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自信がない理由について考えてみる。

最近、いろんな方から「もっと自信もってもよいと思うよ」と言われることが多く、ちょっと考えてみました。その過程で見えたことを自己整理のためにも纏めてみたいと思います。そして、この気付きは、自分に自信がない方の一助になれば、それほど嬉しいことはありません。

そもそも、自信とはなんだ?

これ、人によって解釈が異なる部分も当然あると思いますが、僕の場合は自信とは、「自分を信じること」。で、僕の中で一つ引っかかっていたのが、「信じる」という言葉に対するマイナス要素。

信じるとは、ある意味盲目になることだと思っていて、だから無条件に近い状態で思い込むことが信じることなのかなと。ということは、自信とは、無条件に自分自身に対して(何かができると)思い込む、ことと考えると、「自信なんて、ないほうがよいのでは?」とあまのじゃく的に考えてしまっていた部分があります。

ただ、ここにもう少し解釈を加えると、信じることができるのは自分の行動に対して、しっかりと考えた上で決断した内容であれば「信じる」に値するのかなと。そんなことを少し前に考えていました。だから、僕の中で信じる対象は「しっかりと検討して考えられた行動」であって、自分自身全般ではないのですね。そして、僕自身、あまりいろんなことを考えて行動する方ではないので、だからこそ、その「信じることは盲目だ」という点と「自分自身があまり考えて行動するほうではない」という合計で自分自身を信じることができないのかなと。

過去の振り返りからわかる、大きな挫折

そして、なぜこのような考え方になってしまったのか、と自分自身の過去を振り返ってみました。最近、いろんな形でコーチングを受けたり、内省したりしていますが、根本的な内面の課題は、過去に遡ることでそのきっかけが見えてくることが本当に多いです。特に、小学生、中学生くらいの頃の家庭環境や学校での成績、クラブ活動、友人関係や塾など、何かしら、あるいは複数の要因が絡んで、今の自己を作っていると思っています。
というわけで、僕の中にある自信がない原因、探ってみるとやっぱり見つけました。「小学校から中学校にあがったときの挫折」、「実感と結果の差異の経験」、「努力しても埋まらない壁」、この3つが大きくは影響していそうです。では、ひとつずつ見ていきたいと思います。

<小学校から中学校にあがったときの挫折>
これは経験したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?中学校にあがるときに、いくつかの小学校がまとまって、一つの中学になったときに、今までの自分の立場が全く通用しなくなる経験を。例えば部活や勉強。僕の場合、小学校の頃はバスケ部に所属し、勉強も運動もそこそこできる方だと思っていて、小学校ではある程度注目を浴びることができる存在だったと今振り返っても思っています。
しかしながら、中学にあがると、自分が井の中の蛙で、運動も、勉強も全体の中心より下で、今までの自分への信頼が崩れ、ここで大きな挫折を感じます。

<実感と結果の差異の経験>
そして、この挫折にさらに追い打ちをかけるのが、中学時代の定期試験の点数でした。前述の通り、自分ではあまり頭が悪くないと思っていたし、テスト勉強をしていても、試験を受けても結果がわかるまでは「そこそこできたでしょ?」と、最初の数回のテストは思っていた気がします。
でも、実際テストの点数を見て愕然。学内順位も中の下。今までの自分の自信に対する結果の乖離が大きかったのですね。(今考えてみると、この予想と現実の乖離の原因はケアレスミスの多さですね。この点が改善されれば、ある程度の点数が取れるようになりました。)

<努力しても埋まらない壁>
さらに、部活動でも上手くいきませんでした。バスケ部に所属していた僕は、小学校時代はスタメンで、ベンチに下がることもなかったですが、当然中学に入ると先輩がいるため補欠にすら入れず。元々身長にも恵まれていたわけではなかったことも足かせになり(言い訳)、同学年のメンバーの中でも1on1などをしても実力が劣っていることが明確になってきました。
もちろん、その結果に対して努力をしなかったわけではありません。それを克服するために、他のメンバーより朝練に参加したり、部活終了後の地域のコミュニティにまぜてもらったりしましたが、いつまでたってもその差は埋まることがありませんでした。今思うと、ただ時間をかけていただけで、上達するために練習すべき内容ができていなかったのだと思います。そして、直接的には関係あるかわかりませんが、僕は中学生の時にプチイジメ(部活仲間から総シカト)にもあっていたので、この点も自信を失わすのに影響してるかもしれません。

