だまった

わたしは黙った、教会で神様がこちらを見下ろすから。ここでなにかを話したら、26人の殉教者とは、対等になれない気がしてた。だけれどそもそも対等じゃない、わたしのこの出来損なった人生、神様のいない人生。すべてを許すとか言うんなら、ついでにわたしのことも赦してほしいと神様を見つめてみて、すこし笑った。だけど傍で感じるのは呑気な猫の気配と、ステンドグラスに見蕩れる少女の目。もっと呑気でいいんだ。きっとそうだ。わたしのリズム、この息の詰まる歩きかたは幸せを見えないようにしてしまう、不幸なんだとしんじてしまう。よくないんだろうが、よくないんだろうか。昔から鉛筆でかいた色の幅の狭さがすき、見えるものは明度だけでいい。明度だけでいい。華やかな美しさなんて誰かにあげる、わたしには乱反射のひとつが刺さって見えただけ。その程度。その程度でいいんだ。それがいい。

人の隙間を縫って素早く歩けてた無敵の頃に帰りたい。狭い、狭い、いま歩くならば人混みのすぎる時を立ち止まって待ってしまう。人のすぎた静かな道の真ん中を、全て手に入れたみたいに優雅にあるく。ひとりだけど自由。それがすごく淋しいことだと知っていて知らぬふりする。あの人と偶然みたいに会いたかったんだ、その方がよっぽど忘れない。

14で死んだ殉教者がいた。あの子が母様に贈った言葉はあまりにも若くて、やわらかくて、透けていた。それでも産まれたてのこころにだって槍がささる。わたしとおんなじ色の血が出るんだって聞くと変だね、あげる。わたしの赤いところはすべてあげる。すべてあげるからしあわせでいてほしい。祈りも願いもいらないくらい、どうかしあわせに。神様を信じないわたしがなにを言っても聞こえないだろうか。聞こえてほしいという思いを祈りと呼んでしまえば、ああ甘い。思考が甘い。そんな覚悟はいらなくてただひたすらに黙った。

さて長崎は坂道がほそく伸びて、ゆくさきが空の中に続いている。お星様に近づいていく、手を伸ばせば届きそうだったので伸ばさなかった。今日星に触れれば、もうあの人にあえない。あの人の名前の漢字をすこし迷った、音は覚えてる。音で覚えている。音で覚えたあの人ともう会わずに去るなんて、わたしにしては出来が良すぎる。ドラマチックな展開になってはいけない。身の丈に合わない不幸も幸せもよくないよ。ほらまた会う時にも戸を開けたらいつもみたいに大きな身体を折り曲げていて。部屋の隅で。当たり前のようにわたしに振り向かずいて、まるで死んだ人のように扱ってほしい。そうでないと泣けてしまう。
とくに今日なんか泣けてしまう。淋しいというのがどんなものか、最近よくわかるんだ。

十字架の跡地にツバキの花を挿した船員さん。雪が降って白と赤、綺麗だなんて言ったけどこの色はあの瞬間の色とおんなじだった。白と赤。白と赤。わたしたちの覚えていることが断片的につながっていく、展開図の線たちのようにくっついて、そして立体化してく。やっと繋がりきったところでまたバラけていく。惜しいね、完成しそうになるとうっかり手を滑らしたくなる、わたしはね星座みたいに少しだけ離れたところで形になっていたいよ。明日きみがいなきゃ困る、イヤホンでスピッツが歌ってる。甘いね。ああどんな悲劇も喜劇も、ちゃんと終わりますように。

それから、東京の光は手を繋いでいて、隙間から逃げられないように閉じ込めてくるから圧がある。ずっと生きてた街なのにまだ怖い。怖いけれどね、それもすき。
長崎の光はパラパラ。パラパラって言葉に炒飯を思い出したあと誤魔化すみたいに星の話をした。灯った光のまわりはまた暗くて、また光があって、いい。ちゃんと黒をわすれないでいる。浮遊している点々の自由な形、わたしがそこから何を見いだしても許してくれそうな夜。無造作な光形に惚れて、大きな息を吸った。酸素ってまわる。
夜、長崎のことを肺で覚えた。細胞があたらしくうまれかわりきるまえに、もう一度会いに来て、そしたら今度こそお墓を立てる。きっとこの町でしにたいよ、信じていない神様のもとで、一体何やってるんだか分からなくなって、すこし自分を馬鹿にして、ひとりぼっちの光たちと一緒に光って眠るよ。身の丈に合わないかもしれないけど最後くらいは贅沢がしたい。愚かで哀れなゆめだけど、眠る時は静か、静かでいい。永遠に寝るなら深い眠りのほうがいい、それでねときどき海に逃げてお父さんを思い出したりしたい。船に乗っていったお父さんのこと。

信号のない車道を越えなきゃならなかったバイト先、車の途切れる間を見つけられなくて遅刻したことを覚えてる。大縄跳びの縄に飛び込めなかった瞬間から、わたしいつも目で追ってるだけ。お父さんの行った海も、船を目で追ってただけ。今もそう、傍をゆく知人のつま先や踵の行く末を目で追ってるだけ。桜の散る軌道を目で追ってるだけ。雪の散る起動を目で追ってるだけ。長崎に来たってそう。祈りや魂の行く末を目で追ってるだけ。
すこしつかれた。つかれたんだ。もう潰れて消えてしまいそうなくらいつよい力で抱きしめてほしい、この旅で出会った神様はやさしくてちがったからまた悲しかったんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?