「高橋昌一郎氏に幸福の科学ブチギレ」事件の真相!
2020年9月9日、学校法人「幸福の科学学園」が文部科学省に申請していた大学の設置認可を取り下げていたことが明らかになった。
さて、今でも時々、問い合わせを受けることがあるので、宗教法人「幸福の科学」広報局から私が恫喝された事件について、以下にまとめておきたい。
私は、連載していた『週刊新潮』2015年6月25日号から7月30日号のコラム「反オカルト論」において、6回にわたって「幸福の科学」に言及した。
その経緯は、「やや日刊カルト新聞」の「哲学者・高橋昌一郎氏に幸福の科学ブチギレ!=ストーキングや訴訟予告で報復中」という藤倉善郎氏の記事に詳細にまとめられているので、ここに紹介しよう。
「哲学者・高橋昌一郎氏に幸福の科学ブチギレ!」!
哲学者・高橋昌一郎氏に幸福の科学ブチギレ!=ストーキングや訴訟予告で報復中
國學院大學教授(論理学・哲学)の高橋昌一郎氏が、『週刊新潮』で連載中のコラム「反オカルト論」で、6週連続で幸福の科学をネタに。これに対して教団広報がブチギレしています。教団ウェブサイトで「“売名行為”に走る三流悪徳学者」などと罵詈雑言を浴びせかけているほか、面談を拒む高橋氏に対して教団の広報職員が國學院大學内で待ち伏せするなどのストーカー行為に及び、さらには訴訟予告まで行っています。
■「大川氏も騙された」
幸福の科学とは、自称1100万人もの信者数を誇りながら自前の政党「幸福実現党」は選挙時に全国で20万票ほどしか獲れず、教祖・大川隆法総裁は世間からの嘲笑にもめげず芸能人や政治家などの「霊言」を連発している、ユカイな宗教団体。なぜか大川総裁はSTAP細胞問題の小保方晴子氏がお気に入りで、小保方氏の「守護霊」と称するものを呼び出しては、STAP細胞はあるんだと語らせ、書籍にまでして書店に並べています。
これをネタにしたのが、高橋昌一郎氏。『週刊新潮』に掲載の連載中のコラム「反オカルト論」で、6月25日号から7月30日号(発売日はそれぞれの日付の1週間前)まで6週連続で小保方氏と幸福の科学について言及しました。
同連載は、「教授」と「助手」の対話形式で書かれており、第1弾の6月25日号では「大川隆法氏も騙された?」とのタイトルで、「教授」のセリフとして〈「日本のスピリチュアリズムの父」浅野和三郎が霊媒師ミナ・クランドンに騙されたように、大川氏も小保方氏にあっさりと騙されていたとは〉と記載。
第2弾の7月2日号では、〈霊が乗り移ったにもかかわらず、霊の「母語」で話せなかったり「口調」を真似できなければ、すぐにインチキがバレる。だから「霊言」は「霊媒」とは異なると主張しているんだろうが、やっていることは霊媒師と同じように映るが〉
■高橋氏に面会を求める教団広報
これに対して幸福の科学は、公式サイトに「幸福の科学グループ広報局 部長 高間智生」の名で〈週刊新潮コラム・高橋昌一郎氏(國學院大學教授)への反論 高橋氏は「無明からの脱却」を〉と題する反論文を掲載しました。
反論といっても、要約すれば「大川総裁は正しい」と主張することによって、「いかがわしいのは高橋氏の専門とする『科学哲学』の方だ」と非難するだけの内容。なぜ「大川総裁は正しい」のか、その根拠は書かれていません。結局、何を言っているのかよくわからない内容です。
この反論文が掲載された6月26日、反論文を書いた幸福の科学広報の高間氏は、高橋氏に面会を申し入れたものの、多忙を理由に拒否されています。
■エル・カンターレと歌おうぜ!
