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戦う女の子が好き!【劇場版セーラームーン eternal 前編】(ネタバレあり)

2021年1月8日公開の『劇場版 美少女戦士セーラームーン eternal 』は、『美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡』(1995年)以来の劇場版です。95年の公開時、私はまだ生まれていませんでした。そのために映画館のスクリーンでセーラームーンを観ている!という現実にさえ、胸が熱くなっていました。公開から時間が経ってしまいましたが、感じたことを素直に書きます。

戦う意味を、今一度問う

まず印象的だったのは、セーラー戦士の戦う意味が問い直されていることです。映画冒頭では、高校生になったうさぎたちが自分の夢を語ります。しかし、デッド・ムーン・サーカス一味のもたらす悪夢が、セーラー戦士たちの内面にある欲望や諦め、不安を刺激します。そうして戦意を喪失するものの自身のガーディアンによって悪夢から目覚め、「プリンセスを守るため、地球を守るため」に戦うのだと覚悟をします。ここで、アニメ・セーラームーンRの第1話でうさぎがダーク・キングダムとの戦いの記憶を取り戻し、セーラームーンとして戦う覚悟をした場面を思い出しました。敵を倒したのちに、月を眺めて「ふつうのうさぎちゃんに、バイバイ。」というシーンが忘れられません。それよりかは前向きなシーンですが、本作でもセーラー戦士一人一人の、少女らしい等身大の葛藤と決意がしっかり触れられていていたと思います。

まもちゃんの葛藤

本作では、セーラームーンとして地球を守るうさぎに対して、自分はうさぎを助けられるような能力を持っていないために足手纏いなのではないか、というまもちゃんの葛藤が描かれます。愛するうさぎが身を粉にして戦うのに対し、なにもできない無力感があります。深い愛情があるからこそ、それと同じだけ大きな無力感に苛まれているといえます。幼少期の私にとってまもちゃんは、かっこよくてさわやかな「白馬の王子様」のようなイメージでした。そうした面だけでなく、まもちゃんを主軸にまもちゃんとうさぎの愛し、愛されているがゆえの苦悩が強く感じられて、自分も大人になったのだなと思いました。

しあわせな家族像

うさぎとちびうさが、まもちゃんの家に泊まる場面がある。3人で川の字で寝るところが素敵でした。うさぎとちびうさは「いじっぱり」なところと「大人びる瞬間がある」ところに類似性があって、その点が2人のとがった個性として描かれます。しかし、3人ですごしている場面はそれぞれが母らしさ、娘らしさを担うことで、とがったところは中和されます。そこで、うさぎとちびうさが素直に向き合うところが見られると思います。川の字で眠る場面は、3人で安心して眠れる未来があるのかなと思いを巡らせ、希望と切なさに心が揺さぶられました。

エリオスとちびうさのキス

「泣かないで、小さな乙女よ」といってエリオスがちびうさにキスをする。そのシーンが本当に美しかったです。少女漫画らしい、きらきらとふわふわで満たされたトーンがたくさん重ねられた、見開きで目を惹くようなカットだと思いました。「映画のワンシーンのよう」「ドラマみたい」という表現が、よくドラマチックな様子を表すために使われますが、ここは「漫画のワンシーンのよう」。今回は武内さんが総監督を務めていらっしゃるということで、どこを語るかということと、どのように映像として表現しようとしているのかを考えるのが楽しかったです。

ゆるい感想

「映画を、頑張る原動力に!」と思って観たのに、胸がいっぱいになって逆に2日くらいがんばれなくなりました笑 でも、素直でまっすくで、愛あふれるうさぎちゃんが本当に大好きだなと改めて思いました。今度はもっとテーマを絞ってセーラームーンについて考えたいです。(まずは後編の感想をまとめ上げる!)






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