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ふりかえれば美しい世界

前回の記事で話したように、私が見てきた世界をふり返ってみようと思う。
本と共に学んだこと、自分が得た感覚を整理していく。

その本を読んだときは、新しく知ることも多かったのでうまく理解できないこともあったが、その積み重ねで段々と考えを深められるようになっている気がする。

得た知識が心の片隅にあって、何かを見たとき、自然にその知識が引き出され、新たな感情を生んでいる、と思うと一つ一つの経験が私を磨き上げてくれているとわかる。

日本文化全くの初心からの進歩なので、こんなことも知らなかったのかという点もあるかもしれませんがお手柔らかに。

禅と日本文化

地元でもらってきたお釈迦様の紙はお仏壇代わり

日本文化の本として初めて読んだ一冊。

お寺に写真を撮りに行くことが多かったので、日本文化の入り口として自然とこの本を手に取ることとなった。


実家が禅宗で、小さい頃からお寺の方との距離も近かったこともある。
法要の度、方丈様のありがたいお言葉をいただいており、印象的だった。

京都には臨済宗の大本山が多く、それらの庭園は禅宗の考え方も反映されているのだろうと気になっていた。


著者、鈴木大拙は禅についての本を英語で著し、海外に禅の文化を広めたことで知られている。
本書は欧米人向けの講演が英語でまとめられたものを、日本語訳したという逆輸入的な一冊。

私がここで学んだことをいくつか挙げてみる。

  • 禅の鍛錬法は、真理がどんなものであろうと、身を以て体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである。

  • 禅のモットーは「言葉に頼るな」というのである。

  • 時代や社会的地位を超えた、最高の価値を持つものの存在を感じること—これがわびを本質的に組成するものである。

  • 禅は道徳的および哲学的二つの方面から武士を支援した。道徳的というのは、禅は、一度その進路を決定した以上は、振り返らぬことを教える宗教だからで、哲学的というのは生と死とを無差別に取り扱うからである。

  • 思想・反省あるいは、全ての愛着を断った意識によって、生来の能力を働かせる心境を「無我」と言い、利己的思想抱かず自分の所得を意識せぬ状態である。西行や芭蕉の芸術を支配するいわゆるさび・しおりの観念も無我の心境からきたに違いない。


もともと外国人向けということもあって、簡潔な書き方で読みやすかったが、理解するのは難しかった印象。

言ってみれば、初めて読んだ日本文化論、みたいなもんだから、初めて知ることばかり。苦戦するのも無理はない。

それでもこの一冊の経験のおかげでその後の読書は大分楽になっただろうし、本当に基本的なことが力強く述べられていたんだと実感する。

今まで生きた中で触れたものや、古典や歴史で習ったものが時々思い出されながらも、概念を説明されると、なるほどそういう背景があって日本にはこういう文化があったのかと気づかされる。

禅が日本文化に色を付けたと言っても過言ではないと思う。


また、身を以て経験する決めたことを振り返らない、という考え方は私がたまに意識することでもあって、共感した。


2月には、南禅寺大寧軒での座禅体験にも行った。
一応幼稚園でも座禅をして、お経を読むようなこともしていたが、それ以来の体験になる。
正直座禅中、色んなことを考えてしまってとても無にはなれないが、そうやって何もせず息を整えるような時間は心を安定させてくれるようだった。

禅の体験は、自分の心にも新しい空気を入れてくれるのかもしれない。

身を以て体験することの重要性を改めて学んだ。

日本の庭園

庭に集い、庭をはぐくむ


お寺や別荘へ行くとなると、一番の注目は庭園。

多くの庭園を見て回り、それぞれの特徴に心惹かれるとともに、どうやって庭が作られているのか気になった。

またその頃、実家の庭作りが進行しており、どんな庭を作りたいかも考えさせられた。

「日本の庭園」という一冊と、庭園デザイナーによる講演、そして実際の鑑賞によって、庭園についての思いを深めることになる。


まず、「日本の庭園」について。
この本は「神仏の庭と人間のにわ」、「日本庭園の技術とこころ」、「日本名演三十六景」の三章に分かれている。
日本庭園の根本、作り方、例といったところ。

