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映画「プライベート・ライアン」:終戦の日の夜に

2021年8月15日(日)第二次世界大戦の終戦から76年を迎えた。終戦の日は出来る限り「第二次世界大戦」や「戦争」がテーマの映画を見たり、関係のあることをしてみようとしている。

先の8月6日に広島で行われた平和記念式典で、こども代表が「平和への誓い」でこのようなことを言っていた。

本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。」

私たちは平和になっても、戦争や原爆のことを忘れてはいけない。

広島の平和記念式典のこども代表は、たくさん練習してきたんだろうなということが画面越しに伝わる発表だ。誰にでもわかるような平易な言葉で話しているのがとてもいい。代表のこどもたちには感心するし、素晴らしいなと思う。今年も良かった!

反省するべき過去があること、悲惨な過去は繰り返してはいけないこと。都合よく歪曲されたり修正されたりしたものではなくて、史実を見つめること。終戦の日くらいは、戦争のことに目を向けるのがいい。

そんなことで、今年は映画「プライベート・ライアン」を見た。すでに評価されている名作映画であるため、あらすじを書いた後は、全て感想と覚書だ。


映画「プライベート・ライアン」(1998)

スティーブン・スピルバーグ監督が、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦をもとに描いた戦争映画。原題は"Saving Private Ryan"。

トム・ハンクス演じるジョン・ミラー大尉が率いるレンジャー部隊は、別部隊のマット・デイモン演じるジェームズ・フランシス・ライアンを保護し、祖国に帰還させるという指令を受ける。

ジェームズ・ライアンは4人兄弟の末っ子で、3人の兄弟の戦死報告が自宅に届く日が同日であった。このことに気がついた通知作成部門の人たちが、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルらと相談する。マーシャルたちはライアンの母のもとに報告しにいくと共に、末っ子であるジェームズ・ライアンは前線勤務解除及び本国帰還を決定する。このような理由で、ライアンを探しにミラーの部隊が出動したのだ。

NetflixでもAmazonプライム・ビデオでもHulu、dTV、U -NEXT、YouTubeでもどれでも視聴が可能のようだ。私はNetflixで視聴した。

1度見たことがある人も多いだろうが、何度見ても名作は色褪せない。銃撃戦が苦手な人も何回か見れば冒頭の銃撃戦も目を開けてみられるようになるだろう。

冒頭の銃撃戦

「何回か見れば目を開けてみられるようになる」というぐらいに、最初の銃撃戦シーンはつらい。私は銃撃戦のシーンが苦手で、人がどんどん死んでいくのを見ると苦しくて苦しくて半泣き状態になる。「もう、やめてくれよ」と心の中で叫んでいる。

彼らはなんで戦っているのか、ここで人が殺し合うことにどんな喜びや救いがあるのか、と思ってしまう。「それが戦争だ」でことは済むだろうが、大変につらい。


ライアンひとりを保護するために複数人の犠牲がでること

ミラー大尉と6名の部下、通訳のアパム技能兵の8人でライアン探しに出発する。途中、保護を求めるフランス人家族と遭遇し、部下のひとりカパーゾがその子どもを引き取ろうとする。大尉らに反対されるものの連れて行こうとした瞬間、カパーゾは狙撃され死ぬ。

その後、ライアンを探して次の場所に移動をする。移動中にドイツ軍の警備陣地を発見する。迂回する方法もあったが、後続部隊への被害を防ぐために戦闘を開始する。その際、警備陣地を制圧できたものの、衛生兵のウェイドが戦死する。

ライアンたった1人を見つけるために道中で2人の仲間を戦死させてしまう。ミラー大尉は「部下94人が戦死したが、その10倍の部下の命を救ってきた」とは言うけども、やはり部下が戦死するのは悔しいことだ。ウェイドが戦死したときにひとりで隠れて泣いていた。大尉の心労は酷いものだろう。