高橋氏の第3弾は、エル・カンターレ(神である大川総裁のこと)から想起した、〈大川隆法氏と「カンターレ」!〉とのタイトル。「カンターレ」とは、イタリア語で「歌う」という意味だそうです。
これに対して教団が7月2日付けで掲載した反論文のタイトルは、〈オカルトと宗教の違いも分からない 現代人を迷わす科学哲学者のあわれさ〉。だんだん口汚くなってきています。
この反論文で高間氏は、高橋氏のコラムの見出しを〈神の御名に対する冒涜〉と主張。なぜか幸福の科学の神への冒涜ではなく「全世界の神を信じる人々を敵に回しかねない行為」という話にまで広げてしまいました。
■釈迦は転生を「不可能」とは言っていない?
この回の「反オカルト論」には、「再誕の仏陀」を自称する大川総裁について、こんな記述も。
〈なんだって? 釈迦は輪廻転生から解脱して仏陀になったはずなのに、また生まれ変わったの?〉
高間氏による幸福の科学の反論は、こうです。
〈しかし事実として「仏陀となったら、この世への転生が不可能となる」と書かれた仏教経典は実は一つもない。よく引き合いに出されるパーリ仏典では、釈尊が「もはや生まれ変わらない」と“自ら宣言している”のであって、仏陀自身の転生(仏陀自身が希望して転生することなど)が不可能になると記されているわけではない。
大川総裁が「(仏陀であっても、)地上の人びとを救済するために、あえて人間の肉体に宿って出てくることはあります」(『悟りの挑戦・上巻』)と説かれている通りである。〉
釈迦が「生まれ変わらない」と「自ら宣言している」のに、「不可能だとは言っていない」から再誕してもOKだと。全く理由になりません。そんなこと言ったら、釈迦は自分が「衆院選で当選するのは不可能だ」とは言っていないだろうし、「幸福の科学大学の認可は不可能だ」とも言っていません。「藤倉んちの晩飯を作ることは不可能だ」とも言っていないので、今夜あたり作ってくれると助かるんですが。
末尾に大川総裁の言葉を引用して「と説かれている通り」とありますが、それは釈迦の言葉ではなく大川総裁の言葉。何の根拠にもなりません。
■「カルト」なんて書いてないのに
高間氏は、さらに突っ走ります。
〈また高橋氏は、3週目のコラムで大川総裁が明らかにしてきた数々の過去世を列挙し、「そんなことはあり得るはずもない。これこそカルトであることの動かぬ証拠だ」とでも言いたげに茶化している。残念ながら、高橋氏にはカルト(閉鎖的狂信団体)と信仰団体の違いもやはり分からないようだ。〉
高橋氏のコラムには、第1弾から第6弾まで一度たりとも「カルト」という言葉も「閉鎖的狂信団体」という言葉も登場しません。
書かれてもいないのに自ら「カルト」を云々し始めるとは、多少の自覚でもあるのでしょうか。
■実際「カルト」なんだけどね
高間氏は、反論文でさらにこう続けます。
〈カルトかどうかは、教義内容の問題ではなく、その宗教が行っている「行為」で判断されるべきであり、この点、霊言があるからといって幸福の科学をカルトとして分類することはできない。〉
その通りです。カルトかどうかは、教義内容よりも「行為」の方がより重要です。さて、ここで、この高間氏のある「行為」を紹介しましょう。
2013年9月19日号の『週刊新潮』が、〈『前田敦子』守護霊で商売する『大川隆法』幸福の科学総裁〉と題する記事を掲載しました。この記事のための取材で教団の総合本部を訪れた週刊新潮の記者に対して、高間氏は、こんな言葉をぶつけました。
「編集長が大変なことになる」
「今度は血を見ますよ」
どう見ても、暴力行為をほのめかして脅迫する言葉です。本紙・藤倉善郎総裁は幸福の科学から繰り返し、教団施設ではない公共の場所で取材中に集団で抑えこまれるなどの暴力的な取材妨害を受けています。しかし「血を見ますよ」となると、これの比ではありません。流血するほどの暴力を予告しているわけですから。
