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爪跡と生活  - Life with Disaster - 那須烏山・荒川篇

 2019年10月12日、日本全土を襲った台風19号は、栃木県那須烏山市内を流れる主要河川・那珂川において、川の増水によって市中の雨水が排水できなくなる、いわゆる「内水氾濫」が起こり、市内にある4か所の浄水場や取水場に大量の雨水が侵入して施設全体が水没。上水施設の機能不全をもたらした。
 その翌13日からは市内の半数にのぼる約4,000戸での断水を余儀なくされ、市外から水を引き回すなどの懸命の処置にもかかわらず、断水が解消される目途は全く立たなかった。
 被災後、市が運営する3つの診療所のうち2つが断水のため休診。これらの診療所を利用する患者は1日当たり数人から数十人であり、暮らしへの影響が深刻化していた。残る1つの診療所・那須南病院も水の確保が難しく、診療を続けられない。このままでは市内の主な診療所すべてが休診になるかと思われた。
 そんな中、10月13日に陸自第10師団災害派遣隊第10後方支援連隊による給水支援が、市の中央・山あげ会館など合計7か所で開始された。

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 那須烏山市は2005年に旧烏山町と旧南那須町が合併して誕生した、人口約3万人の市だ。栃木県の東部に位置し、八溝山系を背景に持つ緑豊かな土地である。
 那須烏山市で特筆すべきは、国の無形民俗重要文化財とユネスコの無形文化遺産(代表一覧)に指定されている「山あげ祭」だ。

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 山あげ祭の特徴は全国でも類のない絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊の形態をとっていることで、これらの歌舞伎舞踊を同市内の八雲神社の御神前へ奉納する。当番制による地域ごとの持ち回りで、その年の主宰がすべての演劇を取り仕切る。町ごとに特色や得手不得手があり、その辺りを楽しみにする常連客も多い。
 野外に組み立てられた舞台で行われる歌舞伎舞踊は、照明や音声も町の同志により行われる、いわゆる地方歌舞伎だ。見どころはこの舞台の解体・設置で、数十人の男衆が一斉に舞台装置を動かす様は圧巻である。
 祭は7月の第4週の週末に足掛け4日かけて(3日の年もある)行われ、市内のあちこちで演じられる舞台の公演数は20回程度にもなる。その期間内で何種類かの異なった演目が上演されるのも特長だ。この祭りが始まると梅雨も明け、北関東はいよいよ夏本番である。

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 那須烏山市内にはいくつかの河川が流れているが、最も大きな川は那珂川だ。那珂川は那須岳を源流とする関東でも第3位の大きな川で、那須町・大田原市・那珂川町(旧馬頭町)などを流れ、那須烏山を通って常陸太田市から最後は太平洋へと注ぐ。
 かなり大きな河川であるので水害対策もしっかり取られており、今回の台風においては、那須烏山市内では直接的な越水・溢水は発生しなかった。那珂川がもたらした水害は、前述した内水氾濫と、バックウォータによる他の支流の決壊である。

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 ※筆者註 那珂川は栃木県内においては大きな被害はなかったが、茨城県において数か所決壊し、大きな氾濫を引き起こした。そちらの件については別の機会において詳しく述べたい。

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 那須烏山市内で那珂川と合流するのが荒川だ。東京都にも同じ名前の荒川があり、そちらの方が圧倒的に知名度があるが別の河川である。
 荒川は塩谷町を源流とし、矢板市からさくら市へと流れ、内川・江川などの主要な支流を合わせつつ、市内向田にて那珂川へと合流する。その合流地点において、2019年10月13日午前0時20分頃、今回の決壊が発生した。

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 合流地点にかかる向田橋からの写真を見ると、かなりの長さで法面が崩落しているのがわかる。崩れ落ちた岸のすぐ近くはもう民家だ。
 崩落の主な原因は流木である。上流の大木が流され、向田橋近辺にて滞留し、法面へと過度な負荷がかかった。今もその大木は撤去されておらず、川岸に大きな爪跡を残している。