捕虜として生かしたドイツ兵が再び敵として現れる

衛生兵ウェイドが戦死したところで、1人のドイツ兵が生き残っていた。そのドイツ兵は捕虜になると言う。通訳として参加しているアパムは「捕虜になった人を殺すのは違法だ」と大尉とメンバーに訴え、ドイツ兵を捕虜として解放する。

ドイツ兵をここで殺すこともできたし、ミラー大尉を含む部隊全員がドイツ兵が裏切る可能性があることもわかっていた。しかし、アパムの必死の訴えにより、ドイツ兵は生かされた。


大尉らは次なる前線の橋に辿り着く。そこで、ライアンを見つけ、彼に事情を話すのだが、ライアンはすぐに帰還命令には従わなかった。自分と一緒に戦ってきたライアンの仲間たちを置いて自分だけ生き残ることはできないと思ったからだ。

しかし、ここまででミラー大尉らの部隊はライアン一人のために2人が戦死している。ただ連れて帰ることができたら良かったが一筋縄ではいかなかった。結局、ライアンのいる部隊とミラーたちの部隊が協力して、次の援護が来るまで前線の橋を守ることになる。

ドイツ兵が橋に来たところで戦闘が開始する。物資の少なかったミラーとライアンたちの部隊は劣勢になり、ミラーの部下たちも次々に戦死する。ミラーはライアンを後退させ橋の爆破を試みるが負傷して身動きが取れなくなる。


アパムは隠れながらドイツ兵の攻撃を見ていた。すると、その中に捕虜として生かしたドイツ兵がいたのだ。ドイツ兵はアパムに気がつき「ヘイ!アパム!」と友好的な笑顔を見せる。それに静かに激怒したアパムは、そのドイツ兵を至近距離で射殺する。

アパムはみんなに反対されながらも、捕虜を殺すことは違法だとして解放した。なのに、その兵士がこちらに向かって銃を突きつけてくるのだ。アパムは悲しかっただろうなと思う。また、言語ができるために心が一度通ってしまっている。そんな人に裏切られたのだ。自分の行動にも腹が立っただろうな。


ミラー大尉がライアンに伝えたこと

身動きの取れなくなったミラー大尉は、心臓を敵軍に撃たれライアンの目の前で息絶える。ミラー大尉は最期にライアンに伝える。

「無駄にするな。しっかり生きろ。」

ライアンは無事に帰国の途につく。そして、ミラー大尉に言われたように、歳を重ねながら生きていく。


最後のシーンのトム・ハンクスは鳥肌が立つというか背筋が凍るくらいにすごい。負傷して車にもたれかかりながら座っている姿勢は変わらないのだが、目が開いていても息絶えていくのがわかるのだ。

ミラーはライアンを無事に帰還させることができたため任務は成功である。しかし、ミラーの部隊はアパムと1人の兵士しか生き残ることはできなかった。ライアンは自分のために多くの犠牲が払われたことに心を痛めただろう。すぐに指令に従っていれば、ミラーも死なずにすんだかもしれないとも考えただろう。



戦争映画が好きなわけではないため、毎度、心をボロボロにしながら見る。見終わった後の感想は真っ先に「戦争はダメだ」になる。結論がそこなのかとは思われるかもしれないが、戦争はダメだ。どこの戦地でも多くの人の命が一度に失われ、勝ったとて負けたとて良いことが無い。

戦争さえなければ、ミラー大尉もその部下もライアンの兄弟も死なずにすんだ。あのドイツ兵だってもっと幸せな人生があっただろう。ドイツ兵とアパムは平時に会っていれば友達になれたかもしれない。

人の命より守るべきものがある場合もあるかもしれない。信念を貫くことや、神に誓ったことを全うするために命を犠牲にしないといけないという考えもあるかもしれない。しかしながら、生きてこそ次がある。死んで来世に期待なんかせずに、まずは真っ当に生きてみることでは無いだろうか。

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