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爪跡と生活  - Life with Disaster - 宇都宮・姿川篇

 大谷石をご存じだろうか。

 大谷石とは資材用途の石材で、軽くて軟らかく加工しやすいため主に住宅用として使われる。耐火性に優れており、かまどや石塀、あるいは蔵や倉庫の壁などに使用されることが多い。栃木県宇都宮市を主な産地とし、石を切り出す採掘場が市内の大谷町に集中して存在することから大谷石と呼ばれる。

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 城山地区大谷町は宇都宮市の北西に位置し、総世帯数は約800世帯、人口は約2,200人ほどの小さな地域だ。その大谷町には宇都宮の中でも屈指の観光資源がいくつか存在している。日本最古の石仏と言われる大谷寺の磨崖仏をはじめとして、巨大な平和観音や大谷石資料館などの観光拠点がある。
 大谷石資料館は、1919年~1986年まで約70年間かけて大谷石を掘り出してできた広大な地下空間である。採掘場跡地の地下空間の広さは140mX150mほどもあり、坑内の年間平均気温は自然の状態で約8℃前後とほぼ一定に保たれている。戦時中は武器などの秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫としても利用されていた。現在ではコンサートや美術展、演劇などの多くのイベントが開催されているだけでなく、地下教会として結婚式も執り行われている。

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 そのような大谷町も日本を席巻した台風19号の被害を免れなかった。2019年10月12日午後7時30分頃、街の中央を流れる姿川が氾濫し、周辺の住宅や店舗に広く浸水。その深さは最大で50cm以上になった。街の入り口にある観光客用の市営駐車場は姿川の川沿いにあり、氾濫のため大量の泥やドラム缶などが場内に流入、一時期は大半が使用不可能となった。
 また、付近の乙女橋や観音橋が一部損壊して通行止めになったほか、住宅地の裏手にある名もない橋は完全に崩落した。

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 市営駐車場から街道を挟んですぐのところにある「スタンダードベイカーズ大谷本店」は、ベーカリーカフェとカジュアルレストランで構成された大谷町の人気スポットだ。大谷町の観光拠点の入り口にある立地の良さだけではなく、店内のおしゃれな雰囲気も相俟って、若い人たちを中心に大勢の観光客で賑わっている。

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 しかしその店も、被災当日は床上約50cmほどまで泥水が侵入。川から流れ出た重い泥を含む大量の土砂が店内に流れ込み、粉をこねるミキサーやパンを焼くオーブン、あるいは冷蔵庫などが水に浸かり、ほとんどの機器が使い物にならなくなってしまった。被害金額は約5,000万円にのぼる。大谷町屈指の人気店も長い休業を余儀なくされた。

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 宇都宮市内には大きな河川が3つ流れている。先日の記事でも紹介した市内の中央を流れる田川、宇都宮の東部を流れ、2015年の東日本豪雨の時に茨城県常総市三坂町で決壊した鬼怒川、そして今回氾濫した姿川である。
 姿川は栃木県宇都宮市にある鞍掛山を源流としており、大谷町などの宇都宮市北西部から西部を流れ、壬生町~下野市を経て小山市で思川へと合流する、約40kmほどの長さを持つ河川だ。宇都宮市を源流としているので、ある意味では最も宇都宮を代表する川であるとも言える。
 大谷町から下流の田園地帯をゆるやかに流れる姿川は、古代より採掘された大谷石の運搬に使用されていたと想像される。とてもロマンに溢れた川だ。

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 姿川を中心に大谷町を歩くと、やはり沿岸の被害の大きさが目に留まる。大谷の街を流れる姿川は、台風19号の被害に遭った県内外の他の河川より比較的小規模な印象がある。川幅も狭く、架けられた小さな橋も石造りのレトロな意匠のものが多い。それらはお世辞にも最新の水害対策が取られているとは言い難い。橋の損壊もあちこちで見られ、現在その多くは補修工事が急ピッチで行われている。

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 大谷は石の街だ。街道沿いには石材店が数多く軒を連ね、街中の建造物にも大谷石がふんだんに使われている。これら大谷石建造物と姿川の風景は分かちがたい相棒のようなものだ。川の法面までもが大谷石で組まれているところも多い。いまその姿川の法面は現在ほとんどの箇所でフレコンバッグによる応急補修が施されている。
 河川沿いにある住宅は浸水の影響が大きく、甚大な破損や生活を断念して放置されている住居が少なくない。中には漂流してきた流木に大きくへこまされたガレージなどもあった。

