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けれど、迷いはずっとある――平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』感想

※平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』(BRIDGE COMICS/角川書店)の内容に触れています。結末まで言及していますので、未読の方はご注意ください。

 書店の平台でみかけて「ああ、これってTwitterで流行っていたマンガだな」と思い、衝動買いした。
 初めのページからラストまで、熱い感情表現にぐいぐいとひっぱられ一度も休むことなく読み終えてしまった。ストーリーをふりかえるうちに、シイノが魂の再生を遂げる過程が思いがけずロジカルに描かれていることに気づいた。

 物語は死の報せによって幕を開ける。イカガワ マリコが大量の睡眠薬を服用し、マンションのベランダから転落して死亡した。友人のシイノ トモヨはショックを受け、マリコの実家に押しかけると遺骨を強奪し、海を目指す。
 疑問を抱いたのは「なぜシイノはマリコの死にここまで揺さぶられるのか」ということだった。

 シイノは友達が少なく、どうやら交際している男性もいないらしい。中学時代から教師の目を盗んで煙草を喫い、スマートフォンには上司を「クソ上司」と登録している。マリコの遺骨を奪うべく包丁をバッグに忍ばせて押しかけ、旅先では見知らぬ土地だというのに飲んだくれて野宿する。
 裏表紙のあらすじ紹介では“柄の悪いOL”と形容されている。豪放磊落、傍若無人という四文字熟語がよく似合う。あまり繊細さとは縁のなさそうな、他人のことはどうでもよさそうな性格のシイノがなぜ、マリコの死に動揺したのか。
 その疑問は物語の半ばを過ぎて、ますます深まっていく。遺骨を奪うときシイノは、マリコの不幸な家庭環境を思い返す。しかし、それは子供のときの話だ。家庭内暴力をふるっていた父親は良い再婚相手に巡りあい、マリコは実家をでてマンション暮らしをしていた。
 中学生のとき、シイノはマリコを花火に誘う。しかしマリコが父親に暴力をふるわれ、とりやめになる。成人した二人は一緒に遊ぶ仲となり“ほらいつか花火やり損ねたことあったじゃない?/これ大人買いして実家燃やそっかナ”(p.118)と冗談を言う。
 二十六歳になった二人にとって青春時代の不幸はもう遠い出来事だったはずだ。なぜシイノは犯罪を辞さないまでに思い詰めるのか。

 初読時、よく理解できないことばがあった。まりがおか岬にやってきたシイノは、幻想のマリコに抱きつかれ“「お願いシイちゃん」/「〝おまえが悪かったんだ〟って言って…!」”(p.127)と懇願される。
 これが、おまえは悪くないと言われたがるのならわかる。誰だって「普段の行いが悪いから、お前は不幸なんだ」とは言われたくないだろう。不幸は他人のせいだと思いたい。なぜ自分が悪いと言われたがるのか、マリコの心情を理解できなかった。
 それは次のことばにヒントがある。マリコの高校進学をきっかけに復縁した母親は、またでていってしまう。マリコは“わたしが悪いんだって/わたしのせいなんだって/わたしが……/わたしが「誘惑したから」/お父さんわたしに「手ぇ出しちゃったんだ」って”(p.20)とシイノに告白する。
 マリコにできた恋人を、シイノがフライパンをふりまわしてマンションから追いだしたことがあった。しかしマリコはその男に再び会い、暴力をふるわれ腕を骨折する。シイノは呆れて思わず“あんた感覚ぶっ壊れてンじゃねえの…!?”(p.121)と口にする。
 マリコは平然と“そーだよ/わたしぶっ壊れてるの”と答える。“わたしがイラ立たせるようなことするから殴った/わたしが言うこと聞かないから叩いた/わたしが誘惑したから襲った/わたしがしつこくすがりつくから煩わしくて出てった/もうどっから直してけばいいのか/わかんなくなっちゃった”と語る。
 人は、無意味な不幸に耐えられない。いっそ意味を捏造してでも理由のある不幸に救われようとする。
 父親の粗暴さも、恋人のクズみたいなふるまいも、常識的に考えればマリコにはなんの落ち度もない。けれどマリコはいっそ“おまえが悪かったんだ”と言われたかった。それで母親がそばにいてくれるなら、他者とのつながりを保つことができるなら、自分こそ諸悪の原因だと認めて構わない。それがマリコにとっての救いだった。

