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2021年11月のシネシネ談Part1

映画を見始めたらYouTubeの視聴時間が減った。他にもやることあるし、今月から月10本に抑えます。(結局12本観た)
ということで、11月のシネシネカウントダウンは以下の通り。

1位 ロード・オブ・ドッグタウン
2位 レクイエム・フォー・ドリーム
3位 イミテーション・ゲーム
4位 マザー
5位 ナインス・ゲート
6位 危険なメソッド
7位 ビヨンド
8位 ファウンテン 永遠に続く愛
9位 ブレイン・ゲーム
10位 13日の金曜日/ジェイソンの命日

まずは、9月の続き。
社会学者によると「虚構と現実の等価化」が1996年に始まったらしい。(エヴァンゲリオンにより)

虚構と現実が等価なら、この世界さえ幻ではないのか?という疑念が当然湧いてくる。
その「疑い」をスタイリッシュなアクションムービーに仕立てて大ヒットしたのが「マトリックス」である。(1999年)

マトリックスは攻殻機動隊にインスパイアされてるのだが、アニメにしかできなかった諸々の視覚効果が、テクノロジーの進歩で実写でも可能になった。
そうした意味で、マトリックスは歴史的ターニングポイントに位置付けられる重要な作品だと言えそうだ。

それでもマトリックスでは、擬態化した現実を解除して見えてきた虚構とは、言葉通り虚しい構造だったわけで、千と千尋のような躍動する幻想などではない。
これは西洋人の発想の限界かもしれないが、2001年宇宙の旅やインターステラーにも同種の「虚しさ」を感じる。
今聡がやりたかったのは、そうした虚しさを払拭するような虚構のワンダーランド化ではなかったのだろうか?
その今聡作品の実写化に意欲を示していたのが、ダーレン・アロノフスキーだ。

前置きが長くなったが、アロノフスキー作品を3本観た。作品の古い順にコメントしていく。

レクイエム・フォー・ドリーム

ドラッグは虚構のリアルを体感するには最も有効的な手段だろう。ドラッグムービーの多くは身の破滅を描く。この映画も例外ではないものの、アロノフスキーの視点は少し異なり、現実と虚構のどちらが真実か?という禅問答の入口になる。

最初期の作品である「π」は、世界のからくりに気付いてとち狂う数学者の話だった。要するにアロノフスキーは最初から現実の虚しさを察していた。
そこをどうイリュージョン化して楽しませるのか?という命題に挑んできたのではないだろうか。
虚構のファンタジアを演出する上で、ヤク中物語は認識し易い題材だろう。
それだけに作品の評価は一般的に高いが、それは確実な幻覚であっても、この世の真実には程遠い。ゆえに過剰な虚構のフィードバックは悲惨でしかない。

ラビリンスの美少女が大人になったら、もっとタチの悪いラビリンスに逆戻りしちゃいましたね。

ファウンテン 永遠に続く愛

ジャンキーの見る夢は悪夢だったけど、このファウンテンはとても壮大でロマンティック。まさに虚構と現実をリンクさせた上にイリュージョン化を施した映画になった。
現在/過去/未来と時空を超えてシンクロさせる発想も素晴らしい。
ただ、なんだろう?スケールがデカ過ぎたのか、映像がキッチュなせいか、被験者の追体験が追いつかない。あっけにとられてぼんやりとしたまま終わってしまう。虚構の実写化に失敗したと言っていいだろう。
ただし、ここで東洋思想やマヤ文明やらのスピリチュアルが登場。宗教が彼の映画において重要なファクターになったのが確認できる。壮大なヴィジョンを描くとなると、やはり、そうなりますか。

マザー

2017年の映画。現段階ではアロノフスキーの最新作にあたる。じつは日本ではシアタースルーされている。過激すぎたか?

たしかにやり過ぎな感は否めないが、現実と虚構のクロスオーバーに関しては、過去の作品では到達できなかった次元で展開していて、最初から最後まで目が離せない。
おそらく、ノアを経由したせいもあるのだろうが、結論として説話に落とし込む。マザーとは母なる地球であり、環境破壊を止められない人類に対するメッセージだ!という巷の解釈が正しいなら、これはとてもつまらないオチだろう。
虚構リア充を最終的に神の御技にするのは白ける。しかしだ、転じて宗教批判と解釈できなくもない。だとすると、これはなかなかの問題作。
僕には彼が神様を信じてるとはとても思えないからね。そうであってほしい。

アロノフスキーだけで話が長引いた。後編に続くとする。

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