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雜記

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思考以上言明未満のものたち
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#短文

#12 黒い海の鼓動

 修学旅行の高校生として、ぼくは沖縄の海にいた記憶がある。修学旅行の唯一といっていい記憶である。夜、宿舎を抜け出してきたぼくは、砂浜に坐って海を眺めた。眺めた―といっても眼にはほとんど何も映っていなかった。灯もなく、対岸もない沖縄の海は、ただ黒々と波音を響かせていた。それは聴覚的に、触覚的に、初めて直観する海の姿だった。秋の暖かい沖縄の風が、ぼくの中に感傷ではなく希望のような、明るい感慨を芽吹かせた。海辺の町で育ったぼくは、今まで海と対峙することなく、凝視することなく、その存

#14 Legal Alien

ラジオっていいよなぁ。と最近思う。ラジカセをぎりぎり知っている世代(?)の僕は、高校時代とかはラジオをよく聴いた。その度に、自分の知らない世界が、文化が、人々が、声が、ラジオから流れてくる。チューンで局の周波数を合わせ、カメラのピントが合うように、クリアに聴こえるように調整するのも一つの楽しみであり、いとおしい手続きだ。どんな世界で、どんな音楽で、どんな人が、どんな声で・・・という手探り感。  ヨーロッパ等の陸続きの国では、隣国のラジオなど、異言語での放送が多々混じってくる

#16 些事寡言

 誰の役にも立たないことを書きたい、とふと思った。まぁこのnote自体誰かの役に立っているとも言えないが、なんというか、意味のない、無産的なことが今の自分には非常に重要な気がするのだ。  意味のない、無駄なことこそ美しいみたいなことがよく言われるけれど、それは部分的にはそうだと思う。意味のないことを積み重ね、無駄なことをすることで、いずれにせよ「意味のないことを積み重ねた」あるいは「無駄なことをした」という事実が累積するわけである。これはすでに起こってしまったことであるから

#17 現在人から推敲人へ

 僕たちが失敗してしまうのは、時に僕たちが忘れゆく種族だからかもしれない。バイトのシフトを忘れ、待ち合わせを忘れ、布団を干したままにしている、悲しき忘却のシモベ。そういう時、少なくとも僕は、というか多くの人はそうだと思うのだが、外部に記憶装置を作る。それは朝にけたたましく響くスマホのアラームであり、買い物を書いたメモであり、こうして自分の思うことを綴ることである。  書くことは、多かれ少なかれ自分自身を複製することに他ならない、と思う。自分の思考を、方向を、感覚を複写し、フ

#21 糸を紡ぐ

 もう二度と会わない、一回性の他人にだけ、僕は完全に優しくなれるような気がしている。向かいの建物の、研究室の灯りが一つ、また一つ消え、ガラスには何も映らなくなってしまった。  生きるということは、糸を張り巡らせることだ。精神と精神の間にある透き通った、しかし確かな線。それは父と母から見る「子」であり、同世代に見る「友人」であり、他者を憧れる「恋人」である。その糸は、その対象がかけがえのない、替えの効かないものであればあるほど強固なものになる。多く張り巡らせることは揺らぎを抑