いっせーのーで①

もしかしたら、お日様だって、また同じ1日が始まるのか、と気怠さいっぱいの感情で朝日として昇ってきているのかもしれない。そう考えると、起床の表現として「朝日にほおをくすぐられて」を用いた、日本で最初の人間は、恥ずかしくて、めでたいやつだ。ろきちゃんは、万物に生命が宿っている、とは流石に思っていないが、太陽はあまりにも生命の感じがしすぎるし、今握っているこの歯ブラシは、あまりにも生命の感じがしない。もうすっかり、歳を重ねてしまったからだろうか。あの歯ブラシが何か話してるようには思えないし、目の前に広がるこの空の雲はどんな形にも見えない。

退屈な、変わり映えのしない1日がまた始まるのか。と思うが、こうして諦めてしまった1日は、ろきちゃんの人生を変えてしまう大切な1日かもしれない。きっとそんな、劇的な1日の始まりはトリッキーじゃない。いつもとなんら変わらない1日の始まりなのだろう。歴史上何度も繰り返されている、あの惨劇の1日の始まりですら、喜劇の1日の始まりですら。

今日も満員電車に、デカ目のハブになってる駅まで揺られている。とんでもない数の人が、この駅で乗降車していると思うと、ぐうの音程度のため息が出た。そして、その1人1人にストーリーがある。そりゃ、世界は平和に向かって収束しないし、自治体ぐらいの規模でも揉め事が絶えぬのだろう。たまに思う。前の人に付いていって、バックれてしまおうかと。いや絶対にしないが。そんなたまではないので。

着かない。着かない。着かない。会社までは遠い。ろきちゃんは、交通費をちょろまかすためにデカ目のハブ駅からは歩いている。会社には言ってある。
「とても信頼のおける交通機関を使ってます」
と。

通勤の間は音楽を聴くことで、憂鬱さを誤魔化している。今1番好きなのは、中央交通連盟の「金輪際ごめんなさい」だ。この寒々しい空気感にこれ程までに馴染んでくる楽曲は他にあるのだろうか。若干、テクノの匂いがするので、全ての歌詞が聞き取れているわけではないが、社会に投げ込まれたアンチテーゼが無意味に帰していくその過程をわずか4分程で表現されている。「金輪際ごめんなさい」とアナーキーインザスカイの「あの子に合わせる顔がない」をエンリピしながら、会社まで歩く。

就活はまあまあ、苦労した方だと思う。もうあれから2年経過するわけだが、あれほどに戻りたくない1年間はない。浪人してた頃の方が、まだ良かったと思える。別にスタートが遅かったわけでもないし、サボってた期間があったわけでもないし、大学での成績が悪かったわけでもない。ただただ苦労した。結局、中学や高校の頃、明るく部活を盛り上げていて、先輩や後輩に好かれて、マジで言っちゃいけない程に悪いことの1つや2つやってきた、やんちゃな人の方が大学ではもちろん、就活でも就職してからのそれからの人生でも上手くいくんだ。これは、どうしようもない真理な気がする。

会社に着くと、例の如く、到着はかなり早い方だった。長い距離を歩いているから、未だに時間の感覚が掴めないのと、最近めっきり涼しくなったから、歩行速度も速くなっている。そんなんで、出社時間にいい感じに到着したことは未だにない。

また、気怠い日常が、上司の号令と共に始まる。

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