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ベーコンエッグに対するニワトリと豚の貢献度の違いについて

ベーコンエッグという一皿

これはRetailAI Adventurers Advent Calendar 2023の記事です。

唐突なんですが、ぼく、ベーコンエッグ好きなんですよね。朝食にベーコンエッグが一品あれば、それだけで朝からちょっとテンションがあがるというか、その日一日いい気分で過ごせるような気がするんですよね。

そんなベーコンエッグですが、食材はベーコンとエッグとで構成されていて、いわずもがなベーコンは豚、エッグはニワトリの卵で作られることが一般的なのではないでしょうか。

ここで、ふと考えてしまうのが、ベーコンを提供する豚に比較すると、ニワトリはベーコンエッグに対する貢献度が低いんじゃないか、今日はそんな話です。

豚の生命とニワトリの生命

豚の場合、ベーコンを提供するにあたり、人間の食材として提供されるには、その生命を終える必要があります。つまり、文字通り豚は体を張って、我々人間にベーコンという形で食材を直接提供してくれているわけです。

そう考えると、豚の貢献は命がけですね。

ところが、一方、ニワトリはというと、定期的に卵を生むだけで、間接的に食材を提供する形になっています。(鶏肉という形での食材となると話は違ってきますが)

要するに、ベーコンエッグを作るという目的に対しては、ニワトリは卵を提供するものの自分の生命は絶たれることはないのに対して、ベーコンを人に提供するためには、豚は自らの生命を絶たれるというのは、なんだか割が合わないように思えるんですよね。

ところで、と、ここでふと思います。

こういう目的に対する貢献度の差って、人間同士のやり取りにもよくある話なんじゃないかと。

そうすると、自分はベーコン側の人間なのか、あるいはニワトリ側の人間なのかと、考え込んでしまうわけです。

ベーコン的貢献とニワトリ的貢献

何らかのプロダクトを世に送り出したい組織にとって、ベーコンとなった豚のように、自分の生命を賭してまでとは言わないまでも、自分が体を張ってプロダクトの価値創造に貢献する人はベーコン的貢献だという気がします。

そして、ニワトリのように自分は単に卵を産み、チームに直接関わることなく、人や技術という形でリソース提供に徹するのは、ニワトリ的貢献と言えるのではないでしょうか。

いうならば、直接業務と間接業務の違い、組織においてはそのようなことかもしれません。

そこでよくあるのが、組織にとって自分ごととして参加できている人は偉くて、逆に自分の生活やスキルを重要視している人は、考えを改めるべきだ、なんて話よくありますね。

あるいは、営業的な役割でお金を取引している人、戦略を考えている人が偉くて、プロダクト開発や運用に関わる人は、軽視されるなんて話も。

改めて考えてみると、ベーコンエッグというレシピがプロジェクトの価値だとして、自分ごととして参加するのがベーコン、間接的に貢献するのがニワトリ、あるいは、営業がベーコン、開発・運用がニワトリなんだとしたら、ベーコンばっかりがたくさんいてあれこれと主張するだけでもダメだし、かといってニワトリが卵を産むだけでもダメ、そのバランスが取れていることが、ベーコンエッグにとっての価値だと思うんです。

みんながみんな、体を張って身を削って、プロダクトの価値に貢献するのもいいですけど、そんな無理したって長くは続かないです。

だからこそ、間接的に負担のない形で貢献し続ける力もまた、プロダクトの価値を作っていく上で重要な要素だと感じます。

思いの強い人こそ「ベーコンエッグの価値は、生命を掛けて貢献しているオレたちの方が偉い」そんな主張をしたくなる気持ちは、重々理解できますが、卵の供給が途絶えさせないニワトリたちの貢献もあって成り立っていることも彼らにはぜひ理解して欲しいですね。

プロダクトを一生懸命に推進している人にとって、特定の技術貢献によって間接的に参加している人が、どこか本気じゃない、他人行儀だと感じてしまうのは致し方ない部分もあります。

ところが、実際にこのプロダクトの価値を見出しているユーザさんにとって、作り手側が一生懸命推進しているかどうかはどうでもいい話で、利用しているプロダクトが、本当に美味しいベーコンエッグなのかどうかしか関心はないんです。

豚とニワトリ、お互いに理解するためには、ユーザさんと同じ目線で、美味しいベーコンエッグになろうと協力することが大事ですね。

まとめ

とかく、ぼく自身はベーコン的貢献に傾倒しがちで、卵を提供してくれるニワトリは当然のことのように感じてきてしまって感謝を忘れてしまいます。

卵にしたって、ニワトリは可愛い子どもを食材として提供し続けていると考えると、悲しみを抱えて生きている方が、自らの生命を落とすこと以上に辛いことかもしれません。

ベーコンエッグという一皿が提供されるのにも、食材それぞれがその皿の上に並ぶ過程に様々な要因や条件があります。調理にしたって、美味しくできる日もあれば、しょっぱい日など満足いかない日も当然あります。

ベーコンエッグが焼きあがる間、それらの工程に思いを馳せながらも、美味しいベーコンエッグが出来ているか、その本質に目を向け続けていくように、プロダクト開発にも向き合っていかないとなぁと感じる次第です。

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