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サラダバーの秘密

若い頃「メディカルレッスン」というアメリカの医学生を描いた映画を見たことがある。シリアスななかにもロマンスあり、ハッピーな出来事ありで、いわゆる青春ものの映画とでもいえばいいだろうか?
私が大好きだった映画のひとつ。

主人公の男子学生は記憶力抜群で、気持ちの切り替えの早いナイスガイ。

ある時大学で人体解剖の授業が初めて行われた。何人かのチームで1人の遺体を解剖するという内容。

主人公の男の子が所属したチームは、授業のあとコーヒーショップに行って話をするのだが、みんな授業の内容がショッキングだったためにげんなりとしている。
しかし主人公の男の子だけは、そんな仲間を尻目に、肉料理をバリバリ食べていた。

とてもユーモラスな描き方をされていたのだけれど、自分がもしそういった授業、仮に人体でなくとも、を受けたあとに、果たしてステーキ食べれるか?と自問するに、全くもって自信がない。
まぁ今はそういう授業を受けるか否かに関わらずステーキは食べないのだが。

昨日家の近くの焼き肉バイキングのレストランの横を通った。
お店の中からダクトを通った煙が外に吐き出されていて、おなじみの焼き肉の香りをちょっとだけ感じた。
去年そのお店には一度だけ一人で入った。お昼時に。ただ、肉には全く手を付けず、他の野菜などを焼いて食べた記憶がある。

子どもが小さかった頃スタミナ〇〇などに行って、思う存分焼き肉やらお寿司を食べていたのだけど、もう私は行くことはないと思う。

すでにファーストフードのお店は行っても、オーダーするものはフライドポテトとアップルパイが定番となっていて、ハンバーガーを食べたのはコーヒーショップで大豆ミートのハンバーガーを食べたのが最後だと思う。何か月前だろう?

もう私は目の前にある肉類や牛乳などを、単に食べ物、飲み物として見ることができなくなって、私の目の前にそうした形で表れるまでの過程を想像するのが習慣になっている。

狭い畜舎で一生を過ごしその日が来るのを待つ動物たち。
子どもを産み落としてすぐに子どもとは離れ離れにされる乳牛たち。

そんな姿を知っていると、到底焼き肉バイキングなどへは行けなくなってしまう。

もしかしたら、それはそれ、これはこれ、と割り切ってしまえる人もいるのかもしれないけれど。

バイキングと言えば以前栄養士さんから面白い話を聞いたことがある。

ドリンクバーは物凄く単価が安くお店側はとても儲かるそうだ。
そしてサラダーバーも、レタスで言えば普通の料理では捨ててしまうような外側の葉っぱ、トマトで言えばミニトマトを使っている場合はコストが安いらしい。

そういえば、サラダバーで普通のトマトって見たことあるだろうか?




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