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自由、尊厳、友愛――TVアニメ『ガールズバンドクライ』感想


はじめに

 新型コロナウイルス感染症が世界的に流行していた時期、中国でのニュースが印象に残っています。スマートフォンアプリによって行動を監視され、もし感染が始まれば都市が丸ごとロックダウンされ外出さえままならない。
 では自由の国、アメリカはどうだったか。2022年5月には累計死者数が百万人を越えたとのニュースがありました。第二次世界大戦におけるアメリカの死亡者数は軍人、民間人併せて四十万人ほどですから、その二倍以上です。新型コロナは平等に人の命を奪ったわけではなく、人口比率からして明らかに黒人やヒスパニック、ネイティブアメリカンに偏っていました。

 ここからひとつの教訓めいた言葉を捻りだすとしたら「自由であること、それだけで尊厳が守られるわけではない」ということでしょうか。弱肉強食の世の中でただ放任されるだけの自由に甘んじていると、いつか自己責任の名の下に命さえ奪いとられかねない。

 以下、TVアニメ『ガールズバンドクライ』(2024年4月~6月放映)について物語の大きな流れと、私が思ったことをまとめておきたいと思います。
 結論から言えば、このアニメが描いたのは自由、尊厳、友愛のバランスだったのではないか。自由でいるだけでは大きな不条理に押しつぶされます。自分こそ正しいと尊厳を守ろうとすれば、友愛を犠牲にすることもある。逆もまた然りで、尊厳を守るためにこそ力になってくれる仲間が、友愛が必要になってきます。
 公式サイトやWikipediaなどの記述も参考にしていますが、おおむね一度視聴したきりの記憶に頼っており、不正確な記述を含むかもしれません。

※以下、TVアニメ『ガールズバンドクライ』の内容に触れます。結末までのストーリーに触れますので、未視聴の方はご注意ください。

中指立ててけ!

 この物語の主人公、井芹仁菜の特徴は第一話から明確に描かれます。それは誰しも覚えのある、若者に特有の青臭い特徴です。
 熊本の高校を中退し、大学進学を目指して予備校に通うべく上京します。川崎で降りるはずが新幹線で寝過ごし、不動産会社から部屋の鍵をもらいそこねます。隣の部屋の住人に助けの手を差し伸べられますが、仁菜はそれを振り払います。なぜ仁菜がかたくなに拒むのか、この時点ではわかりません。
 夜の街で仁菜は、ストリートライブをしている河原木桃香を偶然みつけます。以前から桃香のファンだった仁菜は、桃香が音楽活動を辞めようとしていることを知ります。桃香にもらったギターに綴られた「中指立ててけ!」という言葉に背中を押されるようにして、仁菜は桃香に音楽を続けるよう説得します。桃香の曲を仁菜が歌い、それがきっかけとなって仁菜をボーカリストとするバンドの結成につながっていきます。

 詳細は後々明らかになってくるのですが、仁菜には高校でイジメの被害を受けた過去がありました。学校はおろか父親すら味方になってくれず、それどころかイジメの事実自体を無かったことにしろ、表面上だけでも和解したことにして問題を終わらせるよう強要されたのでした。
 当然のことですが、部屋の鍵をもらい損ねたのは仁菜に落ち度があります。新幹線で寝過ごしたのは間違いなく仁菜のミスです。隣の部屋の住人は優しそうな夫婦でした。しかし一晩お世話になるとしたなら、どうしても自分の過ちを意識せざるを得ません。そんな状況がいたたまれないと想像できたから、救いの手を拒んだのでしょう。
 こんな誰の目にも明らかな状況でさえ、仁菜は「間違っているのは自分、まわりのほうが正しい」ということを認められない。高校時代の出来事がトラウマのように仁菜を苦しめていることがわかります。

誰かに認めてもらいたい

 想像がつくと思いますが、仁菜の「自分が間違っていることを認めたくない」という想いは人間関係に軋轢を生みます。
 第二話ではドラムの安和すばるが登場し、初対面で緊張する仁菜のため気を遣います。しかし、気を遣ってくれているというそれだけのことが仁菜は許せなくなり、まともに人間関係を築けず一人で生きていくしかないと思い詰めて泣きます。
 次第に桃香の過去が明かされていきます。高校時代の部活仲間と組んだガールズバンド「ダイヤモンドダスト」(略称はダイダス)に桃香は所属していましたが、プロデビューにともない売り上げのため望まぬ戦略を強いられ、一人だけ脱退します。
 初めは勉強を優先していた仁菜でしたが次第にバンド活動にのめり込んでいきます。ベースのルパ、キーボードの海老塚智が加わり「トゲナシトゲアリ」(略称はトゲトゲ)というバンド名も決まって順風満帆に見えましたが、桃香が突如脱退を宣言します。
 第八話では桃香が袖口からダイダスの舞台を見せ、仁菜に心情を打ち明けます。プロデビューしてしまえば望まぬこともしなければならない、純真に歌う仁菜にそんな思いはさせたくないのだと。
 うっかりダイダスのメンバーたちと鉢合わせになり、桃香は逃げだしますが仁菜がそれを押しとどめます。桃香はダイダスにフェスで勝負しよう、正しいのは自分たちのほうだと宣戦布告にも似たことを告げます。その直後、仁菜に好きだと告げられた桃香は号泣します。

