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ロプンの21世紀の宗教は法治的宗教?徳治的宗教?

ざっくり言えば「規則に則る」のが法治的、孔子が理想とした「有徳の人の決定に則る」のが徳治的という訳。20世紀までの反省を踏まえると、宗教が作るヒエラルキー、頂点への権力や資産の集中、属さない側に対する区別や差別など、徳治主義のマイナス面が目立ったと思う。これはシステムの問題なので、「たまたま」高徳な方が上に立てばいいけど、普通に考えたらシステムとしては無理がある。情報公開の問題も含め、もし誠意がない人が上に立てば、後はもうヤリタイ放題なのだから!

当然、法治主義的な宗教こそ現代向きだ。

非課税なのだから収支を公開、何に

どれだけ使ったかをはっきりさせる。

マルチ的ヒエラルキーを止め、権力では

なく倫理教育的指導者を頂点とする。

自分自身の責任の下、指導者の考えを

分析、それが人権侵害など本来の教えに

反するなら指摘する。

これを昔から行っていたのが、チベット。

ダライラマ法王がインドに亡命し、

亡命政府を樹立した時から、法王の中で

「民主主義の政府」は念願だった。

そもそも仏教と徳治主義はあまり相性が

よくない。その多くが、

原始共産的生活をしていたチベットでは、

高僧が国や地域を治めたり、指導者だった。

徳治主義だと、権力に対する不正・腐敗に

染まりやすいのに対し、高僧が治める事で

比較的不正を回避しやすかった。

ただ、仏教はお釈迦様の教え。

「私に敬意を払って、なんでも言葉通りに

受け取らず、しっかり分析して、私の

本心を理解して欲しい。」

と、僧侶や在家の弟子たちの権威主義を

警戒していたのが分かる。

また、弟子の資格として、道次第の中に

「分け隔てをしない人」を上げ、宗教の

あるなし、仏教とそれ以外、この宗派と

その他、自分の師の仲間とそれ以外など、

帰属主義も否定している。

チベット密教においても、師と弟子の

関係は大変強いキズナなので、

「師の勧めが納得できない場合は、

弟子はその旨を師に伝える」という、

まるで仲のいい親子や本音で話せる親友の

ような付き合い方。

「師は全ての仏陀より優れる」とあり、

一見すると権威主義的だが、実際には

その逆で、仲良すぎなのが分かる。

国民という意識より、チベット人には

仏教文化がしっかり根ざしている。

国と宗教の狭間で問題もあっただろう、

亡命するという不幸の中で、やっと仏教的

法治国家を成し遂げる事が出来た。

21世紀に生きるという意識が、

亡命チベット人には宗教も政治でも、

強くある。

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インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。