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平凡パンチの時代

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高度経済成長期の1960年代の日本の大衆社会に登場、若い男性読者が対象の週刊誌として出現し、日本の文化を根底から変えていった雑誌があった。 その雑誌の目ざした夢と理想、どんな人た…
これまで二度、単行本になっていますが、発売時はベストセラーとして話題になった、出版界では有名な本で…
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2020年12月の記事一覧

『平凡パンチの時代』 第一章 報道班撮影担当 長濱 治

■巻頭グラビア 『平凡パンチ』では立木義浩をはじめとして、たくさんのカメラマンが活躍した…

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塩澤幸登
3年前
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『平凡パンチの時代』 第二章 横尾忠則と死亡遊戯

いま、わたしの手もとに1冊の古い雑誌がある。残念ながら『平凡パンチ』ではない。『ガリバー…

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塩澤幸登
3年前

『平凡パンチの時代』 第三章 奈良林祥とセックス革命

昭和39(1964)年4月2日、雑誌『近代文学』は通巻第185号を発行し、この号を最終号と…

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塩澤幸登
3年前

『平凡パンチの時代』 第四章 野坂昭如と三島由紀夫

本書の前身にあたるマガジンハウス編の『平凡パンチの時代』が出版されたのは平成8(1996…

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塩澤幸登
3年前
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『平凡パンチの時代』 第五章 従軍記者・小林泰彦。

1991(平成3)年に三省堂が出版した、鶴見俊輔らが編集した『戦後史大事典』という事典が…

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塩澤幸登
3年前

『平凡パンチの時代』 第六章 堀内誠一と立木義浩、ファッションの確立

わたしは昭和22(1947)年の生まれで、『平凡パンチ』が創刊されたとき、17歳だった。なん…

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塩澤幸登
3年前

『平凡パンチの時代』 第七章 清水達夫と大橋歩〜表紙のこと〜

平成4(1992)年、12月の暮れに会社の仕事納めを見計らうようにして死んでいった清水達夫(マガジンハウス会長)は、寡黙で、ものごとをけして大げさにいわない人であった。その晩年に、『生涯一編集者』という言葉を好んで使った、『平凡』『週刊平凡』『平凡パンチ』と、三誌もの百万部雑誌を生みだした、この戦後最大の雑誌出版の巨人は、生涯に何度か、いまは伝説として語り伝えられている乾坤一擲の大勝負を挑んで、それに勝ち抜いたのである。そのなかでも最大の賭けはやはり『平凡パンチ』の創刊作業だ

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『平凡パンチの時代』 第八章 生沢徹の疾走

時々、自分の若かったころのことを思い出して、アレはなんだったのだろうと考えるのだが、子供…

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塩澤幸登
3年前