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持ち寄りパーティ

まえがき

今年の年明け、ふれあそび の集いに行こうと思い立った。

だけど、それまで一年余りひきこもっていて、
いつのまにか、人前に出るのが恥ずかしくて、
すっかり臆病になっていた僕。

前の日も、当日の朝も、
家を出る前も、家を出てからも、
電車に乗ってからも、駅を降りてからも
「やっぱりダメだ、行くのはよそう」と
何度も何度も引き返そうと思った。

そんな風に今にも逃げ帰りそうな僕を
地平線の彼方から呼びかける優しい声

例えてみると、こんな感じ。

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持ち寄りパーティ

何を持ってきてもいいのよ
それぞれ持ってきたいものでいいの

何か特別なものでなくてもいいのよ
別に手の込んだものでなくても
普段のもので全然かまわないの

みんなが好きそうなものでなくてもいいの
みんなに食べてもらおうと気負う必要はないわ
食べたい人が食べたい分だけ食べてくれれば、それでいいじゃない
気に入る人もきっといるわよ

たとえ残ったっていいのよ
残ったら持ち帰ればいいんだから
それに、その場で、一人でも、一口でも食べてくれれば、
それだけで、この宇宙の奇跡の出来事なんだから

仮に誰も一口も口にしなかったとしても
そこにあなたのものを並べてくれただけで十分

それじゃ何のために持っていったの?
そんなの、あんまりじゃないって?

そのときは、こう考えて:
あなたのはお供え物だったのよ
お供え物は下げてから自分たちで食べるでしょ
それが無意味だなんて誰も悲しまないわ
それに、「残り物には福がある」って言うじゃない

だから、あなたも恥ずかしがらずに
あなたのを持って気軽にいらっしゃい

きっと、あなたが来たら喜ぶ人がいると思うわ
だって、あなたが来てくれることが、奇跡なんだもの
わたしも待っているわ

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あとがき

それから一カ月。
隔週ある ふれあそび の集いの日以外は、
依然、ひきこもりの毎日だけど、
完全にひきこもっていた去年と違って、
ふれあった人たちから受ける刺激で、
二週間ごとに生まれ変わるような、
そんな日々。

それは、触れ合ったことに感謝する日々。
そして、自分の中の「残り物」を味わう日々。
これは同じひきこもりの一日でも去年とは全然違う。
相変わらず、目隠しされたように先は全く見えないけど、
優しく手を引かれて導かれている感じ。


それでも ふれあそび の集いに行くときは、
毎回、歪んだ自己イメージに悩まされ、
帰りは、羞恥心と自責の念に苛まれることも度々。

過剰な自信で勇み足になることなく、
過小な自信で二の足を踏むことなく、
等身大の自信を持って歩み続けるって、
ほんと難しい。

将来への予期からも過去への囚われからも解き放たれて、
地平線からの呼び声に向かって、
いつでも素直に歩んでいけたらなぁ。
それも、できれば、ルンルン気分で♪

みんなも好きなことを楽しんでいますように。

新しい出会いに感謝と祈りを込めて
2017年2月5日 てつろう拝



【改訂履歴】
- v0.5、2019/08/07:
 コンタクトインプロヴィゼーションを ふれあそび に置き換え
- v0.1、2017/02/05:初稿(Facebook)


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