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 「大谷デイサービスセンターみやスタイル」は姿川沿いの旅館だった建物を利用した通所介護施設で、2階建ての1階部分を施設として使用しており、毎日平均23人の利用者が同センターに通っていた。
 だが今回の台風で所内に1mほどの高さまで浸水。ホールや風呂場などが泥だらけになり使用不可能になる被害を受けた。同センターは2015年の東日本豪雨でも同様の被害に遭い、その時は床の張替えなどに800万円ほどの費用がかかった。わずか4年後の今回も同様の再建費用が見込まれることから、再開を断念して10月31日に閉所を決定した。

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 姿川の被害は大谷町だけでなく、下流のいたるところで散見される。栃木街道沿いや栃木県子ども総合科学館の裏手部分もさることながら、大きな崩落が見られたのはやはり思川との合流地点だ。
 小山市にある合流地点付近を歩くと、上流と比較すればかなり広くなった川幅を覆い尽くすように、ブルーシートで応急処置された崩落箇所が確認できる。合流地点はこの地点から目と鼻の先だ。やはりバックウォータ現象が被害を大きくしたようである。

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 以前の記事でもご紹介したが、本流である思川はここから下流の小山市内で氾濫した。しかしそれだけではなく、上流の粟野川との合流部でも大規模な氾濫が発生している。姿川もその支流である新川との合流部分で別の氾濫を起こしており、これらは別の記事でまたお伝えできればと思う。

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 こういった氾濫被害は住宅などの生活圏だけの被害にはとどまらない。大谷町は大谷石の需要の減少から年間の生産量がピーク時の89万トンから下降の一途を辿っており、現在では1万2千トンをわずかに超える程度しか生産されていない。そのような事情から、昭和40年代頃から街のメイン産業を旧来の採掘業から観光業へと大きくシフトしており、昭和末期ごろには宇都宮の観光客数のほとんどを大谷町が担っていた。

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 ところが1989年、大谷町坂本地区において大規模な陥没事故が発生したのを皮切りに観光客数は激減。平成元年のピーク時は約680万人だった年間観光客入数が平成23年には約180万人まで減少し、現在では60万人を数える程度まで減っている。
 同時期、宇都宮市中心部では餃子の街というアピールが成功し、平成元年ごろの観光客数は約1,274万人へと増加した。現在ではこの数も1,600万人を超え、日光市とともに栃木県の観光を担う両翼となっている。それと比較すると、大谷町の凋落ぶりは目を覆いたくなるばかりだ。

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 そこで大谷町は、年間120万人という観光客数の倍増を目指し様々な施策を行ってきた。慢性的な飲食店不足に悩まされていた街は前述の「スタンダードベイカーズ」を筆頭とした、若者受けも良いおしゃれな店舗を相次いで開店し、街への集客を狙った。その効果は徐々に表れつつあり、県外からの観光客だけでなく、市内からも常連客が通うようになり、一定の効果を上げていた。

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 しかしそこで今回の台風被害である。被災によって休業・廃業した店舗もあり、観光資源へのダメージも大きい。大谷石資料館近くにある大谷景観公園では川沿いの法面が崩れ、長く立ち入り禁止が続いていた。大谷石は細かく崩れやすく、川岸にある大谷石の巨岩も一部がほろほろと崩れ落ちている。
 観光のメインである大谷資料館・大谷寺・平和観音などには被害がなかったが、30年前の陥没事故の教訓通り、一度失った客足を戻すことは容易ではない。大谷町はこれからの街の行く末の大きな岐路に立たされている。

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 大谷の街全体が石造りを多用しているが、温かみのある大谷石の質感とは裏腹に、街全体に漂う冷たい雰囲気が存在するのは否定できない。それは以前は賑やかだった街が活気を失う、という事実を無理やり嚥下していることに起因している。そういった街は日本全土にあると思うが、身近な地元に存在すると、その冷徹な印象にただただ驚くばかりだ。
 それが象徴であるとまでは言わないが、こういった街並みから感じられる冷たさは日本経済の下降ぶりを表した一つの断片なのだろう。被災の悲惨さだけではないこのひやりとする感覚を、どうにか写真で残し伝えられないものだろうか。

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 年も明けた2020年1月2日、泥水で覆われた店内のクリーニングや設備機器の入れ替えを行い、「スタンダードベイカーズ大谷本店」は約2か月半ぶりの営業再開を果たした。リニューアルオープンに伴いメニューも一新。名実ともに新たなスタートを切ることができた。
 同店の経営者は「2か月半の休業期間は有効な時間だったと、サービスでお客様に伝えたい」と、下野新聞のインタビューに応えている。

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