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インナー・ピース

私達が学んでいる密教は特に仏教だけに伝わっているものでなく、むしろヒンドゥー教から伝わったとも言われています。
密教が入って仏教が堕落し衰退したと言う方や、そもそも大乗仏教は仏教ではないと言う方など、なかなかな言われようですが、個人的には人を悪感情から自由に出来るなら、仏教の教えで問題ないと思います。
宗教を理由に人を支配し、支持者を増やす事でシェアを伸ばし、有権者である信者に指示してその国の政治に圧力をかける。
支配欲・依存欲を満たす宗教・人間関係・金銭関係・仕事上の力関係は、自分にも他人にもプレッシャーで強要する、そんな力関係は内なる平和にとっては百害あって一利なしです。
マインドコントロール下で行う良い行いは自分の意志ではなく、指示や命令に従ってしている事なので、その人の成長にも繋がりません。
生後、親子関係から始まる私達の人間関係は常に、支配と従属の関係から脱し、人として大事にする・される関係を目指すものであるべきで、どんな宗教も親子関係も仕事関係も選挙も例外はありません。人が国として支配を目指す時は戦争になります。
万が一、2500年前のお釈迦様の教えに大乗仏教や密教の教えがなくても、大乗や密教には支配と従属や怒り、執着など様々な煩悩に対処するための教えが種々あります。
また密教の観点からすると、密教を説くのはお釈迦様だけではなく大日如来などの仏様もおられます。
その他、阿弥陀如来の極楽浄土は天国を模したとも言われますが、密教的には死後のみではなく、マンダラのように即身成仏の目指す世界です。その目指す世界はもちろん支配の構図ではなく、お互いに人として大事にする関係で教えを学びます。その実践のために戒律があり、その修行を行う修行者がいます。
おおらかに、価値観の違う他者、利害関係が対立する敵とも共存する道を模索したいものです。


インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。