こんな犯罪的な「行為」を行う教団を、カルトと呼ばずして何と呼ぶのか。
■キレキャラ広報が大学内で待ちぶせ
こんなキレキャラ広報・高間氏の反論文や面会要請にビビることなく、高橋氏のコラムは第4弾、第5弾と続きます。高間氏は7月16日にも、教団サイトに〈高橋昌一郎氏(國學院大学)・週刊新潮はご都合主義を反省し、真理に対する謙虚さを取り戻すべきだ〉との反論文を掲載しました。
そして第6弾が掲載された『週刊新潮』7月30日号の発売日翌日、7月24日。大学に出勤した高橋氏を、研究室棟玄関で高間氏らが待ちぶせ。大学の教員、職員、学生など関係者しか入れないエリアに無断侵入してきた上に、いまから試験監督があるからと面談を断る高橋氏に対して、高間氏は大声でこう恫喝してきたといいます。
「我々の信仰を冒涜して、不正を行っているくせに何だ!」
この前日、教団のサイトには反論文の第4弾〈“売名行為”に走る三流悪徳学者 高橋昌一郎氏(國學院大學)は堕地獄的冒涜行為を即刻中止せよ〉が掲載されています。もはやタイトルだけでも、「名誉毀損」を通り越して「侮辱罪」で訴えられかねない罵詈雑言。しかし一連の反論文には、一度たりとも、高橋氏が「不正」をしているとの指摘はありません。
高橋氏が書いてもいないことを書いたかのように主張してなじる反論文を載せたかと思えば、職場にまで押しかけてきて、自分たちが反論文に書いていないような主張を大声で喚く。まるで駄々っ子です。
■客観的事実の羅列
『週刊新潮』7月30日号掲載の第6弾のタイトルは〈大川隆法氏の「魂」を見る目〉。その内容をおおまかにまとめると、以下のようなものでした。
・大川氏には芸能人の「霊言集」も多く、彼らの人気に便乗しているのではないかとの批判がある
・大川氏の長女である咲也加氏が、大学の卒論で「盗用」をしたと報道されている
・大川氏の元妻・きょう子氏の過去世は「アフロディーテ」「文殊菩薩」「ナイチンゲール」だったはずなのに、離婚時には「裏切り者のユダ」に変わった
霊言はインチキだとか、幸福の科学はカルトだとか、大川隆法はむかしデブだったとかバカボンだとかパープリンだとか、そんなことは一切、書かれていません。ただ、すでに公表されている事実が整理されて書かれているだけです。
■訴訟予告の恫喝も
ストーカー行為を行った高間氏は、「通告書」と題する文書を高橋氏に手渡して帰って行きました。その内容は、記事の掲載を中止し謝罪しなければ「訴訟を提起することもありうる」というもの。結局、最後は「訴えてやる!」と。
幸福の科学といえば、威嚇目的で訴訟を起こす「訴訟カルト」でもあります。かつて、布施返還訴訟を起こした元信者と代理人を務めた山口広弁護士に対して、教団は名誉毀損を理由として7億円もの損害賠償を請求する訴訟を提起。結果、こんな判決が出され敗訴しました。
〈原告幸福の科学は、主に批判的言論を威嚇する目的をもって、七億円の請求額が到底認容されないことを認識した上で、あえて本訴を提起したものであって、このような訴え提起の目的及び態様は裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠き、違法なものといわざるをえない。〉(2001年6月29日東京地裁判決)
この裁判では、証拠として、かつて大川総裁がオウム真理教に対して「ブラフ」として高額な訴訟を起こすよう指示した直筆のFAXも提出されています。
■恫喝は教団のお家芸
昨年10月、幸福の科学大学が不認可となった際、下村博文・文部科学相は、幸福の科学大学を最大5年間、認可しないとするペナルティも決定しました(後に、ペナルティはきっちり5年間と確定)。文科省側が挙げた理由は、認可申請の過程で計画の是正を求められた学校法人幸福の科学学園の木村智重理事長が、文科省職員をこう脅したからというもの。
「宗教法人の連中は過激な奴が多く、それを私が抑えている」
