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爪跡と生活  - Life with Disaster - 小山・思川篇

 2015年の東日本豪雨の際にも越水しなかった思川だが、この日は何かが違っていた。消防本部から「土嚢を積め」と小山市第13分団に指示があったのは、台風19号による大雨がやんだ後も川面がどんどんせり上がっていた、2019年10月13日午前0時30分頃だった。

 栃木県小山市は人口約16万7千人、栃木県内でも宇都宮に次ぐ大きさの街で、栃木県の最南端に位置する。緯度としては隣県の県庁所在地である前橋や水戸と同じくらいで、西に両毛線、東に水戸線が通っており、国道50号線と合わせて東西の往来の要である。もちろん国道4号線や宇都宮線を中心とした南北の交通もあり、新幹線も停車する上に東京から60kmほどという距離も相俟って、古来から交通の要所として栄えてきた。
 物流等の効率化が期待できることから大企業の工場誘致が盛んで、それらに付随する供給業者も増え、労働人口は近隣の市町村よりもかなり多い。

 今回の台風19号で氾濫した思川は小山市の中心から少し西を北から南へと流れており、野木町を通って渡良瀬川へと合流する。川幅も広く、河原には運動場などを備えた思川緑地が整備され、その付近には白鴎大学のキャンバスや県南体育館がある。

 この思川緑地の近くから越水したとの情報が入ったのが10月13日の未明である。ここに学び舎のある白鴎大学大行寺キャンパスでは、12棟あるうちの9棟で最大1mまで床上浸水し、10月15日から10月19日までの5日間に渡って学業の中止を余儀なくされた。
 小山駅東にあるもう一つのキャンパスで臨時に授業を進めながら、学生たちはSNSなどを駆使してボランティアを募り、被害にあった大行寺キャンバスの清掃・片づけに努めた。呼びかけに応じて集まった学生の数は400人を超えた。

 この大行寺地区には思川の支流・豊穂川の合流地点があり、もう一つの支流・杣井川と合わせて氾濫し、近隣の住宅への浸水被害をもたらした。特に豊穂川には2015年の東日本豪雨の浸水被害を受けて思川への注ぎ口に水門が設置されたが、今回の台風でも氾濫を防ぐことはできなかった。

 下野新聞によると、台風19号での大行寺地区の被害は床上・床下浸水を合わせて262棟。東日本豪雨時の浸水被害が900棟超であることをふまえると、水門の効果は一定数あったとは言えるが、被害を完全に防ぐことはできなかった。行政側の手順も特に不備はなく、思川からの逆流を防ぐためある程度の水量に達した場合は水門を閉めることになっていたのだが、その際は上流から流れてくる水を止めることはできなくなる。そこで排水ポンプを稼働して上流からの水を排水するのだが、そのポンプも排水能力が追い付かずやがて水没し、結果この地域の浸水被害が広がった。市は「(排水ポンプが)正常に稼働していたとしても追いつかなかっただろう。現時点でできることは全てやった」と強調している。

 また、この地区にある小山自動車教習所では東日本豪雨の教訓を活かし、教習車や送迎用の自動車などは台風前に予め別の場所へ移しておいて無事だった。それでも教習所内は1.5m近くまで浸水し、受付のPCや運転シミュレータなどの動かせなかった高額機器が水没。10月23日まで営業を停止せざるを得なかった。過去の被害を踏まえた準備をしていたものの、その想定を上回る台風の威力に完全な防災ができなかった例である。

 そういった多くの被害があったこの地区を歩くと、荒涼な河原に流木や災害ゴミが漂着しているのが目立つ。横たわった大木に鴉がとまる光景はあまりにもディストピア的だ。
 河川西側部分は農地として利用されていた箇所も多く、そういったところには厚く泥濘が被り、ひび割れている。河川敷にある竹藪が漂流物に埋め尽くされ、しなやかなその身を折られ、無残な姿を晒していた。

 国道50号を挟んだ北側には思川緑地の跡がある。これまでに何度も浸水被害を受けたこの緑地公園は、被災の度に市の予算をかけて修復されていたが、東日本豪雨から数年しか経ておらず、今回ばかりは見通しが立たずにいまだ手付かずのままだ。広大な敷地に大量の砂が堆積している。何というか、砂漠を思わせる荒廃ぶりである。
 また、強力な濁流は河底の変形を生み、ひび割れや崩落した跡が見受けられた。河原に自生していた林にも激流が襲いかかり、下草の部分は壊滅的なダメージを受けている。

