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双極性障害 予防する手立てはあったのだろうか?

うつ状態に徐々に徐々に埋もれて行き、そしてしばらくの助走期間のようなものを経て、またピークめがけて突っ走った私。

このサイクルを私は3回繰り返した。

期間は30年ほどの間に。

細かい波はあったかもしれないが、大きな波は確かに3回。

最初の時はうつ病という言葉も、躁鬱病という言葉も私の頭の中には浮かびもしなかった。

夜遅くまで仕事をし、疲れ切って、そしてそれを誰にも言えずにいた。

電車のホームに立っている時に、いっそ消え入りたいと思うことも頻繁になり、どこで知ったのか市販の精神安定剤を服用し始めていた。

あと半年は頑張ってみよう、と思っていたものの、あと3か月、あと2か月と次第に頑張れそうな期間は心の中で短縮されて行った。

食事もまともにのどを通らず、食欲はかなり減退していた。


そんな状態にあった私が仕事の休みの日に、突然決心した。

「このままじゃいけない!まずは何かきちんとしたものを食べに行こう!!」と。

そして私は自宅から少し離れたスーパーに入っている和食のレストランに行き、海鮮丼を食べた。

そして決心した。「仕事、やめよう」と。

その決心があって、私は今ここにいるのかもしれない。


しかし、思う。

はたしてこんな風に追い込まれることなく、解決する手段はなかったのだろうか?と。

実はその勤め先には躁鬱病では?と言われていた男性がいた。
忘れもしない、彼がそう状態だった時のこと。

夕刻、あっち、こっちのデスクを渡り歩いて、次から次へと仕事中の人に話かけ、そしてオーバーとも思える笑いを何度も見せていた。

そして、彼の病は悪化し、まもなく退職していった。

当時の私にとっては、まるで他人事で、彼は精神疾患を抱えた病人なんだ、と、そうとしか思わなかった。

メンタルな障害やら病はあまり予防的観点から語られることはないのではなかろうか?

多くは、なってしまってからの治療法や対処法が語られるのみで、そもそもならないようにという観点は欠落しているような気がしてならない。

多くの人は自分とは関係のないこと、と思っているからそれも致し方ない。
メンタルな病に限らず、病気はなってみて初めてことの重大さに気が付くものなのかもしれない。

私も退職していった彼の病について調べようなどと思いもせず、まったくの他人事だった。

そしていつのまにか私は「この仕事なんとか片付けなきゃ」の一心で過剰なまでに働いて、そして「これが高じると病になる」などという事は思いもせず、うつ状態へと入り込んでいった。

はたしてこの病への入り口のところで気が付く手立てはあるのだろうか?

私は3回繰り返して、ようやく入り口の気配が、少しだけ分かった気がしている。


ふと、思う。

今こうしている間に、入り口に近づいている人がいるはずだと。

そして出口を過ぎ、徐々に高揚していく過程にある人もいるはず。

彼らにそれを知らせる方法はあるのだろうか?




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