今回は一章での学びを挙げてみる。

  • 日本式庭園の根本は、自然尊重、石水木へのアニミズム的態度である。

  • 日本人は庭園を作るとき、「自然立地主義」を貫き、「大自然の山水」をテーマとしてきた。

  • 日本文化の象徴として日本庭園を認める態度は、七割が森林という日本の国土、美しい日本の山河への畏敬の念と、深い味わいを見せる自然石、生命感あふれる樹木、清らかな水に感謝する素直な心情に由来する。

  • 日本庭園が仏教思想を基調としていたことと、石立僧が作庭をリードしたことが相まって、庭園用語に仏教色が強まっていく。逆に言えば、仏教寺院は宗教的雰囲気、寺の荘厳のために作庭術を最大限活用したともいえる。

  • 枯山水は、普通に水が落ちていた滝や流れが、何かの理由で水源がだめになり、水が落ちない滝や水のない流れとなった庭を、その趣も良しとしたことから始まったといわれる。

  • 新興武将らによる外見的な誇大表現志向の一方で、座禅一味を主張し、人間の内面に向かう、いわば内省的に精神的深化を目指す茶道の世界、そのための装置として茶庭とか露地が発達したのも桃山時代の特徴である。

今読んでみると、日本人が庭園を作ってきた背景、求めているもの、反映されている考え方など…庭園について本当に上手くまとめられている一冊である。

また、2章、3章には庭園作りで用いられる技術だとか、日本の美しい庭園についても詳しくまとめられている。載っているお庭を見に行けば、この本はかなり頼もしい相棒になるだろう。

庭園について初めて学ぶ時にも、技術を細かく知りたい時にも役立つ、充実の一冊だった。


続いて庭園デザイナーの方からの学びについて振り返る。

私が所属している学生団体の企画で、ある庭園デザイナーの方による研修会が行われることになった。

Webライティング活動を行う団体なので、庭園の写真につける感想について表現を考えようというような趣旨であったが、しっかりお庭の魅力について教えていただいた。


苔や木、石の奥深さを、京都の様々な庭園を例に説明していただいたが、庭を作る立場になったつもりで話を聞くと、より考えさせられた。

庭を作る上で、どんな庭にしたいのか?癒しを求めるのか、四季を楽しみたいのか、そのイメージからどのパーツを選んでくるか。


先ほどの本の学びであったように、庭園は、外見的な誇大表現志向で言えば、大名から集めた石やソテツを植えることで権力を表すなどする。

内省的に精神的深化を目指す茶道の世界では、茶室までのアプローチや茶室からの景観も、家主から客へのもてなしの一つとなる。


庭園を作らせた家主の希望、それを実現させる作庭家の指揮(direct)が
見るポイントとして重要だとわかった。


その気づきが実際に体感できたのが無鄰菴での経験である。

無鄰菴は元総理大臣、山縣有朋の別荘。
作庭は小川治兵衛である。

今は京都市が所有しており、京都の学生はアプリで100円で入れる。

東山にあり、行きやすい場所にありながら、3回生の2月に初めて訪れた。



無鄰菴では、庭の手入れを行なっている造園業者による説明が聞けた。
10分程度の話であったが、家主の希望、それを実現した作庭家の工夫をしっかりと知ることができ、お庭の魅力、その見方がわかった気がする。