 もちろんこの一帯も生活の一部となる地域であり、付近には小山城やその他の公園があることもあって、近隣の住民が訪れている。農地の跡を見に来る者もいれば、河原に降りて歩き回る者もいる。中には川で何か遊んでいるような人たちの姿もある。
 普段は微笑ましいそういった姿は、曇天と吹きつける北風の寒さとが混ざり合い、物悲しい雰囲気を醸し出していた。

 思川のもう一つの大きな被害は、思川緑地よりやや上流にある小宅橋の崩落である。
 小宅橋は自動車が通れるほどの仮設橋であり、近隣住民の裏道として使用されていた。大きな道路の橋ではないが、れっきとした鉄筋コンクリート製の橋であり、その崩壊した姿からは今回の台風の威力が想像される。
 小宅橋の全長202mの中央部分約27mが欠落し、破壊された橋の一部は下流へと流されていた。橋桁の高さがある美しい橋だったが、見るも無残に変貌してる。

 橋に近づいてみると、崩落した箇所は引きちぎられたような跡があり、その破壊力にぞっとする。今回の台風で破壊された橋は県内に何箇所かあるが、こういった中央部だけが「持っていかれた」形状の橋はここだけである。普段は長閑で美しい場所だけに、破壊された橋とその残骸は周りの穏やかな光景とあまりにも噛み合わず、シュールな雰囲気をもたらしている。

 小宅橋を撮影したこの日は天気も良く、傷ついた橋が空恐ろしいまでに美しく見えたのは偶然なのだろうか。被災の労苦・悲哀はもちろん忌避すべきことだが、自然が文明を破壊しつくした光景に美しさを感じるのは、きわめて不謹慎ではあるものの、僕だけではないはずだ。
 こういった台風被害の写真を撮りつつ、その被害を調べ、文章に残すという行為は、記録としての側面はもちろんあるものの、それだけでは継続できないのではないかと思っている。
 胸が苦しくなるような悲しさが根底にあるとはいえ、被災の様子を写真に収めようとするその目的は、そこに美があり、貪欲なまでにそれらを欲していることに起因している。

 小山市は前職での勤務地であり、個人的に馴染みが深い街だ。製造業に従事する身としてお世話になっている業者も多く、製造業の街という印象がある。大きな会社もあるが、何といっても中心を占めるのは中小零細企業で、いわゆる町工場的な会社にいい仕事をするところが多い。
 そういった町工場のなかにも今回の台風で浸水被害を受けた会社がある。数台のマシニングセンタと言われる機械が水没し、使い物にならなくなってしまった。マシニングセンタは1台が数千万はする機械である。その業者は残念ながら再建のめどが立たす、惜しまれつつ廃業した。

 小山市商工会議所の統計によると、2016年と2017年を比較した製造業の事業所数は、小山市全体で284事業所から271事業所へと微減している。これは人口減少によるところもあるが、最大の減少幅は就業人数4~9人のいわゆる零細企業の事業所だ。
 統計では4~9人の事業所は102事業所から71事業所へと30%以上激減している。その他の人数区分の事業所では微増さえしているが、この零細工場の減り幅が全体の減少を押し下げている。

 また、小山市の製造業全体の出荷金額の合計を見ると、2016年の7,500億円に対し2017年は8,760億円と一定の伸びを示したのに比較して、4~9人事業所に限れば92億円から57億円と半減している。
 これはつまり、零細工場の閉鎖・廃業が顕著に表れた数字である。この流れは全国的なものではあるが、小山市の現状は他の地域と比べて、減少の幅として著しい。

 今回の台風被害によって、経済的な負担はこういった零細企業にとって重くのしかかる。行政の施策も即時的効果は少ない。洗い流された河川敷を見るに、絶望感と共に諦観が押し寄せるのはこのためだ。

 小山市消防団第13分団は夜半過ぎに召集され、バケツリレー方式で土嚢を運び、思川の石ノ上橋右岸へと積み上げた。激流に最接近しながらのその作業は、まさに死と隣り合わせであったという。川に近づき過ぎないよう声を掛け合って注意し、西からの強風に煽られながら、暗闇の中30分以上作業にあたった。
 石ノ上橋とその下流の新間中橋での越水は最小限に食い止められ、近隣の住宅地等は大きな被害を受けずに済んだ。第13分団には11月16日、全員に市長から感謝状が贈られた。

 かの消防団員たちは土嚢を積んだ後も、それを越えてくるかもしれない水を見つめつつ、振り切れない不安と戦いながら、まんじりともせず夜明けを迎えたのだろうか。
 あるいはまた、我々も新たな夜明けを迎えられるのだろうか。

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