ありません。しかしながら、りんどんさんは「あなたの記事が話題です」通知が行ったとしても、ご自身の所用を優先し、クールに対応してくださると信じております。
また、以下の内容につきまして、なんだよこれ! と思われましたら、速やかにこちらの記事を削除いたしますので、お手数をおかけし恐縮ですが、どうかご一報よろしくお願いいたします。
それでは、まず、僕が当該記事に寄せたコメントを引用したいと思う。
以上、440文字(Word調べ)。長げぇ。
その原因は第一パラグラフにある。
しかも、この段落には、記事に対する感想や意見は一切なく、"僕の希望" のみが書き連ねられている。
次に、当該記事の著者による返信コメントを引用させていただきたいと思う。
↑ 忙しい身だというのに、僕の無駄に長いコメントを読み、文末の『バルス』を拾ってくれた。心に余裕がある証拠だ。
いつ、どんなときでも沈着冷静... 僕には到底できない芸当だ。
ただ、僕はこの一文でぶどうソーダを吹いてしまった。スマホがぁぁ。
↑ "僕の希望" をバッサリ切り捨てる。これは所謂 "突き放す優しさ" というやつだ。
否定するのって、心苦しいし、勇気いるよね。
でも、相手が望んでいることをするつもりがないのに、あいまいな答えを返したら、相手は「もしかして...」って期待しちゃうでしょ。
変に期待させないっていうのは、優しさだと思うんだよね。
僕だったら、きっと断り切れずに「じゃぁそのときは連絡しますねー」とか、調子のいいことを言っちゃうと思う。
僕は「行けたら行くわ」と言って、絶対行かないタイプの人間なのだ。
だから八方美人とか二枚舌って言われちゃうんだろうな...
↑ さりげなくアドバイスを挟みつつ...
↑ 僕の "(追記)" を拾い、ホコリタケと数日後に予想される降雪を結びつけ、相手の体調を気遣って締める...
簡潔かつ鮮やか。彼をコメントの名手と呼ばずに、何と呼ぼうか。
どんな訓練をすれば、このような、最高にクールで優しさあふれるコメントができるのだろう...?
...才能か。
あぁ、でも、神様。この人、小説も詩もエッセイも、書評も短歌もうまいんですよ。どうしてコメントまで... 天は二物を与えないんじゃなかったのかよ。
まぁ、羨ましがっていても、しょうがないよね。
勉強はまだまだ続く...
ちなみに、こちらの記事(↓)も、とても参考になります。