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#14 Legal Alien

ラジオっていいよなぁ。と最近思う。ラジカセをぎりぎり知っている世代(?)の僕は、高校時代とかはラジオをよく聴いた。その度に、自分の知らない世界が、文化が、人々が、声が、ラジオから流れてくる。チューンで局の周波数を合わせ、カメラのピントが合うように、クリアに聴こえるように調整するのも一つの楽しみであり、いとおしい手続きだ。どんな世界で、どんな音楽で、どんな人が、どんな声で・・・という手探り感。

 ヨーロッパ等の陸続きの国では、隣国のラジオなど、異言語での放送が多々混じってくるらしい。そうするとラジオは、一言で言うと異文化をそのまま異文化として包み込んでしまうメディアと言えるだろうか。僕たち受け手側に委ねられている領域、そして交流できる可能性も大きい、ゆるく、リベラルなメディア。分断を分断として許容する、稀有な存在。

 (話が飛躍するけれど、)僕は人としてこのようにありたいと思う。自分は発信を続ける、けれどもそれは一人一人に確実に届く手紙というより、チャンネルのひとつとして、「選択」してもらいたいのだ。何を贅沢なことを、と思う。ひとりでもこれを読んでいてくれると嬉しい。下手な文章だけれど、読者がいると、そこに意味が生まれる。そして、僕の原動力になる。ここまで読んでくれたあなたは、僕に意味を与えてくれたことになる。感謝しないといけない。

 ラジオっていいよなぁと思ったのは、自分がなにか凝り固まった価値観なり信念に偏執するようになってきたんじゃないかと思っているからだ。本を読むと言っても作者は高踏的な人物ばかり選んでしまうし、同じような言葉でしかものを書けなくなってしまっている気がするのだ。たまにはとんでもない周波数に合わせて、違う世界をのぞかなければならない。それはあるいは刺激的で、あるいは陰鬱な作業かも知れないが、必要なことだと今の僕は思う。あと、ラジオは何かを押し付けない、確実に能動的な行為だから、好きだ。興味のある人のみがたどり着ける場所って、なんか素敵だと思いません?

 ということで、今夜はこの曲でお別れしましょう。

Stingの、”Englishman In New York