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【恋愛小説|4|もしも僕が触れられなくても】創作大賞2024応募作 #恋愛小説部門

|あらすじ|

ノンセクシャルの僕が恋をした。恋した彼女は、過去の傷から人間関係や恋愛を避けて生きた。秘密を抱え生きている2人。触れられない僕と触れてほしくない彼女か紡ぎ出す”体が触れない”恋愛物語。


前回のお話|3|彼女の話


|4|俺の話

「俺も話したいことがあるんだ」

そう言って、いざ自分の話をしようとするとまた自信がなくなって最初の言葉が出てこない。

「場所を変えても大丈夫?一緒に行きたい店があるんだ。お腹も空いてきたし」

今度は俺の番だよ、と言っていた男はどこにいったんだ。

「うん、私もそのお店に行ってみたいな。少し外の空気も吸いたいし……」

少し遠いが歩いていける距離にその店はある。自分の話をするならこの店がいい。真っ白になっていた頭の中も外の空気を吸い思考が戻ってきた。俺たちは適度な距離感を保ちながら目的地までゆっくりと並んで歩いた。

「一緒に月を見た時はまだ暑かったのに、今日は寒くてもう冬みたいだよね。今年の冬は寒いのかなぁ」

少し明るさが戻った夏菜子を見て安心した。だけど俺の話を聞いたらまた辛くさせてしまうだろう。今なら引き返せるだろうか。一日に二度も重い話を聞かせたくなかった。いや違う。俺の話をする……なんて咄嗟に出た自分の強気な行動にうろたえそうになっているだけだ。緊張でまた鼓動が早くなるのを感じながら目指した店の灯りが見えた時、もう逃げられないと腹をくくる自分がいた。

「ここは大学時代に友達とよく食べに来た店でさ。学生にはちょっと大人っぽい雰囲気で、お酒の種類も沢山あるし惣菜が美味しいから、いつか夏菜子と一緒に来たいと思っていたんだ」

自分のテリトリーに入り饒舌に話し出す自分が小恥ずかしい。でも一緒に来たかったのは本当で願いが一つ叶った嬉しさもあった。『お疲れー』ビールを注文し久しぶりに二人で乾杯した。注文したサラダを取り分けながら、どのタイミングで『俺の話』を切り出そうかときっかけを探していた。

少しお酒も入り和んできているこの雰囲気の中で話しを始めるのがきっといい。そのタイミングを見計らっていると、こんな時いつも口火を切るのは夏菜子の方だ。

「素敵なお店だね。サラダも美味しい。道人はどんな大学生だったの?」

「普通だよ。いや、もしかしたら陰キャ寄りな大学生だったかも」

「陰キャ?そんな風には見えないけど。サークルとか入ってた?」

「サークル?いや全然。大学時代も目立つ要素一切なかったし暗い人間に見えたと思うよ。家と大学、バイトの往復。今振り返っても明るい学生ネタがないから残念。幼稚園から中学まではサッカーをしていて、これでもスポーツ少年だったんだよ。でも中学ではベンチを温める方が多かった。高校は都立行って普通に大学進学を目指して塾通ってさ。でも第一志望に落ちて、それ以降は地味でフツーな大学生。それは今もだけど」

「地味とかよく言うなぁ。多分だけど、道人みたいな普通こそが学生らしいんじゃない?これは嫌味じゃなくて、私には退屈でありふれたいわゆる青春の一コマが何にもないなーって寂しくなるから。やっぱり私の学校生活は特殊だよね。私たち色んな話をしてきた気がするけどまだまだお互い知らないことだらけね」

お互い話してないことか、そうかも知れないと思った。どんなに会って喋っても触れられたくないことがある俺は、いつだって相手には見えないよう透明の壁を作って一線を越えられないように必死で自分を取り繕っていたことが多かったと思う。

「スマホの待ち受け何にしてる?」

テーブルに置いた俺のスマホが目に入ったらしくそれは唐突な質問だった。答える間もなく「ちょっと見せてー」と夏菜子がテーブルに置いたままの俺のスマホを取り上げた。びっくりして待って待ってと手をもがいた瞬間お互いの手が触れ合い、俺は咄嗟に手を払ってしまった。何が起こったのか分からないくらい一瞬の出来事に空気が凍りつき、今まで感じていた温かくて和やかな空間は一転した。

