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追記 - After Reports - 喜連川・内川

 何事にも寿命というものがあると実感したのはいったいいつ頃からだろうか。
 それはまさしく実感で、自分の周りにある雑多な存在が消えたり潰えたり、音もなく気づかぬうちになくなっていく。機械が壊れた原因がわからない場合でも「寿命だね」と言うし、修理の施しようのない車にも同じ言葉を使う。世の森羅万象にはすべからく、避け得ない終着点があるのだ。それが当たり前だと感じるようになったのは、どのあたりを境にしてからなのか。

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 2019年10月12日、東日本を中心に大きな被害をもたらした台風19号が栃木県を襲った。県内の多くの箇所で受けた瑕は、拙作【爪跡と生活】のシリーズにて10回にわたりお送りしたが、それらと比較しても小さくない被害がまだまだ他の各所に残っていた。
 その中の一つにさくら市がある。さくら市は2005年3月に氏家町・喜連川町が合併して発足した市で人口は約4万5千人。宇都宮より15kmほど北上した地域にあり、西に鬼怒川、東に那珂川が流れ、内川や江川といった支流とともに平野に開けた田園地帯である。

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 さくら市はその名の通り桜の名所が数多く存在する。そのうちの一つが「早乙女の桜並木」だ。この早乙女の桜並木の整備は1928年と早く、早乙女・葛城・喜連川地区にまたがる県道約500mの両側に約100本の桜が植樹された。寿命60年と言われるソメイヨシノだが、既に100年近くが経とうとしているこの並木道で、紆余曲折を経て残った桜が現在は78本。一部はお丸山公園へ移植などされたものの、樹勢の衰えは否めない。

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 この並木道をまっすぐ喜連川市街方面へ進むと連城橋に行き当たる。連城橋は荒川に架かる古い橋で、江戸時代には同地に木橋が架かっていた。これが連城橋の原型とも言われており、同橋の竣工は昭和31年3月31日という、何とも並びの良い数字が親柱に刻まれている。

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 この連城橋の近辺が支流の内川との合流地点だ。古来より水害のポイントとして指摘されていた地域で、さくら市の「重要水防箇所」として改修の計画が進められていた。
 この連城橋の旧道の一本東には国道293号となった新道があり、荒川とそこに合流した内川、そして国道が作る三角形の内側、まさしく洲にあたる部分に「道の駅きつれがわ」がある。この道の駅きつれがわにはさくら市水辺公園が併設され、市民や多くの観光客の憩いの場となっている。

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 この日、連城橋を訪れ荒川の姿を写真に収めていた。本来は那須烏山・荒川篇での取材だったのだ。だが並走する内川の被害もあり、急遽そちらも歩いてみることとした。なので写真は荒川・内川が混在している。

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 まずは連城橋付近の荒川の被害だ。堤防の壁面が崩れ、大規模な修復をしている。重機も持ち込まれ、流域を切り回す大掛かりな工事が行われていた。連城橋自体も大水の影響が残り、漂流物が相当量付着したままだった。歴史ある建造物であるが、橋としての設計に古さは否めない。歩道部分は後から下流側に併設されている。
 この箇所近辺で越水し、橋自体の崩落は免れたものの、周辺のやはり古い堤防で一部法面が崩れるなどした。これらを含めた橋と桜並木からの県道を一体とした改修計画が持ち上がっているのだ。
 大きな台風などの飛来とともに常に水害の危険をはらんだ区域なので、行政としては当然対策を打ちたいところだ。だがその手立てとして、桜並木の伐採が必要なのは何とも物悲しい。

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 続いてさくら市水辺公園を歩く。ここが荒川・内川の合流地点で、公園の端からまさに二股に分かれようとしている両川を臨むことができる。
 ここにも大量の水が侵入し、一面が砂で埋めつくされていた。設置されている遊具も水に沈んだ跡があり、痛々しい姿を晒している。遊水用の施設のために設けられた水門にも柵が曲がるなどのダメージが残っている。
 この公園から道の駅の駐車場へと外回りに歩くと、そちらは内川だ。
 内川は矢板市の八方ヶ原を源流とし、中川や金精川などの支流を集めながら矢板市を南東へと走り、さくら市の喜連川・葛城の境付近、つまりここで荒川と合流する。矢板からさくら市一帯に広がる水田の灌漑用水として広く使用され、その用地面積は740ヘクタールとも言われている。

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 内川の大規模崩落はこの連城橋の付近ではなく、もう少し矢板側に遡った鷲宿という地域だ。喜連川工業団地を過ぎてしばらく遡上すると突如決壊箇所が現れる。他の支流との合流などは見受けられない。河川の湾曲部分で強度が足らず、大規模崩落したようだ。法面の崩壊だけでなく、内側の壁面の破壊具合を見ても、実はかなり強大な力がかかっていたことがわかる。
 こちらは最近の撮影だが、まだまだ仮の補修であり、堤防としての修復工事は行われていなかった。これから台風のシーズンを迎え、急ピッチの復旧が必要とされる。

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 さくら市は温泉施設や工業団地等が存在するものの、主に水田農業が盛んな街だ。よって水害対策は何をもってしても重要で、今回の連城橋近辺の「重要水防箇所」としての改修計画には積年の願いが込められているといっても過言ではない。また、道の駅きつれがわの経済効果も馬鹿にできない。洲に存在するこの道の駅が機能不全に陥るようでは市にとっても大打撃だ。
 その正論は認めるが、釈然としないのはなぜだろうか。早乙女の桜並木の樹勢は前述したようにかなり落ちており、樹木としての寿命を迎えつつあるといっても良い。樹齢も100年に喃々とする。別の場所に移植する救済手段には今回ばかりは耐えきれないだろう。寿命のあるものはいつかは終わる。その時期が今というだけだ。

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 しかし、心から納得はできない自分がいる。おそらく、78本もの桜の木を伐採するというその景色の冷酷さを受け入れ難いのだ。
 あるがままの自然に感情のようなものはない。だが自然に対抗しようとする人間の意志は、時に冷酷で残酷だ。

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 さくら市のホームページによると、2005年の合併時に決定した、「さくら市」という新たな市名には、市内各所にある桜の名所にちなみ、「桜の花のように美しい"まち"になって欲しい」という町民のまちづくりへの願いが込められている。

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