 海へと向かいながら、シイノはマリコとの、決して美しいことばかりではなかった過去を思い返していく。
 一人で酒を飲み、オッサンたちに声をかけられると、マリコと交信できなくなると声を荒げる。“こうしてる間にもどんどんあのコの記憶が薄れてくんだよ/きれいなあのコしか思い出さなくなる……/あたしッ 何度もあのコのことめんどくせー女って…! 思ったのにさあ……っ”(p.99)と泣き顔を両手で覆う。
 高校生のとき、マリコはシイノに彼氏ができたなら自分は死ぬと断言する。シイノの目の前で手首にカッターナイフの刃を押しつける。なるほど、シイノが“めんどくせー女”と思うのもよくわかる。
 社会人になってからも二人は一緒に遊ぶ仲だった。一方でマリコから“「最近 全然会えなくなっちゃったね シイちゃんは社会人だから仕方ないよね」…”(p.118)と手紙が届くこともあった。マリコの死を知ったシイノは“だってあたし達先週遊んだばっか……”(p.5)であり、自殺する徴候など無かったと思い返す。
 なぜ二人の心はすれ違っていったのか。さまざまな解釈があるだろう。不幸な家庭環境からマリコを救えなかったことに、シイノはずっと負い目を感じていたのかもしれない。
 ただ私は二人の生き方の違いが、人間関係に対する考え方の違いが大きかったのではないかと想像する。
 マリコの死を知ると、シイノは営業の外回りをすっぽかして直帰する。海へと向かう電車内で、上司からスマートフォンに電話がかかってきても無視する。
 シイノは重い感情をぶつけてくる相手を面倒くさいと感じる。誰かに自分を理解してもらうことをあきらめている。独りでも大丈夫だ、仲間など要らないと突っぱねる。
 前述のとおり、男に腕を折られたマリコにシイノは呆れる。だが、自分は壊れていると告白するマリコに言葉を失う。幻のマリコに抱きつかれ、私が悪いと言ってと懇願されると“ううんマリコ/あんた何も悪かない/あんたの周りの奴らがこぞってあんたに自分の弱さを押し付けたんだよ…”(p.128)とことばをかける。
 素直に受けとめれば“あんたの周りの奴ら”とは、マリコの父親や恋人のことだろう。しかし、ここにはシイノ自身も含まれるのではないか。
 見知らぬ土地で飲んだくれるシイノは、かつてのマリコとの会話を思いだす。自分なんかを好きになってくれるなら、どんな人でも我慢すると口にするマリコに“あんたにはあたしが/いたでしょうが!”(p.96)と叫ぶ。
 ならば、なぜその想いをマリコへ生きているあいだに伝えなかったのか。
 それがシイノの弱さだった。がさつで、ふてぶてしく、独りでも平気で、そして誰かと一緒に生きていく覚悟のない女。
 シイノもまた自分の弱さをマリコに押しつけていた。自分の信じる正しさの外へ、一歩もでることができない。クズみたいな男はフライパンをふりまわして追い払う。それがシイノの生き方だった。マリコのような生き方、他者の弱さを受け容れ妥協することなど、彼女には思いもよらぬことだった。

 人は成長するにつれ、いずれ自分の弱さを知る。
 苦手なこと、嫌いなこと、面倒なこと、やりたくないこと。挑戦をくりかえすうちに克服することもある。新しい体験で考え方が変わることもある。けれど、そうではないことのほうが多いかもしれない。
 自分の弱さから目を逸らし、目を逸らしていることそのものすら忘れてしまう。自分の生き方はこうだと決めて、それがすべてだと思いこむ。自分の正しさを誰かに否定されるのが怖くなり、これが間違っているなら死ぬほうがましだとさえ思い詰める。
 けれど、迷いはずっとある。
 シイノがマリコの死に揺さぶられたのは、ずっとマリコだけがシイノのことをあきらめなかったからではないか。その最後の一人に、あきらめられてしまったかもしれないのが怖かったのかもしれない。
 それはシイノにとって生き方の分岐点だった。マリコとの苦く美しい思い出だけを胸に残し、これまでと同じく独りで生きていくのか。これは二人の女の、生き方を巡る闘いの物語だった。
 岬から撒いた遺骨に手を伸ばしながら、シイノは“わたしシイちゃんから生まれたかった/シイちゃんの子どもになりたかったよ”(p.141)というマリコのことばを思いだす。これは空想に過ぎないが、自宅マンションへ帰ってきたシイノがみつけるマリコからの最期の手紙にも、同じ意味の文章が綴られていたのではないか。
 悲哀を誘うはずの文章に、シイノはただ“…うん”(p.154)とうなずく。命がけの旅を終えて、ようやくシイノはマリコと一緒に生きていく覚悟ができたのかもしれない。

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