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爪跡と生活  - Life with Disaster - 足利・出流川篇

 2019年10月16日15時、群馬県太田市に本工場を置く自動車会社スバルは、本工場と近隣の矢島工場、および同県大泉町にある大泉工場の自動車生産ラインが停止するという事態に陥った。同工場はその年の10月12日に日本列島を襲った台風19号の直接的な被害は免れたものの、生産に必要な部品を供給する部品生産企業、いわゆるサプライチェーンの一環である工場が被災したため、部品調達に支障を来したのだ。足利市の毛野東部工業団地に属するその企業は、所有する金属プレス機30基・溶接ロボット27基が70cmの高さまで水に浸かり、電気系統を中心に致命的な打撃を受け、操業が不可能になった。

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 足利市は栃木県の最も南西部に位置し人口は約15万人。宇都宮市・小山市に次ぐ経済規模を有し、国道50号が街の東西を通る。その国道50号を少し西に走るともう群馬県だ。
 往時は織物業が盛んだったが、現在では自動車部品製造を中心とした工業へとシフトしている。市内には日本最古の大学といわれる足利学校があり、そのほかにも鑁阿寺・足利織姫神社といった由緒ある史跡が多く、観光客も多い。その観光名所の一つ、あしかがフラワーパークはCNNが選出する「世界の夢の旅行先」に日本で唯一選出されたこともある。ここはダイナミックな藤棚が有名で、シーズン外でもイルミネーションなどのイベントを開き、一年を通して観光客の誘致に努めている。年間の来訪者数は165万人にものぼる。
 そのあしかがフラワーパークも今回の台風で甚大な被害を受けた。同公園は毛野東部工業団地に隣接していると言っても良い立地にあるのだ。

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 今回の台風で決壊した河川は出流川(いずるがわ)だ。栃木県には同名の出流川が2か所あり、栃木市内に源流を持ち、蕎麦処で有名な出流原や古刹・出流原満願寺の近くを流れ、永野川へと合流するものと、佐野市寺久保町を源流として、足利市内の水田地帯を流れやがて旗川へと注ぐものだ。今回決壊があったのは後者の出流川である。

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 毛野東部工業団地を高台から眺めると、西に尾名川、東に旗川を境とし、やや中央寄りを出流川が流れている。この3つの川に囲まれる地域に、毛野東部工業団地とあしかがフラワーパークがすっぽりと収まる格好だ。
 このうち出流川は旗川の合流地点付近で決壊し、水田に大量の濁水を吐き出した。旗川と尾名川も大規模越水し、工業団地は端から端まで一面水浸しになった。今回の台風による被災地を何箇所か訪れたが、浸水域の広さでは最大かもしれない。

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 被害のあった旗川の河川敷を歩くと、出流川の水門付近で大きな被害があったことがよくわかる。巨大な流木が放置され横たわる姿はここ最近何度も見てきたが、この旗川にある流木はひと際大きい。水門設備も泥をかぶり、ガチガチに乾涸びている。
 出流川の決壊箇所はフレコンが積まれ、応急処置がなされてはいるものの、直接田んぼに隣接する河川なので法面が弱く、やや心もとない。決壊箇所近辺の水田は決壊時の激流で底が大きくえぐられ、河原の石が大量に流れ込んでいた。中には重そうなブロックもちらほら存在する。

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 出流川の決壊は今回の台風19号の特徴であるバックウォータ現象が原因と言われている。バックウォータ現象とは、水量が少ない上流の小さな川(支流)に対し、水量が多くなりすぎてしまった下流の大きな川(本流)に支流の流れが堰き止められてしまい、水が逆流して支流の水位が急激上昇する現象だ。その結果、支流は水位の限界を超えて決壊を引き起こす。
 出流川は下流の旗川の水位が多くなりすぎてしまい、堰き止められる格好となって一気に水位が上がり合流部付近で決壊してしまった。旗川はさらに大きな下流の渡良瀬川に合流するので、そちらの水位が急上昇し堰き止められる形になって越水した。

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 足利は豊かな水源を誇り大小の川がたくさんあるが、結果それが仇となり数か所での氾濫を引き起こした。

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 工業団地の西側は尾名川が流れ、こちらも氾濫した。工業団地への浸水の直接的な原因は、この尾名川の氾濫だ。
 毛野東部工業団地は11事業所が集まり、いくつかの緑地を挟んで工場が隣接している。その一つ、佐藤金属工業が浸水し、スバルへの部品供給が滞ることとなった。
 佐藤金属工業の工場は尾名川からは2m近く高い所に位置するが、それでも致命的に冠水した。従業員120名を抱える同工場は、プレス機やロボットの電子制御系統やモーターに水が入り使い物にならなくなった。10月13日に水は引いたものの、呆然とせざるを得ない状況の中、従業員総出で工場の泥をかき出す作業に没頭した。
 それでも機械のメンテナンスなどの人手は圧倒的に足りない。そこでスバルは生産ラインの停止する10月16日から、工場設備の保全担当者・合計190名を3交替態勢で同工場へ応援を送り、24時間作業で復旧に当たった。そして同月25日、部品供給のめどがようやく立ち、スバル本工場の生産ラインの稼働を再開できた。

