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1991年2091年

1991年。ニルヴァーナはメジャーレーベル、ゲフィンレコードから『ネバーマインド』を発売しました。タイトルは、その当時の若者の流行り言葉「never mind.(気にすんな)」からとったそうです。今で言う「草」みたいなことです。

カートコバーンというひとはこういう名付けるセンスというのが花開いた瞬間がありまして、それは一番最初にインディーズレーベルから出したファーストアルバム『ブリーチ』のときです。
もともとこの『ブリーチ』というアルバムは、『Too Many Humans』という仮タイトルがついていたそうです。非常に、ダサい。インパクトのかけらもないタイトルです。まあ、もともとフィーカルマター(うんこ大事件)というバンドをやっていたひとですから、わかるものです。
カートコバーンがサンフランシスコを滞在中にふと見つけたエイズ撲滅のポスターに書かれた文字「Bleach your works before you get stoned.(酔っ払う前に道具は漂白しよう)」を見て、バチーン!これや!と決まるわけです。BLEACH!カッケェやろ!いかす!

というか麻薬注射はそれとしてエイズは撲滅せな、注射器はちゃんと洗え!というこの狂った標語にアメリカを感じますね。

それで『ネバーマインド』。
これを出してなかでも一曲目の「スメルズ・ライク・ア・ティーン・スピリット」がアメリカを震撼させるわけですね。一気に売れたんだっけな?徐々に、でもかなり早くにどんどん火がついてった感じだったかな。忘れた。でもたしか発売して間も無くはカートコバーンはほうぼうの電話ボックスに入ってはいろんなラジオ局に「ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ア・ティーン・スピリット」という曲をリクエストしますよ」と電話をかけまくったらしい。もう、ほんとに売れたかったんですね。涙ぐましい努力です。情けないというか、青春小僧というか。

そんな努力の甲斐なくとも、無事、というか、ふつうに、爆発的にニルヴァーナは売れ、シアトルアバディーンという木こりしかいないような片田舎の、一日の食べ物にも困って橋の下で寝泊まりしてたような青年が、一気にスターダムにのし上がるわけです。

カートコバーンのその音楽、芸術以外で、もっとも偉大な功績というものがあります。それは、「カートコバーンズ・フェイバリット」であります(わたしの造語です)。

カートコバーンというひとは、有名無名に関わらず「いい音楽はいい」という感性を持ったひとでした。売れてなかろうが、誰も知らなかろうが、おれが見つけて感動した音楽はそれは素晴らしい、と、それから先人にも若人にも敬意を忘れないひとでした。
彼が何をしたかというと、自分のリスペクトする無名のアーティストたちを世の中に紹介して、自分が影響を受けながらまだまだ世間に認知されてない先輩たちを敬い、彼らにスポットライトを当てるように尽力したのです。

テレビや雑誌の写真に映る時はその無名な彼らのTシャツを来て出て行き、もう廃盤になったレコードのCDを出すよう求め、自分がそのレコードにいかに感動したかと自分でライナーノーツを書いたり、実際にライブでカバーして演奏したしました。死ぬ寸前のMTVのアコースティック番組では、「シークレットゲストとコラボ」と謳って、ファンはドキドキするわけです。だれとコラボするんだろ!?どんな大物と?!とワクワクするわけです。フタを開けてみればミートパペッツという「いや、だれだよ!」とファン全員がズッコケかけたという話もあります。死ぬまでそうやって自分が知っていて、誰も知らない素晴らしい音楽を人々に伝え、啓蒙しようとしたひとでした。

ダニエル・ジョンストンのTシャツを着てご満悦のカート氏。

カートコバーンが世界に広めた主な無名バンド
・ヴァセリンズ、ダニエル・ジョンストン、レインコーツ。日本で言えば、少年ナイフ、ボアダムス。


とかでしょうか。まあこんなのは氷山の、一角の、雪の結晶なみのあれですが、もっと実際はたくさんの無名有名バンドを紹介しておりました。

もちろん激しい汚い音楽も好きだそうなのですが、わたしが今回紹介したいのはカートコバーンが有する幼児性、可愛げ、自然な感じです。とりわけヴァセリンズはイチオシですね!

