新しい500円玉だ 2022年4月3日
いつからか、500円玉のデザインが新しくなったらしい。つい先週、貰ったお釣りの中に一枚だけ紛れ込んでいて気が付いた。
はじめまして、令和3年の500円玉。
真ん中に丸い線が入ってて、ヘンなの~と思ってしまう。でもしょうがない、見慣れてないだけだから。あと数回も出会えば、なんとも思わなくなるんだろう。こういう刹那的な感覚は、なるべく大切に味わっていたい。
記念に写真を撮っておこうと思ったのだけれど、案外早く使うことになってしまって、撮り損ねた。調べると発行の開始時期は昨年の11月頭だそうで、「案外時間経ってるんだな」というのが正直な感想だ。今は3月の終わり。出会うのに4か月近くかかっている。
使うことになるその日まで、手に入れた後の数日は、お守りのように使わずにとっておいた。財布の中に見慣れない硬貨が光っているのが楽しくて、何となく使えずにいたのだ。
使ったのは一昨日。近所のパン屋さんにて。その日の自分は、財布の中に高いお札しか持っていなかった。家に山ほどある硬貨を増やすわけにもいかないし(これを持ち歩きなさいよ)、何より数個のパンのために万札というのもお店に申し訳ない。使わざるを得なかった。お釣りの無いように払うという手間をサボり、お札ばかり消費してきたツケである。でもこれで、多額のお釣りを回避することには成功した。
写真を撮っていなかったこともあり、惜しいことをするような感じがした。数日とはいえ、お守りのようにしていた硬貨だ。愛着が無いと言えば嘘になる。それでも「…ま、いっか。いつか使うし」と開き直り、ぴかぴかのそれを財布から取り出した。トレイに並べて相手に渡す。
「はい!◯◯円お預かりいたしまーす!」
レジ係のお兄さんの明るい声が響く。お店に入った時の挨拶も爽やかで、感じの良い青年だった。話しているだけでこっちまで元気になれる。素敵な人だなぁ…
そんな風に思い始めた時だった。感傷に浸るより早く、お兄さんが口を開く。
「あっ!新しい500円玉だ~!すごい!」
…!
例の500円玉のことだ。
思いがけず降ってきた温かい言葉に動揺してしまう。お兄さんの笑顔がまぶしい。
「あ!本当ですね!!」
自分も明るく返答できたのは、お兄さんの話し方がうつったからだろう。
それにしても、本当ですね、ってなんだ。
何「私も今気づきました」みたいな反応してるんだ。
持ってたお金なんだから、分かるでしょう。
そうなんですよ〜とか言った方が、いやでも、それも変か。ウチの子じゃないんだから。
この時の最適解は何だったんだろう。とにかく曖昧な返事をしてしまった。
でもこれは、文字に起こすまで気が付かなかった。文法ミスまで眩ませるお兄さんの明るさに乾杯。
「ありがとうございます~!」
「いえいえ~」
そんな、それだけのやりとりに小さな後悔がふっと消えて、
「新しい500円玉は、この瞬間のためにとっておいたんだな」と、そう思った。
新しい500円玉がどれほど珍しいのかは分からないけれど、この硬貨に見慣れる前に、今日みたいなやりとりが沢山あってほしい。
パン屋さんに渡したあの500円玉。次はどこに行くんだろう。すみっこの席で美味しい桜あんぱんを齧りながら、分かりもしないことを考える。
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