海岸とは 隆起する ものだった。
活字が読めなくなっている。。頭が、ついていかない。
先日読んだのは「国家を考えてみよう」だったか橋本治の新書。
ある人に勧められ、橋本治って頭いいー、と思うけど、
西洋の国家観史と、日本人が思う国家観の歴史は区別しないと誤解する。
我々は、江戸時代の遅れていた文化が「明治維新」の尊皇開国により
西洋列強に肩を並べられる国となって、ちょっと思い上がって、誤解して
本気で西洋列強やアメリカに勝てると思って太平洋戦争を継続し、
結果として原始爆弾を投下され、敗戦へと至った。その結果、
新しい「日本国憲法」を手に入れたのだから、ま、いいか。。。
みたいな認識でいませんか。ヘーゲル的弁証法で解釈してしまうと
そう思って納得する、わたしもずっとそうだった。
でもでもでも。歴史の断片や、細部の事件をこと細く見ていくと
そうとばかりは言えない部分を発見する。どうして「尊皇攘夷、攘夷」
と言っていた主流がいきなり「開国」に寝返るの?
江戸時代に於ける朝廷(天皇たちのいる世界)はどうだったの?
何を思って、どうなればいいと思って暮らしていたのかなぁ。
なぜ、自分の息子や夫を戦争に差し出せ、というハガキが来て
万歳三唱で見送ることができたの? そのころから、空気読むしか
生き残る道はなかったの? 客観的な戦力分析というのは行われなかったの?
本当に神の国だから勝てる、と思っていたの。。。
「ジャンヌ-ダルク」の映画(リュック=ベッソン)を見てから英仏戦争の頃のことが知りたくなって「ジャンヌ・ダルク」の新書も読んでみました。
とにかく西洋史を理解するには、キリスト教の影響力の強さは無視できない。
無宗教に近いいまの我々には信じられないくらい、強い強制力で異端審問までしてしまうのだから。。。釜茹での刑どころではない。悪人正機なんていう救いはない。正統な神の教えを侮辱するような行為をしたら、ほんとに命取られる。
いまの、イスラエルとハマス、もしくはパレスチナ、レバノンとの紛争を遥かに超えたもはや戦争としか言えない行為を見ていると、歴史は繰り返す。。?のかな。ユダヤ人がかつてドイツにされたことの報復を、イスラム過激派に対してしているようにも見える。イスラエルの旗が、鉤十字に重なって見えるのは錯覚であってほしい。他の宗教を尊重ぜよ、と神は言わなかったのか。汝の隣人を愛せよ、とは。ユダヤ教の教義は十戒、だからまた違うのか。
それにしても。もう、止めてほしい。これでもかと繰り返される大自然の災害にでさえ心折れそうな人達たくさんいて、もちろんそのために駆けつけてくれるボランティアさんの好意に甘えて、助けてもらって何とかやってきた。自然が相手だから、悪運を嘆き、ヨブ記に縋り、それでも明日はやって来る、、、と何とか自分たちを慰めている。
こうなったら意地でも、能登を捨てたくないかな、とまで思いそう。
全然そんなつもりないのにこんなこと書いちゃって、
あー、わたしにはノンフィクションは書けません。書いた瞬間、
嘘が混じる。紛れもないフィクションのほうへ引きずられていく。
客観的に見て、書く技術を身につけたいものです。。。
(今日の時間割)
1限目 本処分宅への下見(9時ー10時半)
2限目 発送、整理などの雑用(11樹ー12時)
3限目 図書館にて、情報整理。Wi-Fi使えて、充電もできて。
ねだん付箋に、店名ハンコのスタンプ押しも。(12時半ー2時半)
4限目 倉庫にて、週末のイベントのための選書等、、
不要本の整理、交換会出品用図書の見繕い。(3時ー4時)
買い物して帰宅。
はー。結局、古本屋さんごっこをやっているようなものですね。
大地がもう一度動くまでは、ここにいて、これをしていればいいのだろうか。。
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