【随想】少年と犬(馳星周)

少し前に『少年と犬』という本を読んだ。
犬が主人公の小説だ。
作りとしては短編連作。
喋らない犬が主人公でどう物語を進行するのか、その作劇が気になって、読んでみた。
まさか地の文で犬の気持ちを代弁してしまうんじゃないかと恐る恐る読んだが、
さすがにそこまであざといわけではなく、人間たちの生きる様を見つめる割と冷静な第三者視点として無理なく話を展開していた。
ただ、その分本当にストーリーに犬がコミットしているのか、メタ視点として読者と同等の位置で観察しているだけになっていないか、マクガフィンとして無理矢理登場させられているだけなんじゃないのかと、やはり犬に感情移入できないまま、繋がらない短編同士がいつか繋がるだろうと、その伏線回収だけを期待して最後まで読み進めた。
結果どうだったかというと、なぜか号泣。
不思議なもので、いったい何に共感したのか。
おそらく小説を読む間犬と共に過ごした時間を経て到達した何かなのだろう。
作劇の妙。作者は狙って書いたのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?