「ごめん、本当にごめん。違うんだ」

「違うって何が?悪いのは私の方。勝手にスマホを見ようとしたんだから。ごめんなさい。もう酔ってるね、私」

なぜごめんなさいを夏菜子に言わせてしまうんだ。彼女はいつだって俺が置いてる透明の壁を壊さず傷つけず、そこをスッと通り抜け俺の内気な心に入ってきてくれた人じゃないか。『今か』……、一瞬目を瞑り深呼吸をした。

「夏菜子、前に『私のこと、好きなのかなって』俺に聞いたことを覚えてる?あの日俺は返事をはぐらかしてしまったんだよね。答えられなかったのは酔ったせいじゃない。ずっと話さなきゃいけないって思っていたのにその勇気がなかった。今度は俺の番、聞いてほしい」

俺に向かう真っ直ぐな視線が見えるようだった。テーブルに置いた俺の手を掴みそうにしていた向かい側の手がスーッといなくなった。

「夏菜子はさっき、揶揄った奴らが嫌い、勝手に好意を寄せた男子も嫌いって正直な気持ちを話してくれたよね。揶揄われた時から10年も経つのにまだ身構えて人と距離をとって生きてるって。少し前の話になるけど、俺が普通の男の人よりも柔軟というか話しやすいって言ってくれたこともあったよね。夏菜子は中学時代に出会ってしまったその嫌いな男子達と比べて俺に良い印象を持ってくれたんだと思う。でもそれは俺からすると複雑で、もしかしたらそれは俺には男としての何かが欠けていて女性的というか中性的というべきか、男を感じないのかもしれない。……ごめん、これじゃあ何を言っているのか伝わらないね」

自分でも理解に時間がかかったことを人に伝えるのは難しい。それ以上に理解してもらおうと言葉を選んでしまうことで本当に伝えたいことを見失ってしまう。

「ノンセクシャルって言葉聞いたことあるかな。これが俺の性自認なんだ。俺は男で女性と恋愛は出来るけど、好きになっても性的欲求がないんだ。性自認は個人差があるけれど、俺は女性との性に嫌悪感も抱く時もあった。男として人を好きになり、その先……つまり心も体も寄せ合うっていうか、お互いを大切に思い近い存在になるのは普通ことなのに、俺は女性を受け入れられない。自分がそういう性自認だと分かったのは大学生の時。その前から自分は周りの友達と女子への距離が何か違うなってずっと違和感があった。恋愛対象は女性って言いながら結局、本当のところ、俺は小学生みたいな恋愛しかできないんだろうと……。ずっと違和感と息苦しさが拭えなくて、大学に入った頃から色々調べて自分はノンセクシャルという性自認とやっと知ることができて、自分が何者なのか分かり始めてきて気持ちが楽になった。大学時代は、女子と親密になることに拒絶の方が強くて、でも恋愛に発展する機会もなかったし、振り返ればそうならないようにしてたんだと思う。だから夏菜子に私のことが好き?と聞かれた時、正直動揺した。あの時、自分でもどう答えていいのかわからなかった。会うたびに君に気持ちが惹かれていきながら、でも君が受け続けてきた辛い経験に俺は一人の男として君を守り寄り添えないのだろうと、そんな感情を持ってしまうんだ」

