見出し画像

花譜さんの「景色」を読んでみる

花譜 #60 「景色」【オリジナルMV】

 ほぼ日刊オススメシリーズでは考察みたいな事は避けたいので、今回はガッツリ思考を書き連ねる回です。

あくまで私の感想というか感じた事をもっともらしく書き連ねたものですので、ぜひご自身で聴いてみた感想をどこかへ書いてから読んでみてください。

 まずは素直に楽曲から感じた事を書いていきましょう。『僕ら』という言葉が非常に引っかかりますね。とりあえず花譜さんと聴いている私(達)ということにしましょう。

 メロのところで言われている束縛や固定概念から解き放たれた所へ僕らは行ける。それはもしかしたら「子供」「大人」という境界かもしれないし、「男」「女」だったりするかもしれませんがこの曲を聴いた人が縛られている社会の枠組みや不文律のようなモノをイメージすれば良いのかなと。

 「あるべき自分」なんてのは正しく見えない境界ですよね。「〇〇らしくて好き」とか「〇〇らしくないね」とか。そういう考え方だと、他人からの期待からも自由になれる、という意味もありそうです。

 そして、僕らの中でも「僕」はすでにそういったしがらみから自由になっている、というのが1つポイントでしょうか。自由になった「僕」が未だ呪いにかけられている私達を解き放とうとする歌、という風に聴こえてきます。

 では、もう一つのキーになってくる『景色』というワードについても考えてみましょう。

 単純に「景色」だとさっきまでの「自由」というワードとの関連がいまいちですね。なのでもう少し広げてみます。景色っていうのは「見えるもの」ですよね。そして、MVの演出も込みの発想なんですが、電車から見える景色は「流れていくもの」ですよね。この「流れていくもの」から更にひねりを加えて「過去」にしてみましょう。

 どうでしょうかね。歌詞の『景色』を『過去』に読みかえると全体を通してわかりやすい筋が見えてきたんじゃないでしょうか。

 つまり、これまで自分がやってきた行動が他人の印象、「あなたらしさ」になったり、これまでの常識が「固定概念」であったりするわけです。しかし、涙を打ち払うのも、この先の自分の「理由なき礎」になっていくのもまぎれもなく、コレまでの「過去」になるわけです。

 「過去」にしばられることが不自由であるならば、「過去」を抱きしめることで自由になれる、ということなのかなと読みました。そして、過去から自由になるということは「命をかける価値」がある、ということをすでに自由になった「僕」が私達に語りかけてくれているわけです。だからこんなにも優しい歌でありながら、勇気をくれるわけですね。

 と、なんとなく読めた気になった所で、MVとも絡めて読んでみましょう。

 まず、花譜さんの衣装が制服からアオガラになるというのも過去、学生時代という過ぎていく景色から飛び立ちをイメージできますよね。また、『雛鳥』までは田舎、『私論理』や『アンサー』などでは都会がバックにありますが、今回は田舎の景色です。これも田舎から東京に出てきた花譜さんの『過去』の表現であるように思います。

 ただ、ここで曲名や歌詞で「過去」として書いてしまうと読みやすすぎますし、面白くもないし、情景として聴いた人に思い浮かべさせにくいですし、なにより「過去」というワードは後ろ向きなイメージが強いですよね。決して後ろ向きな事だけではない、「それまでの自分」という意味合いを込めたいからこその「景色」なのではないかなと思いました。「過去を抱きしめる」だと全然聴こえ方が違ってきますもんね。そういったことを考えると『過去を喰らう』との言葉の使い分けが本当に素敵だな、と思うわけです。

 今回バーチャルからみたこの曲の立ち位置みたいなことは『カテゴリって言葉がもはや呪い』とまで言われてるので楽曲の通りに読み取るだけでいいかなと思います。もちろん今回アニメーションで書かれている花譜さんと、フォトリアルのte’resaさんとの対比だとかを考えてみるのも面白いですが、それはまぁこの『景色』という曲の感想とはまた別の所で話をすればいいかなと思います。

 ということでこのへんでおしまいです。熱心なファンというわけではないので歌詞から読み取れること以外や、花譜さんのバックボーンや普段の発言、インタビューやTwitterなんかから面白い引用は出来ませんでしたが、すっきり読めたので個人的には良かったかなと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。それではまた別のnoteで。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?