♪モーリーズ・リップス(ヴァセリンズ・カバー)/ニルヴァーナ

あ、ノートなので紹介のしかたわかんない、ごめん。


またそういった無名の、インディーズバンドたちと同列にビートルズやクイーンといった、超有名なバンド、レッドツェッペリンやエアロスミスなんかも並列に聴いていたひとでした。

これは平成生まれの若者のわたしたちにとっては何がすごいの?と思うかもしれませんが、ここで1つ、オアシスというバンドのインタビューで話された小噺を披露しましょう。オアシスはカートコバーンが自殺したあと、イギリスから台頭してきたこれもまた労働者階級のものすごいバンドなのですが。

ギャラガー兄弟率いるオアシスのリーダー、ノエル・ギャラガーはカートコバーンと同い年です。そのノエル・ギャラガーがあるインタビューで影響を受けたバンドについてこんなことを言っておりました。
「当時はビートルズなんて忘れ去られた古臭いバンドで、学校で「ビートルズが好き」なんて言えばすこぶるバカにされるようなものだった。」
というのです。つまり1990年代当時、ビートルズ、ましてやクイーンを堂々と「大好きです」と言うことは禁句、というか「ダサ坊」といった印象がつきまとうもので、それでもカートコバーンはどこ吹く風、「ビートルズの良さもわかんねえの?おまえ、カスやな」と堂々と世間に向かって言いのけているのです。
当時の雰囲気は知りませんが、これでなんとなく、当時「ビートルズやクイーン」をカートコバーンが賞賛するということがいかに流行を追う若者にとって衝撃だったか、想像できると思います。

有名も無名もない。いいものはいい。これにあともう1つ、「商業音楽はクソだ」という信念をカートコバーンはもっていたように思います。とりわけつよく彼にはこの信念があるようで、しかしたぶんその価値観というのは、当人にしかわからない微妙な線引きなのだろうと思います。そもそもメジャーレーベルから曲を出して大爆売れした自分は「商業音楽となにが違うのか」という葛藤もあって、またいろいろあって自殺にいたるのでしょう。

このカートコバーンの「商業音楽嫌い」という点はわたしはこれまで全く無視してきました。よくわからなかったのです。商業的だろうが、それもまたいいものはいいものではないのか?と。そもそも、彼にとっての商業的という意味はどういうことなのだろうと。考えたこともありませんでした。なぜかというと、「カートコバーン」=中二病、「ただのひねくれもの」みたいなイメージが、当時中学生のわたしにも届いていたからです。どうせたいしたこだわりなんかないんだろ、たんにカッコつけてこだわったふりしてるだけだろと。
しかしカートコバーンが自殺する27歳まであと一年のこのわたし。青年ともなると、そんな馬鹿馬鹿しい、カッコつけだとかどうだとか、そんなことで悩むわけがないだろうと気づくわけです。

わたしには当時、もう一人同時期にアイドルが、峯田和伸というアイドルがいました。こうしていまカートコバーンのことを書いていますと、なるほど、峯田和伸もこのカートコバーンが実践した「だれも知らないような素晴らしい音楽を世の中に紹介する」という役目を自分に課して、ブログを書いたりインタビューでいろんなアーティストを紹介したりしていたことに思い当たります。雑誌のインタビューが出るたびに、聞いたこともないバンドや音楽の名前が出る。次の日にはそのアーティストを広告の裏にメモって、地元のブックオフで探す、そんなサイクルでした(アマゾンや通販は意地でも使いたくなかった。ほんとにどうしようもないほど欲しくて、地元にない場合は注文した。YouTubeなど論外。手に入れるまでの過程にアナログの強み、思い出というものがあるのだ。)。

それで今日、またnoteで面白い記事を見つけた。元銀杏BOYZのギター、チン中村の近況を含めた2018年インタビューです。彼はいま嫁の地元の周防島?というところで家族で移住して、僧侶となり農業を営んでいます。

めんどくさいので引用。

アンチ商業主義では流通しない、だから商業主義と戦う
アンチ商業主義が広く流通せずスケールしないという話は音楽に限らず、本やスポーツ、食品など何にでも起こりうるもの。

ですが、パンクロックにルーツのあるメンバーから構成される銀杏BOYZは、だからこそパンクロックを通して、いかに商業主義に対抗するかを考え続けたというお話が深く心に残りました。

銀杏BOYZはJ-POPといかに戦うかを考え続けたパンクバンドでした
客観的に自分たちの音楽を捉えて、主観的に手を動かしていました
自分たちの音楽をJ-POPだけではなく、世界の音楽の歴史や変遷の中でどういった立ち位置にあるのかを客観的に考え抜いて音作りをし、主観的に実行し続けたとのこと。

銀杏BOYZと言えば、暴れ叫びのたうち回る熱狂的なライブパフォーマンスが印象的なバンドです。身体から溢れ出るドロドロとした「大人になりきれない」エネルギーを音に乗せて吐き出すパンクロック。

