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ゲームのなかの犬

 わたしが小学生の頃、ニンテンドッグスというゲームがあった。DSライトという当時流行っていたゲームで遊べるソフトで、ゲームのなかで犬を飼って愛でるというものだった。

 確かクリスマスに犬か妹がほしいと言っていたわたしに、父はそのニンテンドッグスを買ってくれた。妹は未だにいない。柴犬とかダックスフントとかいろいろ種類があってわたしはチワワを選んだ。断然チワワがほしかった。目がくりくりして大きくて、小さなからだに白い毛並みがかわいらしくて。

 ゲームのなかで飼っていたチワワに、わたしはももと名付けてずいぶん可愛がっていた。
ゲームのマイクに向かって「もも!もも!」とか「もも!お手!」とか言って芸を覚えさせた。
 撫でると気持ちよさそうな顔をするしシャンプーしてあげるとキラキラ体が光った。犬の障害物レースアジリティでもぶっちぎりの一位だったし、とにかくももがかわいくて仕方なかった。

 しかし、すこしずつわたしが大きくなるにつれてももとの距離は離れてしまった。たまにDSをひらいてももの様子を見るとノミだらけで黒いぴょんぴょんした粒が出てくる。それでもももはかわいがると気持ちよさそうにしてくれる。かまってあげる時間もすこしずつ減っていった。

 この間、大掃除をしていたとき、わたしはすこし変な価値基準でものを整理していた。綾波レイのオルゴールフィギュアも捨ててしまったし、母親がわたしのために作ってくれた部屋のドアにかけるネームプレートも捨ててしまった。ニンテンドッグスもそのひとつだった。

 もも、ゲームのなかで生きていた彼女は売りに出されるとき、リセットされて消えてしまったに違いない。あんなに「もも!もも!」と可愛がっていたのにこんな終わり方かなしすぎる。大森靖子の歌詞で「ゲームで殺した猫が ほんとに死んでも 人工知能 世界から-1しただけ」とあるけれど、ももは世界から-1されてしまったのかなとか思ったりする。でも、ゲームのなかで死んでもわたしのなかでは生き続けてるよ。ごめんねもも。また会えるかな。おやすみなさい。

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