 仁菜の告白も桃香の涙も、それほど唐突なことには思えません。二人は口喧嘩ばかりしていますが、高校時代の仁菜は桃香の曲に勇気づけられて立ち直りました。桃香への仁菜の想いは崇拝にさえ近いものであり、好きだという告白は「なにをいまさら」とも感じます。しかし、そこに至る論理展開は複雑なものがあります。
 桃香はダイダスのメンバーたちと仲が悪かったわけではありません。ただ芸能事務所の戦略を受け容れることがどうしてもできず、訣別には後悔がありました。ざっくり言えば、高校時代から続く友情と自分のエゴイズム、どちらを選択すべきか決断を迫られ後者を選んだ。自分のほうが間違っているとは認められない点で、仁菜と似ているわけです。
 仁菜が欲しかったのは、厳しい現実に負ける姿を見たくないという桃香の優しい、親心にも似た愛情ではなかった。訣別したメンバーたちに間違っているのはおまえたちのほうだと告げること、自分を貫くことでした。その姿を目にすることができたからこそ急に仁菜は桃香に好きだと告げ、そして桃香は号泣します。懊悩の末にダイダスを去った自分は間違っていなかったと、認められた気持ちがしたからでしょう。

自殺に似た自由、呪いに似た愛情

 第十話では、予備校を辞めた仁菜が熊本に里帰りして家族にバンド活動のことを打ち明けるも、父親と口論になります。危うく喧嘩別れしそうになりますが、父親に諭され学校へ同行します。恐らく父親は長い時間をかけて学校に働きかけたのでしょう、謝罪文を書かせていました。
 帰宅した仁菜は、半ば放心したように高校時代をふりかえります。そこには怒りや悲しみだけでなく、まるで空を飛んでいるかのような、あるいは墜落していくかのような解放感がありました。

 このタイミングでなぜ急に仁菜が当時の心境をふりかえるのか、私は次のように解釈しています。これまで仁菜は誰も自分を認めてくれないという憤懣に突き動かされて歌ってきた。それが急に父親や学校が態度を変え、望みは叶ってしまった。仁菜は歌う理由を失ってしまったのです。
 そこで仁菜は、過去の自分にあったのは憎しみや悲しみだけではないと気づいたのではないでしょうか。そこには自由があった。誰かに命じられるまま従うのではない、たった一人でも本当に正しいと信じたことをしている高揚感があった。
 もちろん自由は大切です。けれど自由のために人付き合いを投げ捨て、誰とも意思疎通を拒むことは、いわば緩慢な自殺のようなものです。回想の中の仁菜が空を飛ぶようでいて、奈落の底に落ちていくようでもあるというのはその暗示ではないでしょうか。
 夕食に辛子蓮根カレーを食べながら仁菜は姉から、誤解やすれ違いはあるにせよ家族に愛情はあると、生きててくれてありがとうと伝えられます。この祝福の言葉は、とりようによっては呪いの言葉でもあるでしょう。

 翌朝、仁菜はこっそり家をでていこうとします。心の中だけで「いってきます」と何度もつぶやき、そのとき仁菜の背中にトゲトゲした黒い線が浮かびます。これは第一話から何度も使われてきた演出で、恐らく仁菜が「正しいのは自分のほうなのに」という憤りを覚えていることを表現しています。
 では、なぜこのタイミングで黒い線が湧くのでしょうか。私が思うに「いってきます」が家族としての言葉だからではないか。それを口にしてしまえば、自分は家族の一員であることを認めざるを得ない。好きな音楽に打ちこみ自由に生きたい自分、家族の愛情を受け容れたい自分、その二つの葛藤を表現していたのではないか。
 幸い、このジレンマはあっさりと解消されます。父親も桃香の曲は良いと口にし、音楽活動を認めてくれます。こうして仁菜は「いってきます」と大声で叫んで熊本を離れ、川崎で待つ仲間たちの元へ帰るのでした。