東山を主山とするその庭は、芝の高低差によって実際よりも広く見え、心和む田園風景のようである。

躍動的な水の流れ、穏やかなせせらぎはまさに自然を模したよう。

きっと山縣の心の中にある、美しい自然を贅沢に詰め込んだ庭園なのだろう。


庭作りの意図と工夫を見て行くことで、よりお庭を楽しむことができた。

お庭は季節の変化を見せ、美しい自然を想像させてくれる。

そんな美しいものを見たいという気持ちやそこへ訪れる人へのもてなしが、家主の満足するまで追求されているのが庭園である。

変わらないようで変わり続ける庭を見て、自分の変化も見つめ直す。
お庭は私にとっても、疲れた心を癒すオアシス。

古都

平安神宮にて

この一年で、私に大きな変化をもたらしてくれたと言っても過言ではないのが、川端康成の「古都」である。

どうしてこの小説を手にとったのかも覚えていないが、読後の衝撃は凄まじく、人生の一冊となることは確信できた。

主人公、千重子が京都で目にする美しいもの、そこで千重子が抱く、溢れんばかりの感情が何よりも美しく感じられた。

白い蝶たちが舞い去ったあとまで、千重子は廊下に座って、紅葉の幹の上のすみれを見ていた。「今年も、そんなとこで、ようさいておくれやしたな。」と、ささやきかけたいようである。
千重子は神苑の入り口をはいるなり、咲き満ちた紅しだれ桜の花の色が、胸の底にまで咲き満ちて、「ああ、今年も京の春にあった。」と、立ちつくしてながめた。

今まで何気なく見てきた、京都の日常。
その日常からこんな想いを持つなんて…

千重子の感性は、日本人の美意識そのものである。
そしてその美意識を表現する川端の文才は、日本が誇るべきものである。

そんな感覚を抱かせてくれる日本の美しい姿
そこから日本人が持つ感覚表現する文化
その美しさを理解でき、日本に生まれてよかったと思った。

千重子の好きな紅しだれ桜

この本を読んでいた頃、私は父親から帯を贈ってもらった。
西陣で眠っていた帯、縁があって我が家にやってきて、母が目をつける。繊細な刺繍は私の振袖にピッタリで、本当に嬉しかった。

千重子の父親が描いた絵の帯を西陣織屋で作ってもらい、千重子に贈るシーンが、自分に重なるようで、また感動した。

「お父さん。」と、千重子はあどけないよろこびの声で、「ほんまに、ええ帯やわあ。」
「お嬢さん、えらい勝手なお願いどすけど、帯をちょっと腰にあてて見てもらえまへんやろか。」
「この着物に……。」と、智恵子は立って帯を巻いてみた。たちまち、千重子は鮮やかに浮き立った。太吉郎も顔を緩めた。
「お嬢さん、お父さんのお作どっせ。」と、秀男は目をかがやかせた。

しっかりと織られた帯、着物と着る人との調和
作る人・贈る人・受け取る人の感情
全てが私の胸に響くようであった。


この本では素晴らしい経験をさせてもらった。
美しい都を、この目で見たいと強く思った。

美を見つける

三条大橋から見る雪山


大きく分けて3領域の学び。
今の私がまとめられるものは、とりあえずこれくらいだと思う。
この他にも民藝、着物、生花など…興味を持ったもの、もう少し経験していきたい。

この1年で、本や体験から感じるものを整理し、自分の想いをなるべく言語化してきた。

日常から美と喜びを感じる
自然を見る、想像する

私の人生の目標はやっぱりこれだろう。
日常生活の幸せを見つけたい、覚えておきたいという気持ちは変わらない。

日常から美しいものを見出す。自然という美しい姿を愛でる、またそれを表現したものから自然を想像する。何より多くの美しいものを見る、感じる。

美しいと思ったものを写真に残そう

これら全ては繋がっていて、まず第一歩は京都の街へ出て観察することから始まるのかなとも思う。


何気ない景色がずっと自分の心に残っていたり、勇気付けたりしてくれる。
美との出会いも一期一会、今しか見れないものを見ておこう。
その経験が今後の自分を作っていく。

私の世界はだんだんと広がっている。たまに振り返るとその広さに驚くけど、それだけ自分を作ってきたんだと実感できる。
もっと世界を広げて、無限に存在する美を、一つでも多く見ていこう。

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