幸福の科学側はこの発言の存在を否定しており、「宗教法人は納得しない、宗教法人にはデモ行進などを行いたいと考えている人も一部いる」という趣旨の発言をしただけだと主張しています(幸福の科学大学:下村博文文部科学大臣の処分の不正を明らかにする弁明書参照)。
いずれにせよ、正規の手続きを踏むのではなく文科省職員を脅すことで認可を取り付けようとしていたことに変わりはありません。
2012年、本紙・藤倉善郎総裁が幸福の科学学園の生徒への取材を試みた際には、学園職員は藤倉が取材目的であることを知りながら「痴漢かもしれない」と警察に虚偽通報。後日、教団の広報職員が藤倉にその旨を告げて、「これ以上取材しないように」と脅してきました(尾行・通報・恫喝、幸福の科学学園報道の裏バトル)。
高間氏は確かに過激な人物ですが、高橋氏に対する今回の高間氏のやり口は特殊なものはありません。これが「いつもどおりの幸福の科学」です。
高橋氏に対する幸福の科学の一連の圧力について、本紙・藤倉善郎総裁がお怒りのご様子です。
「霊言がホンモノだというなら、高橋氏(霊)を呼び出して罵倒するなり謝罪させるなりすればいい。ついでに高橋氏が専門とする論理学の天才ゲーデルを呼び出して、『不完全性定理』について熱く議論させてみてはどうか。それをせずにネット上で口汚く罵ったりストーカー行為をしたり訴訟をほのめかしたりしてまで高橋氏(実物)に謝罪を強要するのは、高間氏が本当は霊言を信じてなんかいない証拠だ。神であるエル・カンターレへの冒涜である。エル・カンターレファンの私としては許しがたい。高間氏の謝罪を求め、面会を申し入れようと思う」(藤倉総裁)
藤倉善郎 2015年7月26日15:32:00
「やや日刊カルト新聞への投稿」
藤倉氏の記事が公開された翌日、私は次の返信を「やや日刊カルト新聞」に投稿した。
藤倉善郎様、読者の皆様:
記事を拝見しました。取材でお答えした通りの内容を公平かつ的確にまとめていただき、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
本年1月から『週刊新潮』(新潮社)でコラム「反オカルト論」を連載しております。その目的は「現代社会に数多く存在する『非論理・反科学・無責任』な事象にメスを入れ『論理的・科学的・倫理的思考』で考察する」ことにあります。
1月は「スピリチュアリズム」の本来の定義から「交霊会」の歴史的進展に話を進め、4月からは現代の「STAP事件」をさまざまな視点から追究し、その流れから大川隆法氏の著作『小保方晴子守護霊の霊言』に関連する話題に言及することになりました。
もちろん私は「信仰の自由」を尊重しておりますので、最初から「幸福の科学」の信仰そのものに踏み込むつもりはなく、あくまで大川氏が数多く出版している「霊言」について言及したにすぎません。とくに従来の「死者の霊」を超えた「生存する有名人の守護霊」に疑念を抱いたことは確かで、その点については率直に批判的見解を書かせていただきました。
コラムに対して6月26日13時頃、「幸福の科学」広報局の高間氏から私の研究室に電話がありました。ちょうど授業に出るところだったので、お断りして、授業後に電話を掛け直しました。ここでご理解いただきたいのは、私が相互コミュニケーションを重視しているため、こちらから「幸福の科学」広報局に電話を掛け直しているということです。
高間氏の要件は、①「大川氏には霊能力がない」という私の認識が間違っていること、②そのことを説明するためにぜひ大学に伺ってお会いしたい、というものでした。これに対して私は、①「大川氏には霊能力がない」とはどこにも書いていないこと(私の文章からそのように推論されたようですが)、②大学は教育・研究の場であり、学生も多く出入りしているので迷惑であり、絶対に来ないようにしてほしいこと、③今後、私への連絡は文書で行ない、その文書は『週刊新潮』出版元の新潮社に送るようにとお願いしました。
