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就活は恋愛。の常套句に唾を吐きかけ続けた

就職活動は恋愛や婚活なんですよ、とか吹聴するキャリアアドバイザーはメロンソーダをメロンの味だと思ってるし、キャベツ太郎をキャベツ味だと思ってる。と思ってる。

意中の存在に気に入られたいと思い、そのために奔走する活動であることは両方とも違いない。でも、キャリアアドバイザーの肩書きを持つ人間の大半が口を揃えて「就職活動は恋愛や婚活。いかに自分が魅力的かアピールする場」と大学の講演などで話す。

私が出会った人がことごとくそうだっただけなのかもしれないが、この常套句を用いるアドバイザーや就職支援課の職員は大抵が「アピール命」の理論を提唱する。だから、履歴書やエントリーシートの自己PR欄はもちろん、志望動機にもアピールを撒き散らした方がいいんだと持ちかけてくる。

書類選考の段階でも、企業の理念や特徴を調べて、なるべくそれに沿った「自己」の売り込み方をした方がいいとも言う。実際、私はそう言われ続けた。字の丁寧さ、字間の数mmの幅、より良く魅せるための表現、精密な自己分析、企業理念を踏まえたPR文。教えられはしたものの活かせた気は全然しない。

そうして企業が求める学生像に沿って「学生時代に力を入れたこと」を書くんだから、やたら意欲的で不自然なくらいに明るい前向きな大学生が文面上に出来上がる。書類選考が通ったら、面接に向けてその書類に書いたような学生像に“自分を寄せる”練習がはじまる。その場しのぎの仮面をこしらえて面接に挑む。

某ローカル局の一次面接にガチガチに良い子ちゃん武装して挑んだことがある。ずらっと(おそらく各部署の)偉い人達と人事担当者が座っている中、グループディスカッションが行われた。面接にきた5人の学生を3:2に分け、テーマを与えて討論させる。出されたテーマは「イタリアンとフレンチ」。私はフレンチ擁護派になり、乏しい知識では手数の多いイタリアンに対抗することができず、めっためたにやられた。
あいつら、サイゼリヤを出してきて「イタリアンは身近な存在」と主張するのは姑息だろう。

グループディスカッションでは全く機転を利かせられなかった。それは、私がフレンチについて無知だった点もあるが、型にはめたガチガチの仮面をかぶることにパワーを割いていた点が大きい。
面接の最後に「何か質問したいこと・気になったことありますか?」と聞かれ、私以外の4人がテンプレのような真面目な質問をして、自分のあまりのダメっぷりに開き直った私は最後……

「あの、ずっと気になってたんですけど…それ『ビッグバン・セオリー』(海外ドラマ)のTシャツですよね。自分も好きです」

と言い放った。大して興味があるわけでもない社風を聞いて、その姿勢を評価してもらおうとするのがバカらしくなったのだ。そして、私は面接開始からずっと気になっていた人事担当者の着てるTシャツについて質問してしまった。
隅に仏頂面でひと言も発さず座っていた一番やり手っぽい黒縁メガネの表情を崩したのが、その日の唯一の成果だった。

そこから私は就職活動のやり方を変えた。特に面接時の身構え方を変更した。企業理念に即した良い子ちゃんになる努力をやめて、なるべく素の考え方をそのまま出すことにパワーを割いた。

「集団面接と個人面接、どっちがやりやすい?」との質問に対して、「入室時のノックの回数やマナーが緊張で飛ぶことがあるので、集団面接の方がそういうことを(先頭でなければ)他の人に任せられて気持ちは楽です」と素直に白状したこともある。

すると、面接時に志望動機やエピソードで独自性を発揮できなくても確実に一回は笑いをとれた。終わってからの不安感は半端じゃないが、なぜか選考を次に進めることができていた。ただ残念ながら、某ローカル局は最終面接で役員にウケなかったようで敗退した。

面接官がよく個人面接で「普段の感じで話してくれていいから」と学生に前置きで言うのは、ガチガチに演出されたマスクマンを見るより、本当に普段の感じを見た方が採るか採らないか判定するのに手っ取り早いからなのだろう。

就活は恋愛、婚活。確かに自己を演出することは少なからず必要ではある。でも、本性や考え方まで変えてしまう必要はないと思う。証明写真まで“盛れる”時代、さすがにマジすっぴんで挑むことはないだろうが、自分の価値観ぐらいは“すっぴん”でも構わないのではないだろうか。

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