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既存のマナーに懐疑的になるのは大事、なんだけれどもという話

 これを読んだ感想、ツイートだとまた長くなりそうなのでこちらにまとめることにした。
 読んでポップしてきた感想を書き出すと

①マナーの意義や効果について懐疑的になることはとても大事
②しかし、マナーに懐疑的でない人を「時代遅れ」だの「差別的だ」などと腐すのはだいぶ悪手

みたいな感じになるかなあ、と思った。

 まず①について、この場合でいうと「そもそもpixivでの腐もじりタグは何のためにつけられているのか」みたいな問いになるだろう。個人的な考えを書くと恐らくは「公式関係者や権利元から作品を隠すため」もしくは「BLを嗜まない人たちに配慮するため」のどちらか・もしくはその両方で認識している人が大多数だと思う。 

 しかし、この2点については、pixivでいくら気をつけていてもTwitterの公開アカウントで推しCPについて語っていたらあまり意味なくない?と思ってしまう。公式も二次創作の存在については把握しているだろうし、BLを嗜まない人でもバズっているBL絡みのpostを目にすることはあるだろうし。

 では腐もじりタグや腐向けタグは実質的には何のために用いられているのかというと、これも個人的な所感だけど、「あなたたちの作法を理解、尊重しますよ」とか「あなたたちと同程度のリテラシーを持ち合わせていますよ」みたいなのを示す符号になっているように思う。
 
 もちろん腐もじりタグや腐向けタグが検索避けやマイナス検索に役立つのも事実だけど、「隠すため・配慮するためにやっています」という建前から実体が乖離している可能性があるのでは?という点は頭の片隅にでも置いといたほうがいいと思う。


 次に②について。

 形骸化したマナーにメスを入れてみようと考えること自体は良いことだと思う。だが、そのマナーに追従する人たちを「前時代的だ」とか言って腐すのは逆効果のように見えてしまう。

 上でも書いたけど、腐タグはコミュニティーメンバーの符号として用いられている側面がある。なのでそれを使っている集団を正面立って非難しても、対話になるどころか排斥されて、コミュニティーは共通の敵を前に更に結束を固める。

 更に、題材が題材だからか、「そもそもBLを好む層を腐女子と称するのはホモフォビアで腐タグにこだわる奴は差別主義者」みたいな論まで散見されている。
 こういう話になると必ずこうやって己の論を道徳的正しさで舗装して押し通そうとする層が現れるんだけど、事態の理解と対処のやり方があまりにも雑すぎやしないかと思う。

 繰り返し言うが、マナーとされている風習を見直してみるのは良いことであると思う。しかし、古臭く感じるマナーを遵守してる側にも立って考えてみないと、事態は一歩も前進しないんじゃないかなぁと思う。


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