たったひとつ勝ちとったもの

 スカウトされ、プロデビューを果たした仁菜たちにダイダスから企画が持ちこまれます。一日目にダイダスが、二日目にトゲトゲがステージに上がり、集客数で勝敗を決めようというのです。知名度の差からしてダイダスの敗北は初めから確定しているようなものでしたが、仁菜たちは勝負を受け容れます。
 桃香の脱退後、オーディションでダイダスの新しいメンバーに選ばれたヒナは偶然にも、高校時代に仁菜と友人だった人物でした。イジメられている生徒に肩入れしようとする仁菜にやめるよう忠告したことで、二人は絶縁します。ヒナが危惧したとおり、イジメを止めようとしたことで仁菜はイジメを受ける立場へ追いやられたのでした。
 最終話ではそのヒナが突然、仁菜にコンタクトをとります。トゲトゲを担当するマネージャーの三浦が、二日目にダイダスにもステージへ上がってほしいと頼んできたことを知らせてきます。トゲトゲのデビュー曲の再生回数は散々なものでした。これで企画でも圧倒的な差で敗北となれば大きな打撃となります。ダイダスにステージへ上がってもらえばチケットが売れ、傷を和らげることができます。
 自分の間違いを認めるならステージに上がってもいい。そう挑発してくるヒナを、仁菜は拒絶します。仁菜はヒナとの過去も含めてメンバーに打ち明け、賛同を得ます。桃香は、事務所を辞めてフリーに戻ることで責任をとると三浦に伝えます。
 ルパや智がバイトをしていた吉野家の前で、仁菜は「紅しょうがの誓い」を提案します。それは今後もこの五人で音楽を続けていくという約束でした。

 仁菜が過去を打ち明けたとき、真っ先に共感を示したのは智でした。恐らく、性格的に仁菜といちばん似ているのが智だからではないかと思います。智も世間知らずなお嬢様めいたところがあり、率直な物言いをして軋轢を生んだ過去がありました。そのことに後悔がありながらも、仁菜に心動かされ素直な言葉を口にする勇気を回復するエピソードが第九話です。
 もしも私が脚本家だったなら、第八話で仁菜が桃香の正しさを認めたことを踏まえて、ここで桃香に仁菜のことを認めさせて話を丸く収めたくなります。しかしそれでは桃香と仁菜との関係に閉じてしまい、トゲトゲというバンド全体を包むことができません。
 フリーで十年後も続けていられたら、ただで仕事をしてあげる。レコーディングエンジニアの中田にそう言われたことがきっかけとなり、仁菜はバンドのこれからのことを考えるようになったのでしょう。そして紅しょうがの誓いへとつながります。
 それはただ、トゲトゲのメンバーたちが仁菜のことを理解してくれたからだけではないと思うのです。ただの仲良しこよしではないなら、いつか意見が分かれたとき関係を解消すべきでしょう。自分こそ正しいと信じてきた仁菜なら、それができるはずです。
 なぜ紅しょうがの誓いが必要なのか。きわめて単純なことですが、仁菜は自分を認めてくれたことがうれしかったのかもしれません。当たり前ですが、必ずしも友愛は悪いものではない。ただそれが「正しいのは自分のほうだ」という尊厳と天秤にかけざるを得ないことがある。これまでもそうだったように、これからも仁菜は臆せずメンバーたちと衝突をくりかえすことでしょう。
 その上で、この五人でずっと一緒にやっていきたい。正しいと信じたことに共感した者たちが奇跡的に出会ってここにいる。この関係をけっして失ってはならない。そんなふうに仁菜は感じ、この関係を守り続けようと覚悟したのではないでしょうか。

 演奏当日、会場にはヒナの姿もありました。ヒナもまた、仁菜の生き方を認めていたのではないか。あえて三浦の動きを伝え、断らせるよう誘導したのではないか。自分の誤りを認められない仁菜の姿勢はあまりにも理想的で、だからこそ仁菜が夢を叶える姿を見たくなる。そんな解釈も可能だということを示して物語は終わりを迎えます。
 第十話で、自由でいるためなら仁菜は家族さえ捨てる覚悟をしました。幸いにも音楽活動を認められ、仁菜のジレンマは解消されました。では、相手に愛情がなければどうか。デビュー曲が失敗に終わり、ダイダスに負け、トゲトゲはフリーに戻ります。客観的に見れば良いことはひとつもありません。たったひとつ仁菜が勝ちとったもの、それは同じ夢をわかちあう仲間でした。

おわりに

 このアニメはやや甘いところもあります。ほんの少し前まで普通の女子高生だった仁菜がボーカリストとしてプロデビューに至る。音楽活動を認めてくれる家族たちも、ものわかりが良すぎる感があります。
 けれど、別の形でこのアニメは厳しい現実を描きます。こいつさえやっつければすべて解決するような諸悪の根源、わかりやすい悪役などいない。これさえ信じればすべてがうまくいく万能のイデオロギーなど存在しない。
 放任される自由を享受しているだけでは、自分の正しさを認めてもらえない。言葉を交わすことを放棄していては緩慢な自殺にしかならない。関係を育み、対立し、闘わなければならない。誰かに自分の正しさを認めてもらい、夢をわかちあって大きな力につなげていく。
 自由、尊厳、そして友愛。それらの難しいバランスを描いたアニメだったかと思います。

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