見出し画像

ロプンの、さらに学究的なチベット仏教ゲルク派の話

引き続きゲルク派。サキャ派はもちろん、今では

ニンマ派でも問答の修行が行われている。

ダライラマ法王御自身が必要性によく言及される

問答。その真骨頂こそ帰謬論証だろう。質問者が

「あなたの考えだとこういう矛盾になるよ、

あなたにそのまま帰って来てほら刺さってますよ」

という、回答者の出した意見に刺さる

自己矛盾のブーメランを教え、回答者は

自分の誤解に気付かせてもらう学びの場。

途中で役割交代。

ゲルク派の問答の修行では特にこの論証を使う。

最近はわからないが、それ以外の流派では、

「そこまで徹底して帰謬論証は使わない」

と聞いていた。

自立論証を多く使うかららしい。

「これは〜か?理由は?」

「これが〜なのは、コレコレの理由です」という

三段論法的な、いうなれば正しい回答を理解し、

正確に答える修行。

そこから正しい理解を多く手にするやり方。

対して、帰謬論証は理解が正しいかどうかを

探り、間違った理解がある所の誤解を除くやり方。

ゲルク派の中でもテキストは様々で、定義や

いろいろ表現の違いはある。

あるけれども、理解が正しければ、誤解がなければ

言葉が違っても、その意味合いが違っても、

辻褄が合う。

もちろんそのためには、自分達が学ぶテキストを

理解するだけでなく、それ以外のテキストを

学ぶ必要も出てくる。

長じて、各流派のテキストを学ぶ事も。

そのためにも、まずはこれが正しいであろう

という理解とその理由となる自立論証、その

理解に齟齬がないかどうかを調べるのに帰謬論証。

それから問答の修行は、出来るだけ数多くの人と

問答する事を勧められる。

理由は同じ授業を受けても、

理解は人それぞれだから勉強になるよ、との事。

言葉尻にとらわれずちゃんと理解しているか、

誤解はないかと探究する姿はゲルク派に相応しい。

#仏教 #チベット#チベット仏教#問答#解脱

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。