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『平凡パンチの時代』 第三章 奈良林祥とセックス革命

昭和39(1964)年4月2日、雑誌『近代文学』は通巻第185号を発行し、この号を最終号として休刊となった。
『近代文学』は終戦の翌年、昭和21年1月、本田秋五、荒正人、平野謙、小田切秀雄、佐々木基一ら、戦前のプロレタリアート思想を受け継ぐ系譜の若手文学者たちによって創刊された。以後、18年間、生真面目に[人間はどう生きるべきか]あるいは[日本はどうあるべきか]という、文化の根源的な問題をその時代の文学者たちなりに問いつめつづけた。
この文芸雑誌の周辺からは、右記の人たちのほかに、埴谷雄高、安部公房、三島由紀夫ら、戦後日本文化に対し独自のスタンスをとる実力派の文学者、作家が多く現れた。日本の戦後を実際に自分たちが経験した戦争との関係のなかでとらえ、転向や戦争責任の問題を通して、なんとか戦後の日本社会の基準を設定しようとして[現代の日本文化の正しい形とはなにか]を問いつづけた雑誌だったのだと思う。
『近代文学』休刊の具体的な事情にまでは書き及ばないが、昭和39年の時点で、すでにそういう終戦直後的な[戦後]という言葉が意味を失っていたことはたしかだった。経済白書はこれよりも10年も前に「すでに戦後ではない」と書いていたし、三島由紀夫につづく形で登場した若い作家たち、石原慎太郎や大江健三郎、高橋和巳、開高健らが、まったく新しい感覚の文学作品を連発して書きはじめていたのである。雑誌の存在理由であった根幹の部分と時代との乖離はどうしようもなかった。
この『近代文学』の休刊にちなんで、編集作業の中核的な役割を果たしてきた文芸評論家、荒正人は、終巻号発行の後、4月19日の朝日新聞の夕刊の文化欄に『「近代文学」終刊』と題する、自分たちの雑誌に対する弔辞ともいうべき小文をよせている。その訣別の文章の最終部分を引用しよう。

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