『ノンセクが26年間を振り返ってみた話』⑱自認
Aくんとの関係が終わった。前の彼氏(Tくん)とのお別れのあとは、次の恋に前向きになっていたが、今回は「よしっ次!」とはならなかった。
Aくんがあの時言った言葉…「性的な欲求がないなら、それは恋愛ではない」が引っ掛かったからだ。
あれはどういう意味だったんだろう?最初は、元々彼から性的欲求が強いと聞いていたから、その強さゆえだと思おうとした。だけど、もしかしたら私の方が変なのかな…そんな疑念も抱き始め、気がついたら色々と調べていた。
Aくんとの恋愛で感じたあらゆることについて、同じような人はいないか、どうやったら解決できるのか…ひたすら検索をかけた。
夫婦のセックスレスやカップルのマンネリ化の話題が連なる中、気になるワードを見つけた。それが「ノンセクシャル」だった。
「スキンシップを望まない」
「一緒にいて安心する相手でも一緒に寝たくない」
「彼の裸に興味ない」etc.
調べれば調べるほど当てはまるものばかりで、もしかしてこれなのでは?と思った。
しかし、実際のところは、すんなりノンセクシャルを受け入れたわけではない。
前々から、恋愛に対してちょっと人と違うことは自覚していたが、それは性格の問題(ドライ、甘え下手等)だと思っていた。すなわち、頑張れば多少は変えられるとも思っていた。
だけど、ノンセクを知ると同時に一般的な恋愛や性的欲求の態様も見えてきて、もはや性格云々の話じゃないことに気がついた。
性的マイノリティーについても、それまではLGBTまでしか知らなかったけど、そのあとにQや+があって、そこに自分も該当するかもしれないというのも、最初は驚きだった。(性格の問題だと思っていたため)
自分に当てはまるようなアイデンティティを見つけたことに嬉しさを感じる一方、これを認めると、自分の今後が想像できなくなるという不安があった。
「やっぱり私、ノンセクシャルだ」と自認したのは少し経ってから。某SNSでノンセクが集まるコミュニティに入り、皆の声を聞いていると、やっぱり大体のことが自分事のように感じられる、そしてそれを聞いていると「自分だけじゃない」と安心するというのが大きかった。また、LGBTQ+のサイトにあった「性はグラデーション」という言葉も、自分自身を受け入れる後押しとなった。
こうして、ノンセクシャルというアイデンティティをまとった私の生活が始まった。