前を向けなかった。どう思われているだろうかと目を合わせるのが怖くて、俺は下を見ていることしか出来なかった。

「ノンセクシャル。初めて聞いた言葉だから。でも話してくれて……正直もっとそのことを聞きたいなって思って」

沈黙が続くと思っていた。だから聞きたいという夏菜子の言葉を聞いた時、拒絶されることを覚悟していた心の重荷から少し解放されて、目頭が熱くなった。

「道人は人を好きになったことはある?それともそれ自身ハードルが高いこと?」

意外にもこの会話が続くとは思っていなかったから、質問されるという予想外の状況に俺自身の思考がまた追いつかなかった。

「うん、好きになったことはあるよ。ずっと昔の話になるけど。恋愛の前段階」

「恋愛より前の段階?」

「そうだね。初めて女の子を好きだと意識したのは小学4年くらいの時。幼稚園も一緒で男子と活発に遊ぶ子だった。中休みを一緒遊んだりしてたんだけどバレンタインデーにチョコをくれてそこから意識して、これが初恋なのかも。小学生だったし当時は付き合うなんて発想がなかったけどたまに一緒に帰ったりしてね。異性として接していた訳じゃなく幼なじみ。その時は自分の違和感は全くなかったけど、高校に入り、なんとなく彼女ができて思春期っていう時期が性に対して自分を複雑にしてるのかなって感じることはあったんだ。彼女のことを好きだし一緒にいたいけど、一緒にいたいという意味合いが彼女と違うことに気がついて苦しくなった。腕組みしてきたり、抱きついてきたり、髪を撫でられたり。それは恋人同士なら普通のことなのに、俺はゾッとしてしまったんだ。凄く嫌だなってね。でもなぜそんな気持ちになるのか自分でも分からないし説明も出来ない。もっと一緒にいたいと彼女が言ってっきた時、自分を守る為にただもう彼女を拒絶するしかなくて結果、傷つけてしまった。キスも出来なかったんだ。それ以来恋愛は封印」

一分の隙も見せず一気に喋ってしまった。好きな人にさえ触れられないことまで話した後の結末はもう見えている。でも初めて自分のことをさらけ出せたことに後悔はないし、たとえ今日が最後になったとしても、聞いてくれた夏菜子には感謝しかない。ただ今はそれよりも、彼女を守り続けられる男にはなれない自分がただ不甲斐なかった。

「今日は私も道人も一人弾丸トークだね。道人がこんなに自分のことを話してくれるなんて初めてだよね。そういう私もか。私たち、これまで何回話してきたんだろう。知らないことが多いのはお互い自分の過去を相手に隠してきたのか、気遣ってきたのか、自分を守ってきたからなのかな」

「そうだね。俺たちは互いに自分の乗り越えられない部分を隠して、悩みがない普通の人みたいに振る舞うことで自分を守り、人並みっていう場所に身を置いて新しい自分で頑張って生きているって自分を納得させたかったのかもしれない。ひっそり生きていれば、誰も俺がノンセクシャルとは思わないだろうってね」

「うん、わかる。本当に。今の私を見て、いじめられて不登校になっていたとは想像しないよね。だってそう見られないように生きてるから。でもね、乗り越えることは難しい。起きてしまったことは消えない、きっと一生」

「そんなことないよ。いつか君はきっと色々なことを克服する時が来る。君の言葉からこの10年どんな気持ちで今の自分を作り上げてきたのか想像してみたんだ。だけど俺は君の壮絶な時間を簡単に分かったフリはしたくない。夏菜子が封印した過去は君のものだよ。すぐに乗り越えなくたっていい、ずっと封印してもいい、いっそ忘れてもいい、君の自由にしていいんだよ。でもいつか、その時の自分を思い出したり懐かしくなったら、閉じた箱のフタを開けてみたくなる日が来るかもしれないね。(その時、一緒にいられたら……)今はそう思う」

「中高時代を懐かしく感じる時が来るかしらね。そんな未来があったら、その時私は何か変われているのかな。道人……本当に恋愛は封印したの?」

「封印というか、恋愛することで相手を悲しませてしまうだろうからね。語れるような恋愛体験はないけれど、男としての役割を俺は果たせないことが多いというか、失望させることが見えてしまうから大人になった僕は恋愛しない方がいいんだろうと……」

心にもないことを言っている。大人になった僕は恋愛しない方がいいんだろう……とか、この後に及んでまだ現実逃避を続けている。伝えられなかった言葉や気持ちはどこに行くのだろう?ノンセクシャルであることは言えた。でもその先の本当の気持ちはまだ言えてない。言ったところで無責任なだけだ。好きだよ、でも抱けないよ(普通の男は抱くとか言うのかすら分からないが)付き合ってもいないのに体を寄せ合うことの心配をして、またその先の心配をして……。まるで自分が性の犠牲者みたいで嫌だった。何者かに自分を乗っ取られ舵が取れないみたいな感覚。好きな人のそばにいられない現実。俺じゃなくてもいいという諦め。結局、今日も俺は彼女の問いに答えることができなかった。

