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「四つの執着をなくす」という心の訓練 意訳

「全てを自分の思い通りに」と自他の成功と失敗に強く執着して時を過ごす方は、弱さから煩悩に負け怒りや冷酷さ、強欲さ、神仏や仕事の役職や権威などを傘に着た支配や排除という悪感情や、自他の名誉や恥、利益や損失、称賛や非難、楽や苦を娯楽とするので、身体はともかく心は地獄・餓鬼・畜生に住む不幸な方です

「自分の思い通りにしたいと執着する心」から自由になり、この人生を自他を傷つけず大事にする事に費やそうと努める方は「幸福な方、幸福な生を目指す方」です

「幸福な生を目指す方」は、経済的に・健康面で・時間的に・人間関係面などで自他を傷つけず大事にする事で幸せや豊かさ・楽を得ます
しかしながら煩悩を断った訳でなく、悪習慣を完璧に止めたのでもありませんから、煩悩に負ける弱さに引っ張られ不幸を味わう事もあるかも知れません
そこで、自身に煩悩が起こらなくなるという失われる事のない幸せや豊かさ、楽を理解し、「煩悩を娯楽と執着する心から自由を得る生を目指す方」となり得ます

「煩悩を娯楽と執着する心から自由を得る生を目指す方」は、煩悩から自由な、失われる事のない幸せや豊かさ、楽を得ます それは「幸福な生を目指す方」や同じ志を持つ「煩悩を娯楽と執着する心から自由を得る生を目指す方」に直接役立ちますが、全て自分の思い通りにと望む方々を含む恩ある有情をそのまま輪廻に残したまま、自分は輪廻を離れる事になります
その時、「煩悩を娯楽と執着する心から自由を得る生を成就する事」への執着から自由になり、輪廻の中有情を支援するなどで縁を結び「全ての有情をそれぞれに合わせて大事にする生を目指す方」に向けて努力します

「煩悩を娯楽と執着する心から自由を得る生を成就する方」と「全ての有情をそれぞれに合わせて大事にする生を目指す方」のいずれも、自身に煩悩が起こらなくなる事で失われる事のない幸せや豊かさ、楽を得るので、錯誤から執着し煩悩を引き起こす、実体を伴って現れる存在は空性なので実体はなく条件に依って成立すると理解する知恵を身につける様努める事です

「四つの執着をなくす」意訳 終

この「四つの執着をなくす」という教えはジョナン派の「深甚なる百八の教え」の1番最初の教え、文殊菩薩の心の訓練に関する口伝です。
そもそもサキャ派のサチェン・クンガー・ニンポ師が文殊菩薩より直接授かった口伝ですが、カダム派の祖アティーシャ尊者より伝わる心の訓練の口伝と並んで、各宗派でも貴重な教えです。

今もサキャ派の法流を伝えるサキャ・ティチェン・リンポチェは優しい高位のラマで、以前師に謁見した時に、なんと日本語でやさしく声をかけて下さいました。

ただ、私はサキャ派の師から教わった事はありません、ですから興味のある方はそういった方を訪ねて下さい。

〈写真はフリー素材より〉

「四つの執着をなくす」 訳

この生に執着するのは、信心ある方ではありません
三界輪廻に執着するなら、出離心とは言えません
自身の成就に執着するなら、菩薩ではありません
把握が生ずるなら、空の見解ではありません


インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。