多分これらの経験で、僕は、どれだけ努力しても差が埋まらないこともあるし、自分の自信なんて当てにならないし、状況はすぐ変わってしまうものだ、と「自信を持つ」ということに対して諦めてしまったのかなと。

だから、今でも、テニスで試合をしたりするときは、試合前の練習を相手としたときには絶対に勝てる自信はないし、仕事ができるかどうかも、やることはやるけど、絶対にできるなんて言い切る自信はない、というスタンスなのかなと。

では、自信を持つためにどうしたらよいのか

はい、ここからが本題ですね。少し考えてみたのですが、まずは、過去の自分と今の自分は違うことを受け入れる。その上で、過去の自分自身を認め、当時の自分がいたから今の自分があると感謝する、ということなのかなと。

今の僕自身を冷静に見た時に、現状に満足こそしていないものの、そこそこよい人生を送ることができていると思ってます。それは、過去の自分が頑張ってくれたお陰だなと。当時は自分の行動と結果が結びつかず、その結果、自分自身の信用がなくなっていましたが、それは短期的に見ているからであって、長い目で見れば十分満足する結果であり、自分を認めてあげられるかなって思ってます。

そして、それをより強く理解するためにも、自分が満足した結果を、自分のとった行動と紐付けで、いくつか具体的にあげてみるとよいかなって。

例えば、

・高校受験は、冬休みに毎日8時間近く勉強した結果、第1志望校に入学できた。
・高校の部活では、毎日の朝練を1人でもやり続けることで、高校から始めたにも関わらず区大会で入賞することができた。
・大学受験は、3年入学時からコツコツと長く受験勉強をすることで、塾にも行かずに第1志望校にストレートで入学できた。

などなど。こうしてあげ始めてみると、まだまだかける事が思いのほかあって、自分でもすこし驚いています(笑)。が、それだけ僕は今の結果をただ結果だけ受け止め、意識して思い出すことはなかったのですね。

そして、こうやって書き出してみると思いの外、僕自身に対して思っているよりも、いろんなことをちゃんと継続できる人間なのかもしれないなと。その継続こそ、僕のいろんな結果に対する源泉になっていて、もっと誇ってもよい部分なんですね。

自信の習慣化

と、ここまで書いている今は「自信、持っても良いんだ!」と思えていますが、多分寝ると忘れます(笑)。

なので、この自信を持つための気付きを習慣化したいなと。では、どうしたらこの自信を継続できるのか。それは、毎日夜寝る前に、その日1日頑張った自分を「今日もよくやった」と労い、その日の行動と、その結果を認めてあげることかなと。

まぁそんなわけで、ここまで「どうやったら自信を持てるか」を考えてみたら、結局僕は過去の振り返りが足りないお陰で、自分の頑張りとその成果を忘れてるだけだったのかもなと。
冒頭で、「「信じることは盲目だ」という点と「自分自身があまり考えて行動するほうではない」という合計で自分自身を信じることができない」と、自信が持てない理由を書きましたが、この考えも、結局は当時の振り返り不足から、自分自身に誤った思い込みを信じ込ませていたのかもしれませんね。
そして、過去の振り返りで自信をつけるなんて、そこいらで売っている本に書いてありそうな内容ですが、その内容をこうやって内省によって気付き、文章に纏めるというプロセスを経ることで、自分の中に落とし込んで、実践できるのかなと思っています。

もしここまでお読みになった皆様も、自信を持つために、過去を振り返り、行動と良い結果を結びつけ、箇条書きにしてみてはいかがでしょうか?
きっとその日は自信に溢れる素晴らしい日になるでしょう。(ずっと続くとは言っていない、笑)

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