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何もかも嫌になっても 何度でもドアを開け続けんだ。2019年が終わる。

年末年始のテレビ番組は嫌いだ。通常営業が好きな私は、特別番組で通常回が減ってしまうのが嫌なのだ。もうテレビやめたから見るわけでもないんだが。

年末年始に観ようと映画を3本ダウンロードした。《わたしは、ダニエル・ブレイク》、《裁き》、《サーミの血》の3本だ。

わたしは、ダニエル・ブレイク

《わたしは、ダニエル・ブレイク》はケン・ローチ監督の作品だ。
なんだかんだ見てなかったから、数日前にダウンロードして、電車で移動しているときに見ようとした。しかし、冒頭から「これは、電車で観るもんじゃねぇ。」ってなり、家で落ち着いて観ることにした。


裁き

《裁き》はインド映画でムンバイの法廷が舞台だ。
インド映画が好きだ、という話をすると「インド映画って突然踊り出すんでしょ?」と言われる。コメディでは大体そうだが、社会派の映画では突然踊りだしたりはしない。(ストーリーの中で踊ってるから、突然踊っているわけじゃない。)あと、インド映画が全てボリウッド映画ではないため、いつも腰を振った艶かしい女性が踊っているシーンがあるわけではない。

少し前のインド映画に《Gully Boy》というのがあった。これは、ムンバイのラップスターの話で、インド的な舞踊や歌謡ではなく、今のインド人ラッパーが次々に出てくる最高にかっこいい映画だった。

《裁き》を見て、インドの法廷を感じようと思いダウンロードした。


サーミの血

《サーミの血》は北欧のラップランド地方(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド北部、ロシアのコラ半島)の「サーミ人」の話だ。彼らはトナカイを飼い暮らし、フィンランド語に近い独自の言語を持つ先住民族、と言われている。映画の舞台である1930年代、スウェーデンのサーミの人々は他の人種より劣った民族とされていた。差別に果敢に挑んでいく少女が主人公だ。

この映画は、民族誌映画としても高評価を受けており、「人類学をやっている者であれば見るべき映画」とも巷では言われている。

というわけで、見るしかない。Amazonプライムを先日だらだら眺めていたら、公開されていることを見つけた。


どれもいい映画だ。

年末年始はバイトに明け暮れる予定だったが、空前の連休を手に入れた。映画と民族誌と論文に浸れるチャンスが到来したのだ。これを幸せと言わずして、なにを、


さて、2019年も終わる。走り抜けた。大変充実していた。

論文もかけた。素敵な人にもたくさん出会えた。大好きな人もできたし、大嫌いになった人もできた。推しも増えた。嫌いなものも去年より明確にもなった。

総じて、楽しかった。将来はどうなるかわからないが。

どんなに大変なことがあっても、先が見えなくても、少しずつでも進めるようにがんばりたい。いろんなドアを開け続ければ、きっと何かが見つかると信じている。

まだまだ人生は長い。好きなことに囲まれて生きていきたい。


今年最後はこの歌詞を。

何もかも嫌になっても 何度でもドアを開け続けんだ
もし意味がなくても
何もかも嫌になっても 何度でもドアを開け続けんだ
そうすれば全ては 君だけのものさ

オカモトコウキ/OKAMOTO’S


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