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 工場の近辺は現在ではきちんと片づけられ、生産の落ち着きを取り戻しているかに見える。だが一歩裏手に回ればまだ災害ゴミなどが散乱しており、平時のゴミ一つないような工業地帯とは一線を画している。
 工業団地に何箇所かある緑地にも氾濫の跡があり、地面にこびりつき固まった泥濘がいまだその姿をとどめている。小さな河川敷にはユンボが置かれ、復旧工事の様子がうかがえる。

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 一方、足利市での一般住宅の浸水は793件、被害総額は農業分野なども含めると88億6千万円に上る。被害に伴う災害ゴミの量は7,000トンを超え、県内では栃木市・佐野市・鹿沼市に次ぐ第4位だ。そして特筆すべき被害は、1名の尊い命が奪われた点にある。
 10月12日夜、足利市寺岡町に住む一家が避難しようと乗用車で自宅を出たところ、濁流に流され乗用車ごと水田に水没。すぐに救助を要請したものの、待つ間に水はフロントガラスの上にまで達した。その後その自動車から3名の男女が救出されたが、うち同乗していた85歳の女性の死亡が確認された。

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 寺岡町はまさしく出流川と旗川に挟まれた地域だ。被害に遭った一家は、10月12日午後8時ごろに避難を決断。RV車で道路を進むも自宅からわずか数百mの地点で旗川から流れてくる濁流に車ごと飲み込まれた。急激に浸水する車内の中で懸命に救助を待ったが、未曽有の災害に消防車も近づけない。翌10月13日午前3時にようやく救出されるも、普段から心臓が弱かった一家の母親は低体温症により残念ながら帰らぬ人となった。一家が乗っていた車は道路から田んぼ一面分も流されていた。

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 商業関連の被害も深刻だ。あしかがフラワーパークは観光の目玉である1,000平方メートル以上の広大な藤棚を有しているが、樹齢150年の大藤を含む4本の藤の木すべてが冠水した。またそれだけではなく、イルミネーション機材のほとんどが水没した。見ごろを迎えた花々も被害を受け、レジや自動販売機などを含む機械類を合わせると被害は数億円規模になるという。
 復旧に向けて、水が引いた10月14日から150名いる従業員総出で施設の掃除やイルミネーションの修理が行われ、同月18日にようやく電気や水道などのライフラインが回復した。その後も施設内の花を植え替えたりし、10月20日から営業を再開した。
 再開当初はまだまだ園内に瓦礫が積まれ、十全な状態での営業とは言えなかったが、「多くの被災施設の先頭になって復旧していく姿を見せたい」という同園の早川社長の意向もあって、早期の再開にこぎつけた。

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 あしかがフラワーパークの隣には迫間自然観察公園という天然の湿地帯がある。地形的にも水が溜まりやすい地域なのだ。湿地の中央を尾名川に注ぎ込む用水が流れ、希少な動植物が生殖する貴重な公園だが、借地権の問題もあり、一部縮小が予定されていた。そのさなかの被害に、園内は泥をかぶり木々は折れ、手つかずのまま荒廃が進んでいる。

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 県内の被害報道を見てみると、被害規模の大きいものから優先的に報道されていく原則があるため、足利市の被害報道の優先順位はやや低めだったと言わざるを得ない。だが実際に被災地を歩いてみると、被災直後の悲惨さを直接感じられたわけではないが、その規模の大きさに驚きを隠せない。
 正直に言えば、写真を撮りに来る前は今回のシリーズから足利は外そうかと考えていた。工場等の浸水自体は宇都宮や小山などでも見られた光景であるし、報道資料も他の地域に比べると少なく、最後まで迷っていた。

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 だが聞くのと見るのとでは大違いである。3本の河川に囲まれた工場の見える豊かな田園風景は、我々栃木県民には見慣れた原風景だ。その一望された景色一面に泥が被り、荒廃している様はわが身を震撼させる。
 寡聞にして聞かない地元の川で起きた氾濫がこれほどの被害をもたらすことに寒気さえする。尾名川などは本当に小さな川だ。大袈裟に言えば、そんな小さな川でも日本経済に大きな打撃を与えることができる。

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 足利は森高千里の「渡良瀬橋」の歌詞にもある通り、夕焼けが大変美しい街だ。暮れなずむ渡良瀬川のほとりに身を置くと、広い空と遠くの山々に色んな思いを馳せるだろう。暗くなる空の下、少しずつ街の明かりが灯されてゆく。
 2019年11月2日、県の天然記念物でもあるあしかがフラワーパークの大藤には無数のイルミネーションが飾られ、無事に被災後初めての点灯を迎えることができた。早川社長は「どれだけ多くの人に支えられたか。感謝の思いを伝え、皆さんの心を照らしたい」と再開の喜びを表している。
 この再点灯の日は県の内外から前年を上回る数の観光客が訪れ、450万球に及ぶ幽かな光に傷ついた心を癒された。

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