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#21 糸を紡ぐ

 もう二度と会わない、一回性の他人にだけ、僕は完全に優しくなれるような気がしている。向かいの建物の、研究室の灯りが一つ、また一つ消え、ガラスには何も映らなくなってしまった。

 生きるということは、糸を張り巡らせることだ。精神と精神の間にある透き通った、しかし確かな線。それは父と母から見る「子」であり、同世代に見る「友人」であり、他者を憧れる「恋人」である。その糸は、その対象がかけがえのない、替えの効かないものであればあるほど強固なものになる。多く張り巡らせることは揺らぎを抑える。まさしく蜘蛛の如く、われわれは小さな社会を構築する。そうして、その糸を作りながら、時々その糸に救われ、導かれ、あるいは欺かれ、絡め取られながらも、生きてゆく。

 僕には友人が少ないが、その糸はしっかりと結ばれていて、確かな手触りで、お互いを認識できる距離にある。少なくとも、僕はそういった糸たちに生かされている。生まれた時、両親がしっかりと紡いでくれ、僕に手渡してくれた。それをしっかりと覚えている。僕は真に孤独を知ることはできないだろう。僕の内側、奥底にある糸は安い孤独に酔おうとする僕の薄弱な意志を白日に曝しながら、沈鬱の世界から僕の意識を跳ね上げるのだ。

 同じようにして、僕も誰かを生かしているかもしれない。「生きる意味」とか「生きてゆくこと」とか月並みな言葉に潜む生きるという主体性。それは実は、他者と自己の絶え間ない巡りによって、「生きあう」「存在し合う」という円いつながりになるのではないだろうか。互いに生きあい、そこに円く、壮麗な糸たちの饗宴、その足跡が、過去という膨大な時間と空間の中において、絶えざる輝きを湛えている。


僕の前に道はない                                                                                             僕の後ろに道は出来る        –  高村光太郎「道程」