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ロプンの「なぜ人を殺めてはならないのか?」

国はもとより一般的な宗教はどこでも、人間の生存権を守る、もっと言えば平和的生存権をとても大事にしていると思う。恐らくその理由は、「国家の義務だから」とか「人を苦しめてはいけない」とか「条件なしに人は愛されるべき」などだろう。ではなぜそうなのか、ここでは特に「なぜ人を殺めてはならないのか」に関して、私なりに。

私にとって輪廻とは「快感の追求」の事。

「栄華を極める事」が「快感の追求」で

あったり、逆に「隠遁修行」の深い瞑想が

「快感の追求」にもなる。

不快すら「快感の追求」のためだったり。

「快感」は生まれながらにして私達の

行動の動機であり、これは死ぬ瞬間まで

そう。

もしストレスなく、「快感の追求」に

満足して一生を終えたなら、その方の人生

は幸せだったと、ご本人も周りの方も

その死を看取るだろう。

この「快感の追求」が、自分にも他人にも

ストレスなく、満ち足りて自由に行える

権利が、生存権また平和的生存権だと思う。

「人が人を殺める」事で、その楽しんでいた

「快感の追求」を他人が、その利害関係や

何らかの目的、時には無意識に、強引に

奪うのは、死への不安や恐怖という生きる

上で経験する絶望の最たるものを与えると

いうのは、この輪廻で最悪の行為だと思う。

だから生存権は「国家の義務」だし、

自他に加害やストレスを加えない限り、

快感を求める「人を苦しめてはいけない」、

「条件なしに人は愛されるべき」だが、

自他に加害やストレスを加える権利は、

誰にもない。

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。