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想 像 力 × 創 造 力 . r e m i x

早朝に投稿した画像記事で書いたコメントが
古参のクリエイターとしては大事っぽい気がしたから
整えながら加筆し、テキスト記事として再び投稿いたしま〜す。
あっちの記事もこっちの記事も
読んでくれるのは極小数と想像できるけど
それはそれ…
思考をカタチにするのって意味あることでしょ?
それこそ創造だよね。

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件の画像記事。
近所の駐輪場にあった自転車のピクトグラムを、ファンシーな色彩とドラマチックな構図で表現するべく撮影した画像。色調などはRAWデータ編集時に手を加えることもなく、現実に近いままとお考えください。
個人的には割と気に入ってるかも。
以下、今回のテキスト記事としての本題となります。

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想 像 力 と 想 像 力 、 そ し て …


2 つ あ る か ら 前 へ と 進 む

当然ですが、クリエイターには「創造力」のスキルが必須です。そして実際には細かな創造的「思考」を幾度となく繰り返すことで、最終的な目的地である「作品の完成」へと辿り着いてるような気がします。

その創造する思考が上手く実践できないと、記憶に頼りきった創造性の乏しい模倣作品となってしまうのです。プロの世界でも多いですから、その力を手に入れたいと願う人は思いのほか多いのかも知れません。

適正のある人が訓練さえすれば、それほど無理なく会得できるものと個人的には信じてます。そして、訓練ほどではなく創造する思考を補助してくれるのが「想像力」だったりするのです。日常生活で創造なんて意識することは稀ですから、慣れることもなく得意でない人が大多数だと思います。それに比べると想像するのは馴染み深い思考ではないでしょうか?

コツと言うほどでもありませんが方法のひとつとしては、自分の創り上げたいと思う作品について、最良の状態を様々な角度から際限なく想像してみてください。その中におそらく自分自身の創造がいくつか含まれているはずです。ちっぽけな創造でもまったく構いません。それを融合させたり取捨択一したり、そんな想像する思考も紛れもない創造、その意識が「作品の完成」へと繋がるのです。

想像しては創造し、創造しては想像する

おそらく、作品を完成させるためには思考を絶え間なく転がし続ける必要があるでしょう。留まって練るよりも転がした方が思考が固まりません。想像と創造、その2つを転がしながら目的地を目指すのですから、内容の重なる自転車に例えてみました。双輪を上手く転がせないと何処にも辿り着けず作品は完成しません。そしてペダルを回すのは…

閃 き こ そ が ペ ダ ル を 回 す

2つの思考を繰り返しているうちに、人間の脳ミソの性能がイマイチだからなのか、大抵はバグみたいなエラーが生じるような気がします。それを客観的に捉えると、バグの中にも新たな価値を発見できたりもするのですが、この発見こそが「閃き」だと思われます。異論もあるでしょうが、思考だけを重ねて得られるアイディアは、他人にも容易く発見できるものです。

普通の考え方だと、ペダルを回すのは「思考」の役割かもしれません。双輪を上手く転がすには長い時間、脳ミソを安定的に動かす必要があり、その行為は確かに自転車のペダリングに似た雰囲気でしょう。だけど、ただの思考では勢いも足りず、進みづらい気がするのです。そもそも人間の思考というのはフラフラしてる印象ですよね。

想像と創造、2つのタイヤを上手く転がし目的地へと進むには、閃きの力を使ってペダルを勢いよく回すのが一番だと思います。作品という目的地の方向性を決定付けるのも、間違いなく「閃き」の役割なのですから。

補 足

多少強引な例え話ではあるけど、1人のクリエイターが長年に渡り様々な作品を創造してきた経験をコアにしてるから、これはこれで現実との距離はそう遠いものではありません。これ自転車じゃん!って気付く前は、山のように大きな柱が2本建てられていて、その間を雷の稲光がピカって走るような図をイメージしてました。作品の完成を目指して「前に進む」という要素が加わってますから、自転車の方が説得力があるでしょう。

もしかしたら、創造よりも閃きの方が困難だと思う方がいらっしゃるかもしれません。これに関しては本当にエラーっぽく偶然発生するような存在ですから、解説のしようがありません。よく聞く、天から降りてくるって表現は荒唐無稽ではないのです。

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E  n  d

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