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物流を「見る」立場から「実行する」立場へ #02 【株式会社Linkth代表取締役 小橋重信】

ロジ人では物流テックと分類される業界の著名人、サービスをインタビューしていきます。今回は、物流コンサルタントとして活躍する傍ら、YouTubeやセミナーで積極的に情報発信をされている株式会社Linkth(リンクス)代表取締役小橋さんにインタビューをしていきます。#02では物流業界に関わるきっかけ、また印象的な仕事についてお聞きしていきたいと思います。

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▼ 株式会社Linkth代表取締役 小橋重信氏
アパレル会社にてブランドマーチャンダイジングを含めた運営にかかわり、会社の上場から倒産までを経験。その後IT企業を経て、3PL物流会社にて多くのファッション企業のBtoB、BtoC、オムニチャネル物流の新規立ち上げから運用を行う。2018年、「物流から荷主企業を元気にする」ことを目標に物流コンサルティングを行う株式会社Linkthを立ち上げ。「ファッション×IT×物流」トータルでのコンサルティング活動を行う。近著に『全図解 メーカーの仕事』。


アパレルからIT、物流へのキャリアチェンジ

ー 初めに物流に関わったきっかけは何でしょうか。

新卒で入社したアパレル会社がきっかけになります。

入社して4年で会社が上場し、6年で倒産しました。倒産した理由は、在庫を大量に抱えていたからです。売上を作るために物を大量に仕入れますが、流行から外れたり季節が早く進んだりすると、商品が大量に売れ残り、在庫を抱えることになってしまいます。そして資金が回らなくなり、銀行が融資から手を引き、会社が倒産する。

そのときに、大量に在庫を抱えて、会社が倒産するという経験、つまり「在庫が悪」ということをまず体験しました。

私は当時マネージャーでしたので、いきなり倒産ですと言われてすぐに、各店舗に電話していきました。会社が倒産したから明日から給料を払えないんだということを伝えるために。それまでは頑張って売上を上げてねって伝えていた人たちに何も出来ませんでした。そして、資金が尽きていく一方で、会社に大量の在庫が残るという局面を見ることになりました。

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ー アパレル会社の倒産がきっかけで物流に関わったということですね。その後、どこへ転職されたのでしょうか。

そこで、私自身はもうアパレルから身を引こうと思い、次に転職したのがIT業界でした。その時はまさにネットバブルで、通信のインフラを独占するために通信会社がインターネット回線に繋ぐモデムを街頭でタダで配っていたような時代でした。

私自身、株式会社インテリジェンスに転職し法人向けのインターネット回線の営業としてキャリアを進めることになります。全くパソコンを触ってこなかった人間でしたが、行く先々の情報システムの担当者に何でも知っているだろうという目で見られるわけです。

何にも知らないというわけにはいかないので、虚勢を張って「御社の通信回線の見直しをしませんか」「サーバーの立て直しをしませんか」という提案をしました。

その後、前職のアパレル会社で関わりのあったアパレルの3PL※物流会社 (以下「物流会社」という)に転職することになり、物流に関わるようになりました。経緯としては、物流会社がファッションサイトの物流業務を受託したのですが、どうもITとアパレルが両方分かる人がいないということでご縁をいただいた形です。

※3PL:「Third Party Logistics」の略語。荷主企業に代わって第三者(サードパーティー)が効率的な物流システム構築の提案を行い、物流業務の企画・設計・運営の全体を包括して請け負う業態を指す。

センター長への異動と危機

ー アパレルからIT、物流と全く違う業界に転職されたということですね。物流会社の仕事で難しいと感じた経験があればお伺いしたいです。

物流会社では最初、営業として入社し、アパレル物流の提案を行いました。営業をする際、顧客の要望に答えますと提案し受注できたものの、実行する現場にその要望が重要だと感じてもらえず、要望通りに実行できないということが起こりました。

また、現場に対する顧客からのクレームは営業が窓口となり対応する反面、本来営業が行うべき顧客との交渉ごとでは現場が対応を行い、営業はその場にいてくれればいいということもありました。

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顧客のためを思い仕事をしても、自分が現場をコントロール出来ない。その歯がゆさから、営業から倉庫のセンター長に異動しました。

異動して、外から指摘することと、現場で実行することは大違いだと気づきました。センター長になった直後は頭でっかちでしたので、緩慢とした現場を一気に改革しました。結果を出したら理解してくれるだろうと思い、土日にレイアウトを変えたり、システムや雇用制度などすべてを見直すなどしました。


ー 顧客の要望を現場で実行するためにセンター長に異動され、改革されていったということですね。急な変化に対して、現場から反対などはなかったのでしょうか。

反対意見があったことに気付くことが出来ませんでした。結果的に、当時100人ぐらいのパートの方がいましたが、半分からリコール運動が起きました。

正確にいうと、裏でセンター長についてどう思いますかというアンケートを取り、リコールに対して動いている社員がいたのです。私の動きに対して納得していなかったことが理由でした。

現場を支えているのは「人」

もちろんショックでしたが、同時に教訓もありました。自分が出来ないタグ付けや検品作業を毎日毎日、朝から晩まで愚直に行っている人がいる、そういう人たちがいて現場が回っているということです。

しかし、リコール運動前は、私はそういった現場の人を少し軽視していたところがありました。現場の人たちに支えられて成立していることを、私は理解せずにどんどん一人で変えてしまったことにより、結局現場が何も回らない状態になってしまいました。一時は退職を考えましたが、方針を変え、センターの従業員全員に謝罪をして再スタートをすることになりました。

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ー リコールのご経験から、現場の人たちの努力によって現場が回っていることを改めて感じたということですね。

そうです。それまでは自分自身が部下を完全に信頼できていませんでしたし、自分で全部変えようという思いで仕事をしました。しかし、一人の人間で変えられるほど、物流現場は簡単なものでないということを強く感じた経験でした。

ー 物流現場を変えることの難しさを感じられたということですが、現場を変えていく上で重要なことは何でしょうか。

まず、相手の立場に立って考えることが重要です。当時を振り返ると、私自身、人の気持ちを考えていたつもりでしたが、考えられていなかったと思います。

やはり、人は現状を変えられることに対して非常に抵抗感を持ちます。自分はよかれと思い「この方法が良いんじゃないか」という提案をしたとしても、現場の人にとっては過去の行いを否定するように聞こえてしまいます。ですので、提案を受け入れることは難しいです。

そして、相手の立場に立って考えた上で、どうやって伝えるかがさらに重要になってきます。

具体的には、こういう思いで現場を変えたいから協力してくださいという姿勢が必要であると思います。いきなり目の前に、ドーンと変わった現場を突き付けられると、それが良いものだとしても抵抗なく現実を受け入れられないでしょう。


<取材・編集:ロジ人編集部>


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