その不器用さが大好きでしたが、その裏では圧倒的な音楽知識に裏付けられた音作りと歌詞があり、自分たちが狙うべき場所を明確に位置づけていたようです。

元銀杏BOYZ・中村明珍✕タルマーリー・渡邉格「元パンクロッカーが田舎に暮らしてみて、今どうなの?!」イベントレポート

より↓

https://note.mu/hadatomohiro/n/n1c2a4c22d89f

「銀杏BOYZは、商業主義、J-POPとどう闘うかを考え続けたパンクバンドだった。」

この言葉にわたしは目から鱗でした。そんなでかい志でもって、演奏していたのか、音楽を作っていたのかと。
というのも、峯田和伸のブログやインスタグラムには松浦亜弥も出てくれば、aiko、いきものがかり、キロロ、乃木坂46も出てくるのです。
わたしは上述のカートコバーンの垣根や偏見のない、いいものはいいと言える審美眼、思い切り。加えて峯田和伸がさらにらそこにアイドルやテクノ、ノイズ、現代音楽まで垣根を広げてわたしに教えてくれたこと。「いろんな音楽の良さをわかったほうが楽しいよ、」というくらいに受け止めていたのですが、どうやらこれはとんでもなく大きなことを見落としていたようです。

ニルヴァーナも、銀杏BOYZも、自身が「パンクロックバンド」であるという強い自覚があったということです。

銀杏BOYZに関してはわたしが小学五年生の時、二枚同時にアルバムを発売する前から接して熱狂していたのですが、まさか、こんなにもつよく彼らが「パンクロック」をやっていると自覚を持って活動しているとは思いもしなかったのです。むしろ「パンクもアイドルもJ-POPもぜんぶいっしょに考えろ、狭い考えはやめろ」ということが

ポリシーかと思っていました。これは間違いではないですが、彼らの信念はもっと深く、「おれたちはパンクロックをやっている」という、つまりは「パンク」とはなにか、とおれに問いかけるわけです。マジで、今日おもい知った。

いまの時代に本気の「パンク」などあり得るのか。「パンク」とは音楽ではくくれません。思想、信条、そのようなものです。連合赤軍みたいなものです。オウム真理教みたいなものです。いまならISです。わたしのような凡人には、本気のパンクとは、時代錯誤とさえ思えます。形骸化した「パンクっぽいスタイル」と「パンクっぽい歌い方」とか、もはや「パンク」は思想から離れ、音楽の一ジャンルになったものだと思って諦めていましたが、彼ら銀杏BOYZは(また当時のニルヴァーナも)、いまの時代ならいまの時代の「パンク(反抗)」があると信じていて、本気でその思想、宗教、神に殉じていたのかと、わたしは驚愕します。

またひとつ、よくわからない人のいい記事があったので貼っておきます。

『あと、カート・コバーンが死んだ後に残りのメンバーが結成した、フー・ファイターズが良かったという意見をよく見かけますが、全く同意しません。単に腕の達者なパンクバンドという印象で、時代とリンクした緊張感がゼロって感じです。バンド名もダサいと思います。』

時代を読み、表現するということ。その時代に音楽でもって警鐘を鳴らさなければパンクとは言えません。そうでなければただのロックです。ただの音楽です。いや、ただの音楽に喜ぶので十分なんですけど。きのう話してくれたせんぶくんの「美術と芸術の違い」ということでしょう。銀杏BOYZは、2010年代に、2011年の震災後に、「ノイズ」を鳴らしました。2014年1月15日、ようやく9年ぶりに発売したセカンドアルバムの片方、ライブリミックスアルバムから、聴いてみてください。

♪BEACH/銀杏BOYZ


いい音楽はいい音楽。
しかしそこに思想、信念、信条(神、宗教といってもいい)を持って、自分が死んでも貫かなければならないものがあるという。それが「パンク」です。たんに政治的なことを言えばいいわけじゃない。そんなことはひとつの記号に過ぎない。いわなくたっていい。「自分対世界」に対しての、反抗と闘争。わたしは細かなパンク史の歴史についてはままならぬし、イケガミ君に譲るけど、たしかにわたしは銀杏BOYZの登場からセカンドアルバム、メンバーの離脱まで、現代のパンクのありようをリアルタイムで無意識に接していたのかと思うと、心が震える思いです。

パンク=「自分対世界」
そのなかの必要十分条件のひとつを言えば、「自分の価値観を世の中に徹底的に証明すること」と言えるでしょう。そのための闘争。

ああ、ニルヴァーナから話が逸れてしまいました。しかし今日はほんとに実りのある、反省すべきこと、内省を巡れました。ちょっと今一度、生活や将来を、作品を鑑賞するということを改めて考えたい気持ちです。畳に正座、というこころもちです。


    はい。

    めんどくせえ。以上。
























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