小説「暗闇」⑤

教室に戻り、教科書を開いたところで、あの日の塾での会話を思い出す。そして、他人がしていた話を頼りに、自分の中で情報を整理する。その瞬間、パッと校庭に目をやる。

どうやら、校庭では、ソフトボールの決勝が行われようとしていたようだ。決勝に駒を進めたのは、うちのクラスと、柴田さんのクラスだったという。にわかに興味が湧いてきて、席を立つ。

勉強の息抜きでフラッと校庭に出てきた様を装う。別に何かを観戦するためにここにきたのではない。たまたま、この光景に出くわしただけ、ということを装う。いや、そう自分に言い聞かせる。正直ソフトボールのルールは全く分からない。スリーアウトが攻守交代の合図なのはなんとなく知っていたが、アウトの制度が理解できず、僕は今ここで寝てしまってもおかしくなかった。寝なかっただけで、試合が終盤の局面に差し掛かるまでのことはほとんど覚えてない。どうも、うちのクラスが僅差で勝っているようだ。こちら側の応援席の湧きようが凄い。でも、ピンチでもあるようだ。向こう側の応援席の湧きようも凄い。ワンアウト。うちのチームが守り。打席に立つのは柴田さん。仕組みが分からないなりにも楽しめるのって、やっぱりスポーツは国境を越える。ぽつぽつと降り出す雨。確かスマホで見た、天気予報は晴れだったはず。うちのクラスで一番こういうクラス対抗モノに熱い、バレー部の女子が大きな声で気合を入れる。

「こいや!」

誰でも打てるように、置かれたボールを柴田さんは振り抜く。野球のよりも何回りもデカいボールはキレイな弧を描いて遠くに飛んでいく。周りの反応を見るに、これは多分うちのクラスが負けるのではないか、というところだった。その瞬間、雨の強さが増し、こうやって校庭に立っているのを避けたくなるほどに雨が降る。審判を務めていた野球部の顧問が、試合の中止を告げる。柴田さんが打ったボールは、一瞬にしてできた、水溜りにハマり、止まる。

季節外れの夕立ちだ。外で競技をしていた、及び観ていた生徒たちは一斉に校内に駆け込む。みんなが一斉に、足を上げ、腕を振る。その光景の一部になることに嫌気が差した僕は、歩く。雨を避けるために校舎に向かってダッシュする彼彼女らは、きっと目的地に着くことはなさそうな気がする。本来は人間にとって不可欠なはずの水は、気まぐれの雨として僕らの前に立ちはだかる。そして、それを避けようとする彼彼女らの背中からは甚だしいほどの自己矛盾を感じずにはいられない。それなら僕は噛み締めたい。今、雨に打たれて確実に濡れて寒いということを。今、僕以外の人が走っていく、その足の蹴り上がりで跳ねる水や泥が確実に僕に当たり汚れていっているということを。僕は目の前に立ちはだかるものから目を背けたくはない。この目で確かめたい。雨が降るから、それを避けようなど、あまりにも単純すぎる。僕は、柴田さんが打ったあのボールの行方を追いたくて、しょうがない。濡れて体にまとわりつく体操服の居心地の悪さに快感を感じながら、校庭の空を見上げ、立ち止まっていると、亮平が僕の肩を掴み言う。

「おい、何してんだ。風邪ひくぞ。ほら」

亮平に言われるように、びしょ濡れのままに2人で走っていると、あの頃の匂いが鼻を掠めた。結局、全く勉強が捗らなかった。

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