05.勇気ちひろとは「全てを配信に載せる者」である
一部例外もあるが、少なくともメインコンテンツであるAPEXにおいてはタイトル通りである。本人も配信中に言及している。
この事実を初めて知った時、私は戦慄した。一見シンプルなようで、その実すさまじいスタイルであることをここで語らせていただきたい。
配信者ならそれが普通じゃない?
と見逃されがちだが、全くもってそんなことはない。まずは箇条書きで一覧にしてみよう。
・光も影も包み隠さず全て見せる覚悟がある
・好きなゲームこそオフでゆっくり楽しみたいはずなのに
・裏で練習はしないという宣言
少々長くなるが、一つずつ紐解きたい。
光も影も包み隠さず全て見せる覚悟がある
つまり、配信中にどのような出来事があったとしても全てを白日の下に晒してしまってもよい、ということだ。
元々平等、博愛主義の強い推しだが、これほどまでに公平であることを自らに課す配信者もそういないだろう。
なにせ配信とは生放送。台本なんて当然存在しない。隠してしまいたいミスの一つや二つ、意図せずとも発生してしまうのが常というものだ。
それでも彼女はただの一秒たりとも隠れたりはしない。その生半可ではない覚悟は今尚現在進行形で続いている。見逃されがちだが、この勇姿は彼女を推す者としては深く胸に刻みつけておきたい。何よりも「リスナーのために」と話す彼女の言葉に、深く感謝したい。
好きなゲームこそオフでゆっくり楽しみたいはずなのに
筆者が配信経験者だということを前提として語らせていただきたい。ちなみに最高同接は100~200程度のレベルである。
やってみるとよくわかるのだが、配信機材を準備し、個人情報等一切を外部に漏らさない対策を施し、コメントに気を配り、その返事にも気を配り、当然ゲーム画面も注視し、エンタメを意識しつつゲームを進めてゆく───
とかく集中できないのである。ジャンルにもよるが、オフが100%と仮定すれば、配信中のプレイパフォーマンスは最高でも70%、平均50%前後といった具合だろう。少なくとも私はそう感じていた。
当然、慣れの問題もある。配信を生業とする推しなら慣れっ子な部分もあるだろう。とはいえ、どう考えてもオフのほうが力を発揮できるのは言うまでもない。単純に「楽しさ」を優先するにしても、オフで遊んでいるほうがよほどリラックスできるだろう。
しかし彼女はこの先どんなことがあっても、配信者でいる以上オフでAPEXはプレイしない、と宣言しているのだ。メインアカウント以外ですらも。
この先その鉄の掟を崩す可能性もゼロではないし、その言葉自身の真偽もこちらでは判断できない。
しかし、いかにショートスリーパーといえどオフで遊ぶ暇もないくらいの長時間配信が見受けられるアーカイブ群を見れば、もはや疑う余地などないだろう。
本当に好きなゲームこそなんの制限もなく自由に楽しみたいはずなのに、その自由を自ら縛ってまで、彼女は一切を我々に見せてくれるというのだから、これ程までのファンサービスなどおよそ存在しない。
彼女は今日も我々リスナーの前でのみ、APEXという戦場に立つ。逃げも隠れもせず、正々堂々と。おびただしい数のゴースティングやチーターにも構わずに。
その覚悟を軽んじてはならない。これもまた、深い感謝を勇気ちひろに送りたい。ならば応援もしたい。貴方のその強い意志に少しでも応えられるのなら、それほど嬉しいことはない。
裏で練習はしないという宣言
ゲームでなくともコンディションというものは常に上下するもの。時に調整を余儀なくされる場合もある。
そんな下り坂に推しが差し掛かり、配信中でもあからさまな陰りが見えたとき、ファンであっても少なからず苦言を呈したくなる者も出てくるだろう。たとえそれが、純然たる親切心からこぼれ出た言葉であったとしても。
メインの配信内容からずれるのであれば、何も全てを配信に載せる必要はない。お見苦しいと予想される懸念点は合間をぬって予め解決しておき、改めて表舞台の配信へと繰り出せばいい。
しかし、彼女はそんな影の部分でさえも配信に載せる。あたかも、栄光に至るまでの道は決して楽なことばかりではない、と自ら体言するかのように。
努力を表に出すことを嫌ったり、指差して笑う人も未だに少なくない。馬鹿の一つ覚えに同じことを繰り返す人は、時に嘲笑の的となりやすい。
しかし、たとえ目標に対して効率的に進める近道があったとしても、努力そのものに近道はない。裏道もなにもない。それはただひたすらに、積み重ねて積み重ねて、積み重なるものでしかない。たとえそれが栄光ある結果に繋がらずとも、歩みを止めずただただ前に進むしかないのだ。
あるいはその姿とは無様なのかもしれない。驚くほど笑えるのかもしれない。それでも彼女は、自らの醜い部分ですら取り繕ったりはしない。一切を陽の下に晒し、正々堂々と胸を張って、今日も戦場に立つのである。
愚直だと思う人もいるだろう。「馬鹿だなあいつ、またやってるよ」と、ファンでもなんでもない人から見れば、彼女の背中がそんな風に見えてしまうのも致し方ないのかもしれない。
しかし、その姿を笑うことだけは何人足りとも許さない。許されていいはずがない。どんなに下手くそで不器用だろうと、ただ一つの道をひたすらに歩み続け、あまつさえ我々にその全てを見せているのだ。その覚悟と轍を笑う者がいるなら、一つ鏡を差し出してこう言いたい。お前の顔のほうがよほど笑えるぞ。
どんな人間にも得手不得手はある。正しさも間違いもある。世に完璧という二文字は存在しない。故に、彼女の進む道はおよそ綺麗とは言い難いのかもしれない。
しかし、歩み続けてきたその研鑽という積み重ねそのものは誰にも否定されてはならない。そこに正しいも間違いもない。ただただ、美しい。その価値がわからない者に、彼女について語る資格なぞおよそ存在しない。
今となっては確認できない非公開となったアーカイブもあるだろうが、それでも彼女は、一度は配信で全容を放送している。その事実は忘れずにいたい。目撃者のいない彼女のAPEXなど、ただの一秒たりともこの世に存在しないのだ。
痛みや悲しみをひたむきに隠して、でも時にこぼして。苦しいとわかっているにもかかわらず、それでもなお己の信念を貫こうとする───
「配信に全てを載せる」とは、そんな覚悟をもった人間だけができることだ。そして私は、そんな覚悟をもって舞台に立ち、それでも笑顔を絶やさない人を勇気ちひろにおいて他に知らない。
ほら、そう考えると何だか
推してみたくもなりません?
私がVモデルの見た目や声、可愛さといったものを一切度外視して推し始めたきっかけの一つが、これである。
これがなければ推し活という域にすら至らず、早々に見切りをつけて別の趣味に流れたことだろう。この世に娯楽はごまんと存在するのだから。
推している内に気も変わり、今は見た目も声も何もかもが愛おしいと感じているのだから、本当に困ったものである。一番困っているのはこんなヤツに推される勇気ちひろ本人だろうが・・・すみませんねぇほんとに気色悪くて。
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