今日という時間をどう終わられていいのか分からずにいた時、22時半にラストオーダーとなる知らせが店員から入った。思っていたよりも時間は過ぎていた。

「そろそろ時間かな?私たち19時に待ち合わせしたからもう4時間も話していたの?びっくり」

会計を済ませ、店を出ると人もまばらで静かな夜だった。

「今日は月が丸くないね。あの日と輝きも全然違うなぁ」空に向かってつぶやく夏菜子を後ろから見ていた。あぁ、俺は夏菜子が好きなのに。待ち合わせした前の店で泣いてる彼女の肩に手をあてた時の温かさがまだ残っているような気がして、自分の手を顔に当ててしまった。人の温もりを感じたのは久しぶりだった。俺たちはこのままになってしまうのかもしれない。俺が弱いんだよ。それ以外に当てはまる言葉があるだろうか。彼女が使う駅の出入り口まで一緒に歩いた。改札まで送りたがったが、彼女がそれを拒んだ。

「大丈夫、大丈夫。改札で別れるとずっと見送ってくれちゃうでしょ?申し訳なくなっちゃうからさ」

夏菜子っぽいなと思う。送りたかった俺はちょっと寂しいけれど。

「じゃぁ、ここで。気をつけて帰って」

「送ってくれてありがとう。あのお店美味しかったよ。じゃぁそろそろ行くね、おやすみなさい」

おやすみ――と言いかけたその時、階段を降りようとした彼女の左腕を咄嗟に掴んだ。

「夏菜子、夏菜子ごめんな。俺、本当に情けないよ、ごめん」

振り向いた夏菜子が気がつくと俺の両腕を掴んでいた。

「道人は情けなくないよ。今日、勇気を出して自分のことを話してくれてありがとう。私たちの問題は、私たち自身が悪いんじゃないもの。でも、生きていくには重いね。お互いに。自分を許せないのも自分。不器用すぎるのが私で、優しすぎるのが道人、でしょ?だからそんな風に自分を責めないで。お願いだから。私もう行かないと」

LINEするね、とスマホを見せて夏菜子は足早に階段を降りて行った。

長い一日が終わる。最後の行動が余計だった。あれは感情の暴走としか言いようがない。自分から夏菜子の腕を掴んでしまうなんて、こんなこと初めてだ。帰宅してから全く頭が働かず寝つけもせず、こんな時はお酒に頼るしかないと思いベランダでビールを飲んだ。冷たい空気が心地良い。月が見えたが雲がかかり明るい光はなかった。ビールを何本飲んでしまっただろう?酔いがまわりやっと眠れそうだ。枕元にスマホを置いたのは無意識、でもどこかでLINEが来ることを期待していたのかもしれない。薄目を開けて通知があるか見てみたが何もなかった。もう深夜2時を過ぎた。さすがに夏菜子も寝ただろう。

珍しく二日酔いし、朝起きるのが辛かった。その分昨日のことを思い出すこともなく、なんとかコーヒーだけは淹れてわずかな時間で朝支度を済ませた。やっぱりLINEはなかった。通知もないのに気になって夏菜子のLINEを開けた。確か最後のLINEは昨日俺からコーヒーを買う時に一度入れて、でも返事がなかったことを思い出した。短い文章だったはずの最後のメッセージは文字がぎっしりで、既読もついていた。『既読時間2:38』深夜2時過ぎに寝たはずだった俺は夏菜子にメッセージを送っていた。

ああ、なんという失態。一向に回復しない二日酔いにさらなる追い打ちがかかり、絶望と共に家を出た。どんな顔で会えばいいんだろう。このことばかりが頭を巡り降りる駅を乗り過ごしてしまった。完全に正気を失っている。やっと会社にたどり着きエレベーターの中でもう一度LINEを確かめてみた。

長いメッセージはこの言葉から始まっていた。

『夏菜子が好きです……

自分が送ってしまったメッセージの恥ずかしさ以上に『既読』の文字から目が離せなかった。何度見ても既読とついている。読まれた事実、送信取り消しするにはもう遅い現実、自分の鼓動の速さで動揺が加速していくのがわかった。茫然自失。これが今の俺だ。どうか今日だけは夏菜子に会いませんように、と俯きながらスマホの電源をオフにして自分の席へと急いだ。

(つづく)


ノンセクシュアルの定義|引用

ノンセクシュアル(Nonsexual)とは、他者に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティ。アセクシュアルと勘違いされやすいノンセクシュアルですが、この2つは恋愛感情を抱くのか抱かないのかという点で異なります。

なお、日本においては「恋愛感情の有無」を中心に捉えられる傾向があると言われており、恋愛感情も性的な欲求もない=アセクシュアル恋愛感情があり、性的な欲求がない=ノンセクシュアル。

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