「すべては小さなことのなか」:『椿姫』より
デュマ・フィスは現実に起こることを観察し、それをもとに執筆活動をしていた。『椿姫』もデュマ・フィスが若き頃に愛した高級娼婦とのことが題材になっている。(訳者解説参照)
いざ参与観察へ
さて、明日から少しばかりの参与観察の日々が始まる。文字通りの意味で「書を捨てよ、町へ出よ」状態だ。
私が参与する「ところ」で何か特別なことが起きるんではなく、その「ところ」のいつもの毎日がいつも通り滞りなく続いていてほしい。なにごともない毎日がつぶさに観察できれば、そこで起きているなにかが発見できるかもしれない。いつも以上に気を張って、目を配って、いろんな意味で、空気を読んで活動をしたい。
小さなことでも記録をつけよう。自分にとって小さなことが相手にとっても小さなこととは限らない。すごく重要なことの可能性もある。
あと、人間の記憶には限界がある。そのときメモを取るか取らないか(取れないか)、記憶できるかできないかで検討できる事例の質と量は変わってくる。ひぃ。がんばるぞい!私!有意義な時間にするぞい!私!
「すべては小さなことのなかにある」
このデュマ・フィスが言っていることはいろんなことに当てはまる。
人を観察してなにかを書いてる人にはもちろん当てはまる。日常生活でも、対人関係でもそうだ。小さなことではあるが、毎日少しでも勉強すること、人との約束は必ず守ること、嘘はつかないこと、よくないことをしたら謝ること。すべては小さいことのなかにある。些細なことが全てを表しているのかもしれない。
デュマ・フィス、いいなぁ。豊かな世界だ。
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