ところが高間氏は、電話の途中から私の発言を遮り、「信仰を冒涜しているじゃないか」と大声で激高し、とても会話ができなくなったので、やむをえずこちらから電話を切りました。その後、「幸福の科学」広報局との面会をお断りしているのは、多忙ということもありますが、残念ながら、とても理性的に冷静な会話ができる相手ではないと判断したからです。
もともと「幸福の科学」に関するコラムは6回で終了し、次週からは新たな話題に移る予定になっております(その原稿はすでに3週間前に提出済みです)。というわけで、読者の皆様には、改めて『週刊新潮』の「反オカルト論」最近6回分を読んでいただき、「幸福の科学」公式ホームページの私に対する「反論」の数々をご覧いただき、どこでどれだけ論点がズレているのか、なぜ驚くほど感情的にならなければならないのか、そもそも何が起こっているのか、冷静にご判断いただけましたら幸いです。
高橋昌一郎 2015年7月26日0:53
なぜ信仰に自信がないのか?
さて、実は、広報局の集団が大学に押しかけてきた数日後、どうやって探し当てたのか、私と家族の居住するマンションに「幸福の科学」の関係者が押しかけてきた。フロントを通して建物に入ることをお断りしたところ、彼らはポストに「通告書」と同内容の手紙を入れていった。この件については、すでに所轄の高輪警察署に通報済みである。
ちょうどその頃、数年前に國學院大學に在籍していた卒業生から、私の研究室宛に手紙が届いた。彼女は現在、「幸福の科学」教団職員として働いているそうで、私の『週刊新潮』連載の内容に「心を痛めている」という。彼女の要望も「幸福の科学」に対する批判を止めてほしいという内容だった。
「幸福の科学」の関係者は、國學院大學の学長と文学部長に対して、私を誹謗中傷する内容の抗議文を送り付けた。新潮社の「週刊新潮編集部」にも抗議文を送り、何度も編集部に電話して、実際に押しかけている。連載をまとめて『反オカルト論』に書籍化した際には、光文社の「新書編集部」に抗議文を送り付け、やはり編集部に押しかけようとした。
要するに、「幸福の科学」の信者や関係者は、ありとあらゆる手段を用いて、教団の主張に対する疑問や批判的見解を封じ込めようとしているわけである。そこで私が不思議で仕方がないのは、どうして彼らがそこまでする必要があるのか、ということである。
なぜ彼らは、周囲からの疑問に「普通」に答えようとしないのだろうか? なぜ教団に対する「批判や風刺」を「抗議や恫喝」で封じ込めようとするのだろうか? 彼らは、それほどまでに自己の信仰に自信がないのだろうか?
「イワシの頭も信心から」
「イワシの頭も信心から」という故事成語がある。江戸時代の節分では「鬼除け」のために玄関先に「鰯の頭」を吊るす習慣があった。そこから「一旦信じてしまえば、どんなものでもありがたく思える」という意味になった。
この言葉は、「人間の信仰は、常識では計り知れない」という局面で用いられることもあれば、「どうして人間は妙な物事を信じてしまうのか、笑ってしまう」という局面で用いられることもある。
いずれにしても、現代の日本では、仮に誰かが「イワシの頭」を祭り上げて拝んだとしても自由であり、そのために御殿を建てても、信者を拡張するために勧誘活動を行っても構わない。それが「信仰の自由」である。
だが、仮に「イワシの頭」教団が、公序良俗に反する「非論理」的な見解を宣伝し、「反科学」的な思想を信者に植え付け、その社会的影響に対して「無責任」であれば、その理由を問い掛け、分析し、批判することも自由である。これこそが「信念の自由」であり「学問の自由」なのである!
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