いっせーのーで⑦

夏期講習。視界の端に彼女を見つけた。講義が終わったら、話しかけるか、話しかけるとしたらなんと話しかけるか、雑音と化した、講師の先生の力説は、ろきちゃんの記憶には少しも残らない。ただ、その先生が今の政権に不満を抱いていることだけは覚えている。時間も時間かぁ。寮に帰ってしまおうかと、思ったその矢先。
「よっ!」
「お、お疲れ。倫政取ってたんだ」
とっくに気づいてたくせに。わざとらしい。あの頃から全く変わらない。自分から話しかけられないのかよ。
「そう。ヤバくてさぁ」
「あぁ。地理やめて倫政で良かった?」
「ん…まぁ。まだまだこれからだ」
「そっか。まだ夏だしね」
「うん」
「最近、読んでる小説ある?」
こんな会話でも、1日の疲れを落とすには十分すぎた。

そして、そこまでしても戻るのは、あの寮だ。何を良しとして、この寮に1年間も住み続けることができようか。最近は、ラジオを聴きながら勉強している。音楽を聴くことよりも情報量は多いはずなのに、勉強をしながらでも話が入ってくる不思議さがある。あの頃に聴いていたラジオだ、と懐かしさに染みながらも、ふと笑ってしまう。もちろん芸人さんのラジオも好きなのだが、アイドルがキャッキャしてるだけのラジオの方が、ろきちゃんの好みだ。なんか、力みなく聴ける感じがする。勉強のお供はアイドルのラジオ。アイドルのラジオを聴きながら、日が回る直前まで勉強する。10代にしてはストイックすぎるこの住居環境。でも、ろきちゃんのわがままを許してくれている、親には心底感謝しなきゃいけない。明日も倫政の授業に行けば、彼女がいる。親に感謝している気持ちも、勉強を頑張る気持ちも、彼女のことが好きな気持ちも、きっと全部が本物なのだろう。全部本気で臨むのが本当の人生なのだろう。二兎追うものなんちゃらではなく、何匹ものうさぎを本気で追って初めて何かを掴むことができるのだろう。

寮の職員の部屋にあるテレビから、夏の甲子園の映像が目に飛び込んでくる。遠く、関西の地で夢を追う後輩たち。その中に1人、ろきちゃんの地元の後輩がいる。小さい頃から、神童のように扱われ、そのプレッシャーを跳ね返して、今こうして、戦っているんだ。別にプレッシャーとも感じてないのかもしれない。身体の芯の芯まで、野球の神様に愛されたのだろうか。少なくとも、ろきちゃんが野球部に入部してた頃とはメンタルが違いすぎるのだろう。

「よっ!」
「あっ。どうしたの」
「いや、いたから」
会話のきっかけに理由などいらないのだろう。
「寮キツくね?」
どうしたの?と聞いた謝罪のように、こちらから話題を振る。
「ヤバい。あんな狭いとこでさ」
「こっちなんか風呂トイレ共同だよ。独居房みたいなさ」
「そうだよね。ホントに刑務所入ってるみたい」
男友達との会話なら、思い出そうと思ってももう無理な程の会話だろう。でも、この会話は一生覚えている気がする。
「さっきまでカラオケに行っててさ」
「へぇカラオケとか行くんだ」
「行く行く」
……

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