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 少し上流を歩くとそこには重機が入った跡があり、土手はいくらか整備されている。それでも泥濘は相当量が残り、周辺の木々にも漂流物の名残がまとわりついている。見上げるような大木も多く、静謐な雰囲気は人里近くといえどまるで山奥のような景観を作り上げている。
 荒川は那珂川との合流前に大きくうねっており、そこが溜まりとなって浅瀬に魚が集まる。周辺は渓流釣りのポイントであり、この日も数名の釣り人が釣り糸を垂らしていた。普段であればとても穏やかな川だ。

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 しかし荒川はその名の通り氾濫の多い川で、過去にも大きな氾濫が幾度となく繰り返されている。近いところでは1998年8月の集中豪雨でやはり決壊し、さくら市を中心に広範囲で冠水した。
 氾濫の多くはさくら市(旧喜連川町)の連城橋付近が多く、そちらには内川との合流地点がある。この地域は別のシリーズで再度取り上げたい。

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 荒川の土手を歩くと竹林が薙ぎ倒されているのが目立つ。成長した竹の根を見たことはあるだろうか。激しく勢いのある濁流の力に敗れた竹がその無残な根を晒していた。竹は他の竹や木々と複雑に絡まり合い、水の流れを止めて被害を巨大化させた。一部は重機により取り除かれた跡があったが、多くはそのまま放置され、景色を異様なものにしている。

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 荒川の被害のあった箇所近辺の土手は先述した通りわずかに補修されていて、人工的な広い通路のように均されていた。その地に一人佇むと、世界の孤独を一身に背負ったかのような錯覚に陥る。天と地と、幾ばくかの荒れ果てた樹木があるばかり。迷い込んだのか。それとも放り出されたのか。
 森の奥深くへ来たわけでもないのに、あまりにも人との距離を感じてしまう。だがそれもまた、不思議と心地良い。
 長いことその場にとどまってから、1枚だけ写真を撮った。

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 一方、内水氾濫を起こした城東地区を歩いてみると、水が引いてから2か月以上経っているものの、路面などに泥濘の跡があちこち散見される。この地区にあるスーパーマーケット「ベイシア烏山店」では泥水が最大20cmまで入り込み、棚や商品に多大なダメージを与え、ほとんどの冷蔵・冷凍商品は廃棄せざるを得なかった。店舗に設置されているATMも損害を受け、機械が使えるようになったのはつい最近、2020年1月末頃からだ。そのベイシアの駐車場はもちろん、近隣の他の店舗にも冠水した跡がいまだに多く残されていた。
 台風当日、この地区にある那須烏山市の水道庁舎を含む城東地区全体が冠水し、市内への給水がストップした。断水は10月21日までの1週間以上続き、住民の生活の大きな足枷となったのだ。

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 10月31日付の那須烏山市長の定例会見において、今回の冠水による市内全体への断水について、「浸水を防御できるよう、防護壁やかさ上げなどで施設の強化を図りたい」と述べているが、近隣は商業地区であり民家も多い。水道庁舎のみをかさ上げしたり、国の基準では5~10mと言われている防護壁を築くことが容易であるとは思えない。那須烏山市だけに限らないが、100年に1度と言われる災害に対する備えは、ゼロリスクへの戦いであるといっても過言ではないだろう。

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 陸自第10師団災害派遣隊第10後方支援連隊は、被災翌日の10月13日から断水が解消される10月21日まで給水支援を行い、市民の生活の礎となって活躍した。殊に10月15日から10月20日にかけては烏山中央公園において野外風呂を設営し、市民の入浴支援にあたった。飲み水等は工夫と協力でどうにかなるものの、通常は風呂の水まで確保できるものではない。延べ1,124人の住民がこの野外風呂を利用し、温かいお湯に浸かることで被災の疲れを大いに癒した。

 同師団は10月21日に撤収式を行い、たくさんの市民が感謝の意を伝えるため見送りに集まった。那須烏山市長は「潤いと温かさをいただき、皆さんのおかげで笑顔が戻った人もいる」と謝辞を述べた。
 復興への祈りと温かい拍手とともに、隊員たちは帰属する部隊へと戻っていった。

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